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『銀河鉄道の父』:門井慶喜【感想】|父でありすぎる政次郎と息子でありすぎる賢治

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 宮沢賢治の著作で思い浮かぶのは、「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」「雨ニモマケズ」と言ったところです。「注文の多い料理店」は学校の教科書で読んだ記憶があります。タイトル「銀河鉄道の父」から想像していたのは、宮沢賢治の伝記です。確かに彼の伝記の側面はありますが、視点は彼の父「宮沢政次郎」であり、彼の心象を中心に描かれています。政次郎が賢治に抱く感情を軸に、家長として家族を取り纏める苦労、自分の本心と当時当たり前にされていた父親像との狭間での葛藤を描いています。

 もちろん、賢治の視点で描かれている部分もあります。賢治の生き方、家族に対する言動、彼の心の内も表現されています。しかし、それすらも政次郎との関係の中で描かれている事柄であり、政次郎の心の動きを表現するために存在しています。賢治との関係の中の政次郎の心の動きが、この小説の本質でしょう。家長である政次郎を描くことは、賢治を含む宮沢家そのものを描くことにもなります。結果的に、賢治の人生を描くことにもなります。 

「銀河鉄道の父」の内容

宮沢賢治は祖父の代から続く富裕な質屋に生まれた。家を継ぐべき長男だったが、賢治は学問の道を進み、理想を求め、創作に情熱を注いだ。勤勉、優秀な商人であり、地元の熱心な篤志家でもあった父・政次郎は、この息子にどう接するべきか、苦悩した―。生涯夢を追い続けた賢治と、父でありすぎた父政次郎との対立と慈愛の月日。【引用:「BOOK」データベース】

「銀河鉄道の父」の感想

親像

 求められる父親像は、時代によって大きく変わります。現在の父親像は多様化しています。理想の父親像だと言える定型化したものはないのかもしれない。ただ多くの意見として、夫婦がお互いに対等な関係で家庭を築ける父親が理想的と考えられている気もします。

 しかし、政次郎の時代、明治から大正にかけての父親像は全く違います。政次郎の父「喜助」が体現しているように、家庭の中心で大きな存在感を放っているのが典型的な父親像なのでしょう。いいか悪いかの問題ではなく、それが常識と言うことに過ぎなかったのでしょう。政次郎もそんな家庭に育ち、同じような教育や意識を植え付けられているにも関わらず、喜助のような父親になれません。生来、持っている性質によるものだろうか。外的な影響からは、子供のために奔走したり生活を犠牲にしたりする要素を育むものはありません。それなのに賢治を始めとする子供に対する態度が、従来の父親像に沿うことが出来なかった。特に、初めての子供である賢治に対しては特別に感じます。

 政次郎は父親と子の関係を理性で制御出来ず、積極的に手を出します。政次郎と同じように感じている父親が世間にはいたかもしれない。しかし、多くの父親がそれを押さえつけ、当時の父親像を体現していたのでしょう。政次郎は正直行動したに過ぎないのです。 

治の人生

 政次郎の視点を中心に描かれていますが、彼が見ているのは賢治です。政次郎の人生とともに、彼が見た賢治の人生が物語の中心です。賢治の人生が、賢治だけでなく政次郎や家族に大きな影響を与えています。賢治の人生はどのようなものだったのか。それを知ることで、政次郎や宮沢家が分かってきます。

 賢治が教職に就くまでの人生は、地に足の付かない勝手気ままな様相を呈しています。政次郎も感じていますが、甘えているのでしょう。特に経済的な面に関しては顕著です。賢治は政次郎のおかげで、生きていくのに必要なお金に苦労しません。お金を稼ぐことの難しさを頭で理解していても、最後は政次郎が何とかしてくれると思っていたでしょう。だから、目標がころころ変わるし落ち着かない。興味のあることが変わるのはいいのでしょうが、本当にやりたいことなのかどうか疑問です。賢治は焦っていたのでしょうか。人生の目的を決められず、彷徨っている印象もあります。ただ、東京で原稿用紙に目が留まり詩や童話を書き始めてからの賢治は、まるで別人のようです。郷里で教職を得て、教師と創作を続ける賢治はようやく目的を得たのでしょう。  

次郎の人生

 家族を守る。宮沢家を衰退させない。これが、家長である政次郎にとって最も重要なことです。そのためには、喜助のような生き方が時代に合っているのかもしれません。それが、政次郎自身の意志に反する部分があったとしても。しかし、政次郎はそうしません。父に呆れられながらも、自分の思う行動を取ります。もちろん、全て思い通りではないでしょう。当時では、どうしても我慢せざるを得ない部分もあったはずです。その葛藤が、政次郎を人間として愛着を感じさせる人物像にしています。

 政次郎の賢治に対する接し方も、彼の悩みを表しています。ある時は、賢治の言うことに反対し叱責します。その一方、経済的援助を打ち切ることもなく続けてしまいます。賢治の一人立ちのためには、いつまでも援助すべきでないと思っているはずです。それでも、手を貸さずにはいられません。父親の愛情が、いろんな形で表れてきます。父親と言えども一人の人間ですし、賢治が悩むのと同様に政次郎も悩むのは当然です。政次郎の人生は政次郎自身のものですが、必ずしも、思うように生きられません。彼は、賢治という葛藤の元と向き合いながら生きています。それは、彼にとって思い通りにならないことであっても、辛いことではなく、むしろ幸せだったかもしれません。

終わりに

 宮沢賢治が詩や童話を残した背景にはこんな状況があったのか、と改めて思いました。元々、作家を目指した訳でもなく、将来の目標をふらふらと変えながら生きていた賢治の姿を垣間見ることが出来ます。また、政次郎を通して見ることで、時に冷静に、時に感情的に見る。観察者であったり当事者であったり。その振れ幅が面白い。

 本作に書かれていることの多くは事実でしょう。政次郎と賢治のやり取りも手紙で残ってたりするのかもしれません。しかし、微妙な心の動き・感情などは、著者自身の表現するところもあるでしょう。それでも、現実の二人の思いを代弁している気がします。