存在しないはずの部隊

ごきげんいかがですか。まんぱです。
日本には、表舞台では決して語られない「影の部隊」が存在する。そんな噂を耳にしたことはありませんか。
石井暁の『自衛隊の闇組織 秘密情報部隊「別班」の正体』は、その衝撃的な影の姿を追い続けた一冊です。
著者は共同通信の記者として、二十年以上もの歳月をかけて取材を続けてきました。その粘り強い歩みがまとめられた読み応えのあるノンフィクションです。
「別班(べっぱん)」とは、一体どのような組織なのでしょうか。なぜ、主権者である国民にその存在を長く知らされてこなかったのでしょうか。
本書は、自衛隊の仕組みや安全保障に詳しくない読者にも分かりやすく語りかけてきます。そして、日本の民主主義や国家のあり方を問いかけてくるのです。
派手な暴露話ではありません。緻密な事実の積み重ねが描き出す現実は、読み終えたあとも長く心に残ります。
存在しないはずの部隊「別班」
本書を読むうえで、まず押さえておきたいのが「別班」という言葉の立ち位置です。
別班という名前は、自衛隊の公式な組織図にはどこにも載っていません。防衛白書を隅々まで読んでも、国会のやり取りを調べても、はっきりとした説明は見つかりません。
しかし、勇気を持って証言した元自衛官たちの言葉や過去の訓練の記録を丁寧にたどっていくと、それらしき部隊の足跡がぼんやりと見えてくるのです。
この別班の存在をいきなり「絶対にある」と断定するような書き方はしません。あくまで「別班と呼ばれていたとされる部隊」といったように、とても慎重に言葉を選んでいます。この慎重な姿勢こそが、姿の見えない対象を扱う本書の信頼性を支えています。
別班の役割は、敵のふところへ入り込み、情報を集めたり工作活動をしたりすることです。国際的には「ヒューミント(対人諜報活動)」と呼ばれる分野で、スパイ映画ではおなじみの世界です。
これを日本の自衛隊と結びつけて考える人は多くありませんでした。なぜなら、日本は憲法9条があり、専守防衛というルールを重要視してきたからです。
敵の陣地に潜り込むような部隊の存在は、日本のルールと明らかに矛盾しています。だからこそ、別班は長い間、語ることを禁じられた存在しないものとして扱われてきました。
その沈黙の理由を、冷戦時代の国際情勢や日本人の複雑な国民感情と結びつけながら、一つひとつ丁寧に解説していきます。
特筆すべきは、別班が「誰の命令で動いているのか」という不透明さです。通常、自衛隊の行動には法的根拠が必要ですが、別班にはそれが見当たりません。
著者は、彼らが米軍の情報機関と密接に連携し、日本の政治家さえ関知しないところで動いていたことを示唆します。自衛隊の中に法治の及ばない部隊が存在しているのではないかという仮説を突きつけているのです。
証言が語るリアリティ
本書の土台となっているのは、かつてその組織に関わったとされる元自衛官たちの生の声です。
秘密を守るルールに縛られ、語ることにためらいを感じている様子が伝わってきます。記憶が途切れていたり、あえて細部を伏せたりしていることもあります。
ですが、その語りにくさまでを正直に書いている点が、本書を単なるスキャンダル本とは違う深い読み物にしています。
取材スタイルはとても誠実です。たった一人の話をすぐに信じ込むことはありません。別々の人の証言を突き合わせ、共通する部分を見つけ出し、矛盾があればそのまま読者に提示します。
読者は「これが真実だ」と押し付けられるのではなく、「どうやらこういうことらしい」という状況を自分で考えることになります。この客観的な姿勢が、読む人の知的好奇心を刺激します。
また、非公式に行われていたとされる訓練や偽造した名前での行動範囲など、語られる内容は驚くほど具体的です。ふつうの自衛隊の訓練とは明らかに違う、どこか泥臭い活動が浮かび上がってきます。
こうした細かいディテールの積み重ねによって、確かに普通ではない何かが存在していたのだという実感がじわじわと伝わってくるのです。
ノンフィクションというジャンルでは、どうやって調べたかというプロセスが大切です。取材の苦労や壁にぶつかった様子も隠さず見せることで、深い納得感を得ているといえるでしょう。
ただ、事実の記録として読むとき、どうしても気になる点があるのも事実です。それは、示されている情報のほとんどが、名前を明かせない人たちの個人的な証言に頼っているという点です。
これをノンフィクションとして評価すると、証拠としての根拠がどうしても弱くなってしまいます。政府が公式に認めた命令書や確固たる公文書といった物的な証拠はあまり示されていません。
元自衛官たちの話は生々しく、複数の声が重なることで説得力を生んでいます。しかし、匿名の証言というのは、第三者が検証することがとても難しいものです。
そのため、どこまでを事実として信じていいのかという迷いがどうしても残ってしまいます。確かな裏付け資料が乏しいため、最終的な判断の多くが、読み手の解釈に委ねられてしまっているのです。
