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『十字架のカルテ』:知念実希人【感想】|罪を犯した本当の理由とは

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 こんにちは。本日は、知念実希人氏の「十字架のカルテ」の感想です。 

 

 精神疾患と刑法を扱った小説は多々あります。重大犯罪が起きると、刑法39条に焦点が当たります。

  • 心神喪失者の行為は、罰しない。
  • 心神耗弱者の行為は、その刑を減軽する。

 この条文に当てはまれば、どれだけ残虐な事件であろうと刑法上の罪は問われなかったり軽減されます。もちろん釈放されることなく措置入院などを通じて強制的に医療施設に収容されますが、その辺りの手続きあまり詳しくないので言及しません。焦点になったり、人々の注目を浴びるのは、この条文に疑問を抱いている人が多いからかもしれません。

 本作は、鑑定医の視点から犯罪を描いています。鑑定結果は判決に影響を与えますが、どれほどの影響力があるのだろうか。影響力次第で判決が全く異なってくるだろう。 刑法39条と少年法はともに注目を浴びやすい。世間は犯罪に見合った刑罰を与えることを望みます。二つの法は社会の要請に合致しているのだろうか。 

「十字架のカルテ」の内容

心の闇を暴くミステリーの新境地!罪を犯した本当の理由とは―精神鑑定医・影山司が繰り広げる、究極の頭脳戦。【引用:「BOOK」データベース】  

 

「十字架のカルテ」の感想 

は誰に?  

 警察は犯罪者を捕え、事件の真相を調べます。犯罪の全容に加え、犯人の動機もです。被害者にとっても動機は重要です。ただ、動機を知ることは犯人に対する憎しみを深くするが和らげることはない。犯罪が残虐なほど罪は重くなります。被害が同じであっても、動機で判決が変わるのは被害者や遺族には納得できないことだろう。

 犯人の人生(生い立ち)も影響します。確かに酷い人生を歩んできた犯人は同情に値するかもしれません。しかし、犯行を犯すことに直接的に結びつきません。

 精神疾患はどうだろうか。疾患は患者の責任ではありません。誰も精神疾患になろうと思ってる訳ではありません。疾患により、本人が意図しない動機で犯罪を犯す。そもそも動機があるかどうかも分かりません。

 犯罪を犯す意図のない者が、精神的な不安定さゆえに罪を犯す。その不安定はその人の責めに帰さない。そのことが明確なとき、誰が罪を背負うのだろうか。悪意のある加害者がいないとき、罪は存在しなくなるのだろうか。死者が出たとしてもです。

 刑法39条により罰せられないとき、罪は宙に浮いたまま行き先を失います。償うべき者がいなくなったとき、被害者たちはどこに怒りを向ければいいのだろうか。被害者の視点に立てば、刑法39条は理不尽な法です。一方、罪に問えないほどの精神状態も存在します。

 人が人を裁くことに完全さを求めることはできません。罪の行き先が常に加害者だと限らないのも仕方ないことだろうか。償うべきは一体誰なのか。常に問われることです。 

 

常な判断とは?   

 心神喪失とは、精神の障害により是非の弁別能力または行動を制御する能力を欠く状態です。 心神耗弱は、心神喪失ほどではないが心神の正常な働きがいちじるしく困難な状態です。どちらも精神状態が正常な人間なら選択しないことを選択してしまう状態です。すなわち正常な判断ができない。

 精神疾患によりそのような状態に陥ることはあるだろう。何かをきっかけに行動を起こすとき、通常選ぶべきこと、選んではいけないことを認識できない状態です。疾患が本人の責任でないなら、選択も本人の責任ではないということです。

 大事なのは、「精神の障害により」ということです。そもそも殺人を行うこと自体、正常な判断能力がないのだろう。作中でも、そのように考えている人物が登場します。殺したいほど嫌いな人間がいたとしても、正常な判断力があれば実行しません。殺人を犯す人間はどこかに正常でない部分があるのだろう。

 精神鑑定医により心神喪失または心神耗弱と診断されれば、刑法39条の適用の可能性があります。診断されるかどうかで結果は変わってしまいます。正常な判断ができたかどうかの診断は難しいだろう。病名がつかなくても、心神喪失や耗弱の判断がされることもあるだろう。

 先ほども述べたように、殺人を決意し実行できる段階で正常とは思えません。その決断の根拠、きっかけをどこに求めるかです。正常な判断ができるかどうかでなく、できなくなったきっかけが精神疾患なのかどうか。精神鑑定が医師によって行われる理由はそこにあるのだろう。 

 

療と法    

 被害者にとっては結果が全てだから、刑法39条を理解できたとしても納得できないだろう。納得しがたい理由は、精神疾患が目に見えにくいからです。詐病の可能性が否定できません。また、精神鑑定医によって鑑定に差がでることもあります。絶対的な判断だと受け入れることができない理由のひとつだろう。

 精神鑑定が裁判の重要な要素なのは間違いありません。しかし、重要な要素であっても、診断だけで刑法39条を適用するかどうかを決めることはないだろう。様々な状況を考慮し、判断するはずです。精神鑑定の絶対性が確立していない証拠かもしれません。   裁判は司法が行います。医療が行う訳ではありません。医療に従うだけでは、法は独立性と信頼を失うだろう。法は社会の信頼と信用を得ることで有効に運用されます。刑法39条を適用するかどうかの判断を裁判官が行うのは当然です。法の信頼を守るのは医療でなく司法です。だからと言って、精神鑑定医が不要だとは思いませんが。 

 

去の精算   

 本作は、犯罪と精神疾患と刑法39条に対する問題提起も含んでいますが、精神鑑定医「弓削凛」を主人公にしたミステリーです。精神鑑定医の難しさと必要性、重要性も語られています。

 連作短編の主軸は弓削凛の過去の精算です。精神鑑定と刑法39条に最も疑問を抱いているのは彼女です。彼女は被害者ではありません。しかし、被害者に近い場所にいました。その時に、彼女は刑法39条の理不尽さを突きつけられた。

 精神鑑定医になったのは、親友を奪った事件の犯人と真相を知ることが目的です。同時に、精神疾患と判断した鑑定医を知るためでもある。鑑定医のことを知るには鑑定医になればいいからです。親友の死の真相を知ったからといって納得する答えが出るとは限りません。しかし、納得するかどうかの判断材料は入手できます。

 精神鑑定を通じて、事件に隠された真実を明かしていくことが本作のミステリーの醍醐味です。精神鑑定医だからこそ気付く真実があります。それをうまく取り込んでいます。 

 

終わりに  

 弓削凛の成長を描き、結末で彼女の人生も救います。都合のよい展開は否定できませんが、読み応えはあります。精神鑑定医という普段はあまり意識しない職業のことを知れるのも良い。現実に即しているかどうかは判断できませんが。

 結末で弓削凛は精神鑑定医として生きていくことを決意します。それは、精神鑑定が裁判に影響を与えることを受け入れたということです。刑法39条の存在も受け入れたかどうかは分かりません。39条が存在するのだから、精神鑑定医としてできることをしようと思ったのかもしれません。晴れやかな結末ですが、肝心なところはぼやかされた気もします。