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『わたしの美しい庭』:凪良 ゆう【感想】|生きづらさを抱えた人たちと、わたしの物語

ご覧いただきありがとうございます。今回は、凪良 ゆうさんの「わたしの美しい庭」の読書感想です。

五編の物語で構成されている連作短編集です。性別も年齢も立場も違う四人の視点(第一話と第五話は同じ視点)で、物語は描かれています。

物語の中心にいるのは、

  • 「縁切り神社」と言われるマンションの屋上にある小さな祠を管理する「統理」と血の繋がっていない娘「百音」
  • 同じマンションに住むゲイの「路有」
  • 39歳の独身女性「桃子」
  • 鬱病で仕事を退職し、地元に戻ってきた「坂口 基」

皆、何らかの生きづらさを感じながら、日々、生活を送っています。普通の生活や人生というものの定義はありません。ただ、五人の環境は周りとは違います。そのことを彼らも認識しています。だからこそ、生きづらさを感じるのだし、実際、疎外感を感じているのでしょう。

五人の生き方は全く違いますが、生きづらさや周りの無責任な視線や言葉に晒されているのは同じです。そんな彼らはお互いの価値観を認め合い、生きています。認め合うということは違う価値観を受け入れる優しさがあるということです。読み進めると、彼らの優しさが伝わってきます。そんな物語です。

「わたしの美しい庭」のあらすじ

小学生の百音と統理はふたり暮らし。朝になると同じマンションに住む路有が遊びにきて、三人でご飯を食べる。百音と統理は血がつながっておらず、その生活を“変わっている”という人もいるけれど、日々楽しく過ごしている。三人が住むマンションの屋上には小さな神社があり、断ち物の神さまが祀られている。悪癖、気鬱となる悪いご縁を断ち切ってくれるといい、“いろんなもの”が心に絡んでしまった人がやってくるがー【引用:「BOOK」データベース】

 

「わたしの美しい庭」の感想

「わたしの美しい庭Ⅰ・Ⅱ」

統理と百音は血の繋がりのない親子です。元妻の娘であっても、引き取って育てるという選択はなかなか簡単にはできません。養子を引き取って育てる人はいますが、元妻の子供という特殊な関係性は周りに無遠慮な関心を抱かせたでしょう。

周囲の人たちが統理と百音の関係を噂したり好奇の目で見たりするのは、二人の関係性の問題です。別れた妻と再婚相手の子供を引き取る理由が、周りの人々には理解できません。理解しがたい感覚が普通だと思います。

しかし、二人の関係は二人が築いていくものであり、周りが余計な心配や口を出す必要はありません。出す権利もない。勝手なことを言えるのは、責任を取ることがないからです。他人事だから好きなことを言えます。

二人の関係性はとても良好です。百音はまだまだ子供ですが、統理は彼女の人格を尊重しています。百音もそのことを敏感に感じるのでしょう。百音も統理を理解し、尊重しています。

百音は、統理のことを「統理」と呼びます。お父さんやパパとは呼びません。養子なので、法的には統理は父親です。しかし、二人にとって親子の形は、法律や一般的な常識に縛られるものではないのでしょう。

ただ、二人がうまくやっていけるのは、百音の考え方に確固たるものがあるからです。年相応に見えない非現実感があるのは否めません。

 

「あの稲妻」

39歳で独身の女性は不幸だ。不幸とは言わないまでも気の毒だ。そんな固定観念はすでに過去のものだと思っていましたが、現実はそうではないのかもしれません。

本作の舞台は地方都市です。東京まで日帰りができても、小さい街なのでしょう。地方ではまだまだコミニュティの中の人間関係は濃い。いい意味でも悪い意味でも、放っておいてくれません。

親は結婚しない娘を心配し、周りの人たちも気を回して見合い話を持ってきます。本人の意向などは関係ないのでしょう。周りの人たちにとって、適齢期(何をもって適齢期というのかは置いといて)を過ぎて結婚しないのは普通ではありません。結婚のために世話をやくのは親切であり、周りの義務だと思っている節もあります。