結果として、厳格な調査レポートというよりは、精巧に作られた物語を体験しているような不思議な感覚を抱かせます。筆致が冷静であればあるほど、かえって読者の想像力がふくらみ、仮定の世界に引き込まれていきます。
読み物としては非常に魅力的ですが、事実だけを積み上げるべきノンフィクションの枠組みとしては、少し危ういバランスの上に成り立っているともいえるでしょう。
そのため、確定した真実として受け取るのは少し早計かもしれません。真実である可能性を否定できない不気味な構造を描き出した作品だと理解するのが無難かもしれません。
その慎重な視点を持たずに読むと、本書はノンフィクションの形をしたフィクションのように見えてしまう可能性さえ否定できないのです。
「闇」という民主主義の死角
本書の「闇組織」という言葉は、悪の組織という意味を持つものではありません。
著者が伝えたい闇とは、説明や議論がされることなく、国民が知る機会が欠如していることを指しています。
民主主義では、軍事的な組織はシビリアン・コントロール(文民統制)の下にあります。武力を持つ組織の最終的な判断は、選挙で選ばれた政治家が行い、国民に対して責任を持つという重要な決まりです。
もし別班のような部隊が、政治家や自衛隊の背広組さえも知らないところで動いていたとしたら、どうでしょうか。そこには民主主義の手が届かない、暗い死角が生まれていることになります。
著者は、別班を一方的に悪者扱いしていません。冷戦時代の厳しい情勢や日本の地理的な条件を考えれば、国家を守るために情報を扱う組織が必要だったという背景にも一定の理解を示しているように感じます。
ですが、必要だからといって国民に隠していいわけではないという厳しい一線を引きます。
国の安全を守ることと国民の知る権利を尊重すること。そのバランスがどこで崩れてしまったのかを考えずにはいられなくなります。
さらに言えば、この闇は自衛隊だけの問題に留まりません。官僚組織や政治の世界が、こうした不都合な存在をあえて無視して、暗黙のうちに維持し続けてきた体質を告発しています。
責任の所在を曖昧にする構造こそが最大の闇なのかもしれません。見えないところで動く巨額の予算や語られない作戦が、自分たちの知らないところで遂行されている可能性に対してあまりに無関心であったのではないか。
その無関心という名の闇に痛烈な光を当てています。これは私たち一人ひとりの主権意識を試す厳しい告発でもあるのです。
優れたノンフィクションとして
『自衛隊の闇組織』は、とても読みやすく整理されています。難しい組織の仕組みは分かりやすく説明され、専門用語には丁寧な解説が添えられています。
軍事の話に慣れていない方でも、迷子になることなく読み進められるはずです。
印象的なのは、読み終えたあとの余韻です。怒りというよりも、「こんな重大なことを自分は知らなかったのか」という静かな驚きと不安です。
一方で、証言中心の構成は読み物としての面白さを高めますが、内容が正しいかどうかの判断を読者にゆだねる結果にもなっています。
はっきりとした物的証拠がないという状況で、日本の安全保障が抱える闇を現実感を持って受け止められるかどうか。それが本書を読み解くポイントになるはずです。
優れたノンフィクションは、簡単に答えを出してはくれません。本書も、別班が良いか悪いかという単純な結論は示しません。
その代わりに、私たちがこれから考え続けるための材料をたっぷりと差し出してくれます。その姿勢が本書を価値のあるものにしています。
また、本書が優れているのは、調査の熱量が文章の端々から伝わってくる点です。たった一つの証言を得るために、どれだけの月日を費やし、どれほどの孤独な戦いを経てきたのか。その執念そのものが、読者を強く引き込みます。
単なる情報の羅列ではなく、事実を掘り起こそうとする人間の意志を感じることができるのです。
筆致はあくまで淡々としていますが、民主主義を守るために真実を追求するジャーナリストの信念が脈打っています。
この情熱こそが、私たちに重い問いを考え続けさせる原動力となっているのです。
終わりに
『自衛隊の闇組織 秘密情報部隊「別班」の正体』は、扇情的な暴露本ではありません。日本社会がこれまで「見ないふり」をしてきた不都合な現実を提示する本です。
自衛隊や安全保障に詳しくない人ほど、本書から受け取るものは大きいでしょう。軍事の話だけでなく、私たちの知る権利と民主主義のあり方を問う物語だからです。
ちなみにテレビドラマ『VIVANT』でも、「別班」という存在が物語の鍵として描かれ、大きな話題を呼びました。
読み終えたあと、別班という存在をどう考えるでしょうか。国を守るために必要と見るか、ルールを無視した危険な存在と見るか。答えを出すのは、決して簡単ではありません。
ですが、自分の頭で考えるための確かな視点を与えてくれるという意味で、今こそ読むべき価値のある極めて誠実な一冊だといえます。
読書っていいものですね。