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『ペスト』:アルベール・カミュ【感想】|人はどう振る舞うのか?

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 こんにちは。本日は、アルベール・カミュの「ペスト」の感想です。

 

 新型コロナウィルスの世界的流行により、カミュのペストが俄かに注目を浴びています。発行部数は100万部を超えました。新型コロナとペストを繋ぎ合わせてしまうほど、コロナに対する不安は大きい。

 ペストは過去3回、大流行を起こしています。当時の医療技術では致死率は高い。14世紀の流行では、ヨーロッパだけで全人口の1/4~1/3が死亡したと言われています。人数にして2500万人です。新型コロナと完全に同一視できないし、当時と医療技術も違います。しかし、人の考え方と行動様式はさして変わらないということだろう。

 ペスト自体の恐ろしさも描いていますが、それ以上に都市封鎖による人々の心象や行動が主軸です。徹底した都市封鎖はペストの脅威の大きさも示しています。一度罹患すれば、ほぼ助からない病疫と暮らす日々です。逃げることはできない。終わりは見えない。終わらせることもできない。それでも日常は営まれます。

 医者として、住民として、神父として、ペストに立ち向かいます。それぞれの立場でペストと都市封鎖を見ます。閉じ込められた極限状態は、人をどのように変え、また変えないのだろうか。

「ペスト」の内容

アルジェリアのオラン市で、ある朝、医師のリウーは鼠の死体をいくつか発見する。ついで原因不明の熱病者が続出、ペストの発生である。外部と遮断された孤立状態のなかで、必死に「悪」と闘う市民たちの姿を年代記風に淡々と描くことで、人間性を蝕む「不条理」と直面した時に示される人間の諸相や、過ぎ去ったばかりの対ナチス闘争での体験を寓意的に描き込み圧倒的共感を呼んだ長編。【引用:「BOOK」データベース】  

 

「ペスト」の感想

市封鎖がもたらす閉塞

 ペストの発生は、出ることも入ることも許されない徹底した都市封鎖をもたらします。拡大防止の措置ですが、切り捨てられたと考える人も出るはずです。都市封鎖は感染を広げないための最も有効な手法です。拡がる前に手を打てば効果を上げるだろう。ペストの致死率を考えれば当然の措置かもしれません。

 ペストの治療法はない。病因も特定されていない。確実な感染防止策もない。人々がどれだけ死ぬかも分からない。感染が拡大し続けるのか、終息するのかも分からない。ある程度の大きさの都市であっても、移動の自由を奪われたことはとてつもないストレスと不安だろう。しかも死の病とともに暮らす日々です。 

 封鎖された人々も理屈では分かっているかもしれません。しかし感情は別物です。ペストで死にたくないし、罹患する前に自分だけは脱出したいと思うのが自然です。何故、自分自身がペストとともに生きなければならないのだろうかと問わずにはいられないだろう。

 一定の隔離期間を経て街から出れば問題ないし、全員を封じ込める必要もありません。しかし、ペストは死の病です。どこから来たのか分からない。分からない以上、外部の人間は安全策を取ります。閉じ込められた人たちは死の宣告を受けたように感じるだろう。もちろん全員の死とは限りませんが。

 閉塞感の最も大きな理由は終息が見えないからです。人の力で終わらせることは難しい。ワクチンや治療薬ができるのだろうか。間に合うのだろうか。何もかもが見えてきません。逃げ出せない閉塞に人々は耐えられるのだろうか。

 

ち向かう人、共生する人

 リウー医師を中心に描かれます。彼はペストに正面から立ち向かいます。ペストが死の病だとしても、医者としてやるべきことはやる。諦めは何も生まない。医師としての行動だが無力感は付き纏います。

 リウー医師は立ち向かい続けますが、心は不安定に揺れ動きます。人間の力の限界が見え、対症療法の限界も見えます。ワクチンや治療薬に期待を抱きますが、悲観的な展望しか見えないだろう。

