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『麦本三歩の好きなもの 第二集』:住野 よる【感想】|あいかわらずだけど、ちょっと新しい日々

ご覧いただきありがとうございます。今回は、住野 よるさんの「麦本三歩の好きなもの 第二集」の読書感想です。

前作に引き続き、主人公「麦本三歩」の好きなものを描いた短編集です。12の短編があるので、各短編はかなり短い。なので気楽に読めます。

図書館員の三歩の平凡な日常が描かれています。大事件は起きません。あくまでも彼女の日常です。しかし、日常であっても、何も起こらないことはありません。起こった出来事が重大かどうかは当人の受け取り方次第です。そういう意味では、三歩の日常は平凡なだけではないのかもしれません。

各短編は独立していますが、それぞれに関連性があります。他の短編で登場した人が再登場したり、出来事が継続していたり。三歩の人生を描いているという側面から見れば、連作短編集と言えます。彼女の成長に共感できるかどうかも重要でしょう。

「麦本三歩の好きなもの 第二集」のあらすじ

後輩、お隣さん、合コン相手ー三歩に訪れる色んな出会い、図書館勤務の20代女子・麦本三歩のあいかわらずだけどちょっと新しい日々。【引用:「BOOK」データベース】

 

「麦本三歩の好きなもの 第二集」の感想

きなものと嫌いなもの

誰にでも好き嫌いはあります。好きな人や物事に出会うとうれしいし、嫌いなものとは距離を取りたい。いずれにしても、好きか嫌いかが決まっているということは、それを意識しているということです。どちらの感情も抱いていないことは無関心の表れです。

どちらかと言えば、人は嫌いなものほど意識します。嫌いと言う感情の方が、好きよりも影響力があるのでしょう。嫌いなものを好きになることもなかなか難しい。

三歩には好きなものがたくさんあります。12の短編で描かれている彼女の好きなものは、他人から見れば取るに足りないものばかりです。例えば、「寝る」であったり、「焼売」であったり、「東京タワー」であったり、「プリンヘア」であったり。直接的に好きなものもあれば、間接的に言い表しているものもあります。人が何かを好きになる時には、間接的な要因が多いのかもしれません。

「東京タワー」にしても、それ自体が好きな場合もあれば、それに伴う出来事や思い出が大きく影響している場合もあります。「焼売」にしても、味覚と関連しているからこそ好きになります。何かを好きになるということは、その人の気持ちの持ち方次第だということでしょう。

好きなものを好きと明確に言えることは、それだけ自分の気持ちに正直と言うことです。また、好きなものが多いということは、それだけ心が澄んでいるということでしょう。嫌いという感情は、負の意識から生まれていることが多い。

三歩にも嫌なことはあるはずです。それを溜め込むこともあるでしょう。しかし、彼女は結構前向きに生きています。ウダウダと考えて前に進めなくなっている時もありますが、それでも何とか動き出します。好きなものを好きと感じることができるからでしょう。好きなものは人を動かすエネルギーになります。

嫌なことと好きなことが一体化していることもあります。怖い先輩に叱られることは嫌なことです。しかし、怖い先輩を嫌いになることはありません。叱られる以外にも多くのことを与えてくれるからです。人に対する好き嫌いと物に対する好き嫌いを同列に扱うことはできませんが。

嫌いなものがあったとしても、好きなものに囲まれて生活したい。そう思うのならば、好きなものを増やしていくことが一番の近道です。三歩に好きなものが多いのであれば、幸せなことなのです。

 

会人三年目

三歩は図書館員三年目です。その割には、前作との違いはあまり感じません。相変わらず新人にような振る舞いです。

彼女に成長が見られない理由は、心構えが十分でないからです。三歩にも後輩ができますが、それまでは一番下っ端のままです。その立場に彼女は甘えたままで三年間を過ごしたのでしょう。三歩らしいと言えば三歩らしいですが。

職業小説ではないので、三歩の仕事風景ばかりを描いている訳ではありません。しかし、職場は三歩の生活の重要なファクターです。彼女の性格や考え方を表しています。社会人は職場で過ごす時間が長いので、一番その人の性質を表します。

三歩ののんびりとした雰囲気や決断力の無さを描くには、職場でも同じように振舞わせるのが分かりやすい。三年目にもかかわらず、仕事に責任感を持ってなさそうに見えるのはそのためです。

後輩ができたことで三歩自身にも焦りが生まれますが、それでも緊張感があまり無いように見えます。何かが起こっても、誰かが何とかしてくれるとどこかで考えています。

社会人としての成長は何をもって成長とみなすかは考え方次第です。仕事を覚えることも重要ですし、失敗しないことも重要です。しかし、それ以上に重要なのは自覚と責任です。給料をもらうからには責任が伴います。責任は自覚から生じます。給料が低くても責任はあります。三歩も努力しているとは思うがあまり伝わってきません。

三年間という年月を経ても、三歩は以前の三歩のままです。そのことを著者は描きたかったのかもしれませんが。

 

歩の成長

三年経っても、彼女はあまり変わっていません。人との接し方や物事に対する態度は二十年以上生きてきて培ったものだから、簡単には変わらないでしょう。しかし、全く変わらないことはありません。

社会人と学生との大きな違いは、責任があるかどうかです。もちろん、学生にも責任はありますが、社会人のそれとは重みが全く違います。社会は理不尽に満ちています。逃げ出すことはできますが、逃げ出すことが身に沁みつくと一人で生きていくことはできないでしょう。

本作は、三歩の人間関係を中心に描いています。図書館の先輩との人間関係。合コンでの出会い。隣に住む女性。偶然再会した女の子。どのような関係性を築いていくのかは三歩次第です。

職場以外では、三歩の意思を大きく反映させることができます。その人との距離感や付き合い方や関係を続けていくかどうかなどです。どのような関係性がいいのかを悩み、答えを出していく姿は、二十歳代の女性とは思えないくらい優柔不断さが滲み出ています。三歩らしいのだが、年齢相応かどうかは微妙です。

職場での人間関係は思うようにはなりません。好きであろうと苦手であろうと、付き合っていかなければならない。そんな中で仕事をしていく内に、社会人としての身のこなし方が身に付いていきます。いい事か悪いことかは別にして、どんな相手であろうとうまくやっていくしかありません。そうやって成長します。嫌な人間関係を続けることを成長と呼ぶことに違和感を持つ人もいるかもしれませんが。

三歩の周りにはあまり嫌な人間は存在しません。どちらかと言えば、いい人ばかりです。おかしな先輩も、決して悪い人ではありません。怖い先輩も理不尽な怖さではない。

三歩は恵まれています。そのことに気付いていれば成長するでしょうし、それが当然だと思ってしまえば成長しません。成長はその人次第ということです。

前作と本作で、三歩はあまり変わり映えしません。本作の終盤で少し成長の色が見えますが、成長後が描かれるのは次作かもしれません。次作があるかどうかは分かりませんが。

 

終わりに

ほのぼのとした雰囲気の中で物語が進みます。安心して読み進めることができますが、三歩の幼さが目に付くところもあります。前作と違う三歩が見えてきてもいいような気もしますが、あまり感じません。

三歩は三年間何をしていたのだろうかという疑問を抱いてしまいます。三年後を描くからには、何らかの変化が欲しかった。後輩ができても、それほど変わった感じもしなかったのは残念です。

最後までご覧いただきありがとうございました。