確かに親の世代では、一定の年齢で結婚して子供を産むのが幸せの形として認識されていたはずです。そんな固定観念に縛られているとしても、親たちの責任ではありません。そんな社会で育ったのですから。

しかし、結婚が人生の大きな出来事だとしても必須ではありません。結婚せずに人生を送る理由も様々です。結婚自体を望んでいない人もいるでしょうし、結婚したい相手に恵まれない人もいます。ひとつの理由だけでなく様々な要素が複雑に絡み合い、結婚をしない人もいます。

桃子が結婚しない理由も、彼女の事情です。相手に恵まれないだけという単純な理由ではありません。それは過去に起因します。取り戻せない事情と彼女の深い愛情と想いです。

桃子に結婚を勧める人たちに悪気はありません。あくまでも親切心です。しかし、親切心だからと言って全てが許され、受け入れられるとは限りません。また、相手を幸せにするとも言えません。

 

「ロンダリング」

性的マイノリティに対する偏見は間違いなく存在します。差別や偏見を無くし、異性愛者と同じ権利を認めるべきだという声も大きくなっています。

結婚などの権利関係については慎重な議論が必要かもしれませんが、性的指向の違いで偏見や差別をすべきではありません。多くの人が一般的な意見として、そのように思っているでしょう。

一方、身近な人がそうだった時に、どのような態度を取ってしまうでしょうか。路有はゲイであることを隠していません。彼は周りの目を気にせず、自由に生きているように見えます。しかし、見えているだけです。現実は厳しいはずです。

彼がカミングアウトした時の親の態度は象徴的なものです。また、彼が会社に属さず自営業のバーを経営していることも、ゲイであることが要因のひとつでしょう。社会は綺麗事を言いますが、現実は冷たい。

路有の元恋人からの手紙が、彼の心を惑わせます。捨てられただけでなく、異性と結婚することがどれほどのショックを受けるのか分かりません。失恋の傷よりも、異性を選ばれた傷の方が大きいのでしょう。二人で築いてきた時間や路有の存在そのものを否定することになるのかもしれません。

ただ、この物語を心から理解できるのは同じ立場に立っている人たちでしょう。異性愛者は、路有の気持ちを理解できても共感はできません。しかし、理解しようとする姿勢が重要なのです。

 

「兄の恋人」

桃子の亡くなった恋人の弟「坂口基」が主人公です。桃子も基にとって重要な役割を果たします。

基は「鬱病」を患い、会社を辞め、地元に帰ってきます。鬱病は他人事ではないくらいに身近な病気です。いつ、誰が、鬱病になったとしてもおかしくありません。それだけ社会が病んでいる証拠でしょう。

鬱病は怪我や一般的な病気と違い、目に見えにくい。また、自分が罹患するはずがないという意識があれば余計に認めません。また、目に見えないだけにやっかいな病気です。悪化すれば、命に関わる可能性もあります。真面目な人ほど鬱病になりやすいらしいので、現状をより悲観的に捉えて泥沼の思考に陥るのでしょう。

基が受けている治療や周りの態度は、鬱病患者に対しては適切なものです。しかし、精神的な病の治療に絶対的な正解はないのかもしれません。また、時間がかかることも、基を不安にさせます。

彼の回復に重要な役割を果たすのが、兄の元恋人「桃子」です。彼女と接し、彼女の態度や内面を知っていくことで、彼の考えも変わっていきます。他人との接触は、何らかの影響を受けます。桃子と接することで、彼は変わります。

 

終わりに

自分が正しいと思っている人ほど無責任で相手を傷つけます。そんな人の考え方を変えることは難しい。固定観念は固定されているからこそ、やっかいなものです。自分自身の生き方や考え方に自信があれば、周りの雑音に惑わされることはないでしょう。難しいことですが。

作中の誰に共感できるかは読者次第です。もし、共感する人がいなくても、理解しようとする気持ちを持つことの重要性は伝わってきます。

最後までご覧いただきありがとうございました。