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『余命10年』:小坂流加【感想】|死ぬ準備はできた。だからあとは精一杯、生きてみるよ

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 こんにちは。本日は、小坂流加さんの「余命10年」の感想です。

 

 医者から余命を宣告されたら、どうなるだろうか。自分に置き換えてみても実感できません。生まれたからには、誰にでも等しく訪れるのが「死」です。誰も逃れることはできません。

 私たちはいずれ死ぬことを頭で理解していても、普段、現実的なものとして受けとめていない。常に死を意識して生きていくことは相当なストレスになるから、精神的な保護機能として無意識下に押し込めているのだろう。

 「生」の期限が明確になった時、その事実をどのように受け止めるのか。その後の人生がどう変わるのか。 

 余命10年は微妙な年数です。何かを成すには短過ぎ、迫りくる死に耐えるには長過ぎます。主人公 茉莉が10年をどのように生きていくのか。理性的に受け止める一方、感情的にもなります。茉莉の心象と行動が切なく響いてきます。 

「余命10年」の内容

20歳の茉莉は、数万人に一人という不治の病にかかり、余命が10年であることを知る。笑顔でいなければ周りが追いつめられる。何かをはじめても志半ばで諦めなくてはならない。未来に対する諦めから死への恐怖は薄れ、淡々とした日々を過ごしていく。そして、何となくはじめた趣味に情熱を注ぎ、恋はしないと心に決める茉莉だったが……。【引用:「BOOK」データベース】 

 

「余命10年」の感想

者:小坂流加

 文庫の著者紹介で次のように書かれています。 

 

本作の編集が終わった直後、病状が悪化。刊行を待つことなく、2017年2月逝去。 

 

 亡くなった原因や年齢などは明確にされていないようですが、この小説は著者自身を投影した作品だと思います。文庫発刊直前に亡くなったことからも想像に難くありません。

 この作品はフィクションでありながらフィクションでない。著者自身が経験した10年を背景に描かれているのだろう。根柢に流れる茉莉の心象は、著者自身の心象を投影しているのではないだろうか。

 完全なフィクションとして読む場合と、著者自身の人生を投影した小説として読むのとでは全く印象が違ってきます。著者の心象を投影しているのなら、この小説はとても生々しい。茉莉に対する思い入れも変わってきます。

 

りとの違い

 茉莉にとって周りの人々と違うことは、余命を知ったことだけだろうか。もちろん、余命は最も大きな違いであり、彼女を苦しませる原因です。病気が彼女の余命を決め、彼女の生活を大幅に制限します。当然のことながら、健康に余命を生きることもできません。

 健康な者と同じように就職し、働くこともできない。働くことができない理由は明確に語られていません。体力的な理由なのか、採用してもらえないのか。それとも、残り少ない人生を好きに生きるために、彼女の両親が働くことを止めているのか。 

 日に日に衰えていく体力や身体に残った大きな手術痕が命の期限を示唆します。回復することのない病気が身体を蝕んでいくことにより、全力で走ることもできなくなります。手術痕のせいで水着も着れません。

 同じ年代の人たちが当たり前のように過ごしている日常を送ることができない。彼女は、日常のあらゆる場面で病気から逃れられません。身体を蝕む病気が進行していけば、できることも限られてきます。徐々に、健康な人たちとの距離が広がっていくような感覚を覚えているはずです。

 肉体的な衰弱は、気持ちも衰弱させていくだろう。周りの人々との違いを感じる度に、彼女は心もすり減らします。世界と自分の溝が広がっていくほど、彼女は耐えられない苦痛を感じるのだろう。

 

きるということ

 死を意識しなければ、生きることを意識することもない。彼女は死を実感しているから、生きることを真剣に考えざるを得ません。彼女の生に対する考え方は揺れ動きます。20代という年齢で強制的に人生を終わらされるのだから、達観できる訳もありません。生きていることがまるで苦しみのようです。

 やりたいことや楽しむことから遠ざかろうとしているように感じます。しかし、余命が短いと言えども10年あります。10年間何もせずに過ごすことはできません。 

 彼女が選んだのが、生きることに執着せずに済むような生活を送ることです。余命10年の間にやり終えることができることや、途中で途切れても悔いにならないことを選びます。彼女が選んだアニメやコスプレはやりたいことであると同時に、中途で終わっても悔いになるほどのことでないとの理由だったのだろう。

 また、現実逃避という理由もあります。現実を忘れることのできる世界です。耐えきれないなら忘れことは、気持ちを安定させる唯一の方法です。結果的にアニメやコスプレは、彼女にとって生きる糧になった訳ですが。彼女は死を受け入れるために、生を否定しようとしています。

 

との距離

 余命が分かった時、人との付き合い方をどうしていくのか。彼女にとって、未来を見据えた関係を作ったり維持したりすることは難しい。彼女が同窓会に参加し、好きだった人に告白しようとするのは、過去に告白できなかったことが理由だろう。もちろん、今でも好きだから告白しようとしたのだが、結婚できません。告白は、彼女の心の整理のために必要なことだったのだろう。

 彼女は同窓会の場で新しい出会いを得ます。彼女にとって、自分を支える恋人の存在は必要不可欠のはずです。しかし、将来のない関係に意味がないと思っている印象もあります。彼に病気のことを話せば離れていくかもしれません。また、恋人ができることで「死にたくない」と思うことも恐れています。

 彼女が生きることに執着したくないと考える時に、一番避けたかったのが人と親密になることです。しかし、人の心ほど制御することが難しいものはありません。他人の心は当然ですが、自分の心ですら思い通りになりません。

 人を好きになることは理性で行うものではない。感情は自然と沸き起こるものです。彼女を取り巻く人々との関係は、彼女にとって必要なものです。ただ、離れたくない、死にたくないと思わせるほどの関係になることが怖いのです。

 

説としての違和感

 違和感は「余命10年」の意味です。

 小説内では、10年以上生きた人はいないと書かれています。最長で10年ということです。しかし、作中の印象では「10年以上生きられないけど10年は生きる」と感じさせます。残り何年という表現があるからかもしれません。余命10年の意味を考えた時、10年なのか、10年以内なのかは大きな違いです。

 ただ、物語の本質に影響しません。人生の終わりを告げられた時、人はどう感じ、どう生きるのか。そのことが重要なテーマであり本質です。 

 

終わりに

 この小説は、著者の人生そのものです。完全なフィクションとして読めば、気になるところもありますし、感情移入できなかったかもしれません。しかし、著者の人生として読むと全く違った色合いを帯びてきます。

 小説としての完成度は果たしてどうだろうか。読みやすい文章ですが刻一刻と迫る死期が、それほど緊張感を帯びて伝わってきません。終盤、恋人と別れ入院してから、ようやく彼女が病魔に侵されていることを実感します。それまでは彼女の肉体的な衰弱は描かれていますが、それほど緊迫感を感じません。

 しかし、著者の人生を投影しているのであれば、これこそが現実なのだろう。 

 小坂流加さんのもう一つの作品「生きてさえいれば」の感想もアップしています。そちらも是非ご覧ください。