 圧倒的な力を持つ敵に立ち向かい続けるには、大きな精神力が要ります。結果が出ればエネルギーになりますが、明確な結果は見えてきません。それでも彼は持ちこたえようとします。彼には一緒に戦う仲間がいたからです。

 カステル医師。よそ者でありながらペストに立ち向かうジャン・タルー。オランに留まり、ペストと戦う決意をした新聞記者レイモン・ランベール。作家志望の役人ジョセフ・グラン。様々な過程を経て、彼らはペストに立ち向かいます。また、立ち向かう決意をします。待っているだけでなく、動く方が閉塞を忘れるのかもしれません。ペストの恐ろしさを目の当たりにすることになったとしてもです。

 一方、ペストと共生することを選ぶ者もいます。自身の力は何の役にも立たないという思いからです。住民の大多数は消極的な共生を選んでいるのだろう。彼らは詳細に描かれません。詳細に描くことができないほど、大多数の人間の態度なのだろう。

 コタールは積極的な共生を選びます。犯罪者のコタールにとって、ペストは都合の良い存在です。大きな脅威だからこそ、他のあらゆることを後回しにします。終わりの見えないペストの流行は、彼に自由をもたらします。終わりは見えませんが、間違いなくいずれ終わります。それすらも忘れさせてしまう恐ろしい病疫なのだろう。

 ペストという病疫。都市封鎖。同じ境遇でも、向き合い方は全く違います。極限状態に陥った時、人は本性を出します。人によって様々であり、変化の仕方も様々です。 

 

めと慣れ

 描かれない大多数の住民たち。恐怖から逃れるために様々な行動を取ったはずです。家から出ない。街から脱出しようと試みる。しかし、正面から街を脱出すること不可能です。裏の世界では可能であることが、住民全員という訳にはいかないだろう。

 彼らにも日常生活があります。オラン市は大都市ではありませんが、小さい街でもありません。都市封鎖は外部との流通が止まり、食料不足も起こります。封鎖といっても見殺しではないので徐々に改善されていくようですが、家にこもりきりで過ごし続ける訳にはいきません。生活がある以上、街を機能させなければならない。ペストがあっても、ある程度の日常を送らなければなりません。

 身内にペスト患者が出なければ、ペストのある環境にも慣れてくるだろう。また、自分だけは大丈夫だと思い始める。正常性バイアスが働きます。それが慣れに繋がっていく。自分もしくは自分の近辺にペストは振りかからないと思い込みます。

 身内にペスト患者が出た者たちは、慣れるのではなく諦めるのだろう。警戒しても防ぎきれないのならば、諦めるしかありません。立ち向かう選択肢もありますが、厳しい選択です。

 ペストの始まりとともに罹患した者の家族たちは、最初から諦めている。しかし、大多数の住民は、慣れからペストを過小評価し始めるだろう。そして、ペストが身近に振りかかり諦めへと変わっていきます。個々人の心象や行動は千差万別です。しかし、集団として見れば、多くの人々の心は大きく二つに分けることができます。

 新型コロナも同じかもしれません。脅威から始まり、慣れ、そして諦めへと移る。日本の状況は慣れだろうか。医療技術の高さや情報の多さも影響しているだろう。しかし、多くの国では諦めへと移行しているのではないだろうか。

 

終わりに

 新型コロナとペストに共通点はあるだろうか。日本は都市封鎖をしていません。都市封鎖を理解できても実感はありません。

 新型コロナは正体が分かっています。予防法も分かっています。ワクチン開発も進んでいます。いつ終息するのかは分かりませんが、人の力で終わらせることはできるだろう。人の技術は進歩しました。しかし、本作に注目が集まるのは、人の心と行動はあまり変わっていないからだろう。

 リウー医師は、ペストはいずれどこかで現れることを確信しています。新型コロナも同じです。人々は感染症から逃れられません。人類の一歩先を進んでいるのが、感染症なのかもしれません。