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『アイネクライネナハトムジーク』:伊坂幸太郎【感想】|ここにヒーローはいない。さあ、君の出番だ。

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 6つの物語で構成される短編集です。それぞれの物語の登場人物が時空を超えて繋がります。各短編が深く関わり合っています。「出会い」をテーマにしていながら、伊坂幸太郎が書くと恋愛小説も少し独特です。彼の個性が光ります。

 著者のあとがきで触れていますが、執筆のきっかけはミュージシャンの斉藤和義です。彼からの作詞依頼が発端で出会いをテーマにした小説が生まれます。この小説を元に斉藤和義が作詞したので共同作業と言えます。

 著者は斉藤和義の大ファンを公言していて、彼と仕事をしたいという願望から「アイネクライネ」が生まれます。「ライトヘビー」はその流れから執筆され、斉藤和義のシングルカットの初回限定版の付録になります。著者にしてみれば、付録にしてもらえる嬉しさがあったのかもしれません。

 残りの短編も「出会い」をテーマに執筆されることになります。普通の人々の何気ない日常の中にある出会いは、その人にとっては特別で大事なものです。恋愛を描くのではなく出会いを中心に描きます。出会う前だったり、出会って数年後だったり。 

[:contents] 

「アイネクライネナハトムジーク」の内容

妻に出て行かれたサラリーマン、声しか知らない相手に恋する美容師、元いじめっ子と再会してしまったOL…。人生は、いつも楽しいことばかりじゃない。でも、運転免許センターで、リビングで、駐輪場で、奇跡は起こる。情けなくも愛おしい登場人物たちが仕掛ける、不器用な駆け引きの数々。【引用:「BOOK」データベース】 

「アイネクライネナハトムジーク」に感想

イネクライネ

 本短編集の執筆のきっかけです。ここから出会いをテーマにした物語が始まります。出会いそのものを描いていません。主人公の佐藤が出会いを求めていますが、そもそも出会いとは何なのでしょうか。

 わがままで自分勝手な織田一真と大学時代の高嶺の花だった織田由美は今でこそ夫婦ですが、どこに接点があって出会ったのだろうか。その出会いをサッカーで例えているのが面白い。二人が夫婦になるとは誰もが考えていなかったでしょうが、何らかの運命的な出会いがあったはずです。

 出会いを求める佐藤と過去に出会いを経験した二人が出会いについて話します。出会いに理想を求める佐藤は、織田一真から見れば理想を追い求めているだけなのでしょう。由美が言った次の言葉が心に響きます。

その時は何だか分からなくて、ただの風かなあ、と思ってたんだけど、後になって、分かるもの。ああ、思えば、あれがそもそもの出会いだったんだなあ、って。これが出会いだ、ってその瞬間に感じるんじゃなくて、後でね、思い返して、分かるもの

 佐藤がアンケートで出会った女性に工事現場で再開しますが、これを後々「出会い」にするかどうかは彼次第です。出会いがテーマながら、出会いの形を特定しません。出会いの奥深さを感じます。 

イトヘビー

 物語の結末は早い段階で予想出来ます。香澄の弟がウィンストン小野だということも想像しやすい。香澄の言動でも分かりますし、彼女が既婚であることが決定的です。二人の名字が違うことの理由がはっきりするからです。

 香澄の弟と美奈子の「出会い」は、初めての電話をした時です。恋人の運命的な出会いにするためには告白が必要です。告白をすることなく電話での話相手のままだと運命的な出合いになりません。しかし、美奈子も弟もなかなか動きません。一年間も電話の話し相手のままです。ただ、顔も会わせない状態で一年間も続くのだから友達以上の感情を抱いています。動けないのは、現状の居心地の良さもあるのでしょう。

 斉藤さんの存在が二人の決断を促すことになります。謎めいた斉藤さんの存在も面白い。圧倒的な存在感を放ちます。著者が斉藤和義のファンだということが伝わってきます。弟が試合に勝つことで、遡って出会いが生まれます。 

クメンタ

  「アイネクライネ」の藤間が再登場します。妻が出ていった理由が「性格の不一致」です。一番ありがちですが、どちらが悪いという訳ではないので一番始末が悪い。性格を変わらないものとして許容できるかどうか。許容出来なければ不満は積み重なり、いつか爆発します。

 妻の不満を薄々感じていても、深刻に捉えていないことが藤間の問題でした。それが性格だと言ってしまえばそれまでですが。藤間夫妻の別居の原因を描くのではなく、二つの「出会い」を描きます。

  • 藤間と運転免許センターの女性との出会い
  • 妻との出会い

 藤間にとって、別居は出会い自体まで否定されたような気になるのでしょう。運転免許センターの女性を自分の未来のように見据えるのは、自身の責任から逃避しているようにも見えます。性格の不一致や配偶者との関係が鏡を見ているようだったことから仕方ないのかもしれません。

 女性が別居に至った根拠・理由・解決を知りたい。他人任せですが藁にも縋る気持ちです。免許センターの女性の現状次第で、藤間の未来が明るいかどうかが決まる訳ではありませんが。

 彼女は復縁しています。藤間にとっては明るい未来への道筋に見えます。女性と同じように預金通帳にメッセージが来ていると考えるのは都合が良過ぎますが、メッセージがなければ自分の方から送ろうと思えるほど積極的に関係を戻そうとする変化があります。結果は描かれません。 

ックスライフ

 若い男女と高校生の二つの時間軸で進んでいきます。高校生の織田美緒は一真と由美の娘なので、第一話の10年後くらいの話になります。若い男女と高校生の関係性はどこにあるのか気になりますが、それぞれの物語の行く末も気になります。

 「高校生」では美緒の積極性と美しさが描かれます。一真と由美の娘らしい。和人は今の高校生らしい。父親に対する嫌悪感は高校生ぐらいなら普通に抱く感情です。社会を経験したことのない子供の甘えにも見えます。

 駐輪場の料金60円を巡る犯人探しですが、美緒と和人の目的の違いから意気込みに温度差があります。彼の思いと彼女の行動のすれ違いが面白みを増します。男子高校生らしい行動に共感してしまいます。

 「若い男女」の出会い方も面白い。男性なら若い(好み)の女性を助けたいと思います。その手法に独創性があります。

「こちらがどなたの娘かご存知ですか」作戦

 人の感情を揺さぶる面白い行動であり、邦彦の外見や雰囲気も作戦に合っています。男女が出会うきっかけとしては、劇的な部類に入るのではないでしょうか。助け方は微妙な作戦でしたが。ただ、特殊な環境での出会いは長続きしないのでしょう。これも性格の不一致であり、どちらが悪い訳でもありません。

 結末での人間関係の明かされ方に「こちらがどなたの娘かご存知ですか」作戦を持ってくることに感心します。この作戦が再登場することで、深堀先生=朱美になり、和人の父親=邦彦へと繋がります。二つの物語が過去と未来だと判明します。

 男子生徒にも人気のある担任が、父親の元カノと知った時の衝撃は計り知れません。軽蔑していた父の意外な一面ですし、結末での4人のやり取りに引き込まれます。邦彦と朱美の別れ方は悪い別れ方ではなかったのでしょう。だからこそ温かい。 

イクアップ

 これまでの物語とは趣が違います。再会という出会いですが恋愛と違います。結衣の辛い過去は消えていません。いじめた方は忘れても、いじめられた方は忘れられません。結衣も忘れようと努力していても、完全に忘れることは出来るはずがありません。亜季との再会が結衣にもたらすものは何でしょうか。

 結衣にとっては再会だが、亜季にとっては仕事上の新しい出会いです。結衣が復讐を望むかどうかはありますが、立場は復讐を可能にしています。復讐するためには負の感情を最大限に引き出す必要があります。しかし、自らも傷つきます。復讐に足踏みするのは、自分の生き方の問題も関わってくるからです。復讐しないことを選択することも彼女の人間性であり、負の感情を引き出すこともなくなります。亜季を見定めるのは復讐をしたくないからかもしれません。

 亜季が騙されるかもしれないことを見て見ぬ振りするのは復讐のひとつかもしれませんが、許容できる範囲内です。恋愛短編が続いた中で新しい感覚で読めます。 

ハトムジーク

 ウィンストン小野を中心に描きながら、これまでの5編を繋げていきます。各短編の時間軸・人物の関係性・出来事が繋がっていく気持ち良さがあります。多少強引なところもありますが、それも含めて一気に繋げていく爽快感があります。

 ここで描かれる重要な出会いは、ウィンストン小野といじめられていた高校生との出会いです。ウィンストン小野は高校生の人生に大きな影響を与えます。そしてラウンドボーイになった高校生がリングでウィンストン小野と再会します。ここでは彼がウィンストン小野の試合(人生)に大きな影響を与えます。出会いは恋愛でも友情でもそれ以外でもお互いの人生に影響を与えます。人は関係性の中で決断し生きています。

 「ナハトムジーク」は各短編の奥深さも表現しています。嬉しさ・温かさ・感動などの様々な要素が詰まっています。物語の重要な決断の元として斉藤さんが存在しています。ウィンストン小野にとって重要な人物であり、彼以外にとっても重要な人物です。斉藤さんの存在感をここまで強くしたのは、著者の斉藤和義に対する思いからでしょう。 

終わりに

 どの短編も心が温かくなります。普通の人々の何気ない出会いが特別なものへと変わり、各短編の登場人物が交錯しながら物語が絡まっていきます。彼らは、ある時は主人公になり、ある時は脇役になります。

 人生の主役は当然自分自身であり、周りの人間は脇役です。それは自分の視点から見た時です。他の人から見れば、自分は脇役になります。誰もが主役であり脇役でもある。出会いは重要なイベントです。何故なら主役が経験することだからです。