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『悪意』:東野圭吾【感想】|犯人が決して語らぬ動機

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 こんにちは。本日は、東野圭吾氏の「悪意」の感想です。 

 

 加賀恭一郎シリーズ第4作。ひとつの事件が、加賀と野々口のふたつの視点で描かれます。同じ事件であっても、それぞれの立場では全く違う見え方がします。事件の当事者なら誘導することも可能だろう。

 本作の舞台は殺人事件です。事件自体はそれほど複雑ではありません。被害者の人間関係もそれほど大きく広がっていかない。殺害時、付近にいた人間も少ない。行きずりや強盗犯という可能性も引っ越し直前ということで除外されるように設定されています。

 容疑者は妻の理恵と幼馴染みで友人の野々口です。事件は一見深く計画されていないように見えます。あくまで表面上ですが。物語が始まり、かなり早い段階で犯人は逮捕されます。加賀の推理により犯人を追求し自白させる。ここまででも十分にミステリーです。

 しかし、まだまだ物語は残っています。本作の核心は逮捕後にあります。それは動機です。動機は心の内の問題です。様々な証拠や状況から想定できても、真実は犯人しか分かりません。 

「悪意」の内容

作家・日高邦彦の家は高級住宅地にある。もうすぐバンクーバーに行く彼は家の借り手を探していたが、ところかまわず糞をする隣の猫を殺してしまう…。【引用:「MARC」データベース】  

  

「悪意」の感想 

記という仕掛け   

 野々口の手記が重要な役割を果たします。事件捜査は証拠と証言によって進められていく。被害者の人間関係も重要です。野々口は被害者の友人であり幼馴染でもある。しかも事件直前に会っています。警察としても、彼の手話を無視できません。

 ただ、手記は必ずしも真実とは限りません。そのことは警察も理解しているが、捜査と齟齬がない部分は信じてしまうだろう。一部でも真実が記載されていれば、全てが真実だと信じてしまうものかもしれません。

 野々口の手記と加賀の捜査が交互に描かれます。犯人逮捕までの過程はそれほど難しくありません。手記と捜査の齟齬はすぐに見つかります。警察の捜査は緻密で慎重です。野々口が作家と言えども、全ての辻褄を合わせるのは無理なのだろう。

 では、何故、野々口は手記を書いたのだろうか。警察の捜査を撹乱する意図もあったはずだが、それ以上のものが隠されています。野々口が早い段階で逮捕されていることからも分かります。

 本作の本質は野々口の動機です。何故、日高を殺したのか。心の奥底に潜む動機を解明することの難しさが伝わってきます。 

 

察の目的   

 警察の目的は犯人を逮捕することです。逮捕し、供述を引き出し、物証も揃っていれば、それ以上追求する必要があるのだろうか。もちろん、動機は事件の重要な鍵となります。その鍵は犯人逮捕のための鍵であり、逮捕後においては重要度は下がるかもしれない。

 動機は裁判においては重要だろう。場合によっては判決に影響する。しかし、疑問を挟む余地のない犯人をすでに確保している場合、警察が動機を追求する必要性は低いだろう。実際、加賀が野々口の動機を追求し続けることに、上司はいい顔をしません。

 警察は実際的な組織です。犯罪が起これば、犯人を捕まえます。社会の安定と安全のために行動する。警察も犯人も人間だから、心の部分を無視することは難しいだろう。それでも犯人が逮捕されれば、次の事件に捜査は移る。

 加賀の行動が許されるのは、彼が優秀だからだろうか。優秀であればなおさら解決した事件に関わらせておくのは許されない気もしますが。 

 

賀の違和感   

 事件の真相に辿り着いたのは、加賀の違和感です。手記と聞き込みの小さな齟齬から、野々口に疑いを向けます。手記がなくても、状況から野々口に疑いが向くのは時間の問題だったかもしれないが。

 しかし、自白させるにはそれなりの証拠と説得力が必要です。野々口は簡単に落ちた印象が強い。だからこそ、加賀は違和感を感じたのだろう。外形的な違和感でなく、野々口の内面に存在する違和感です。この事件には隠された真相があると確信したのだろう。加賀と野々口の過去の接点が描かれているのもそのためかもしれない。

 違和感の決定的な根拠を最初から抱いていた訳ではないだろう。しかし、違和感自体を否定する根拠もない。そんな時に信じるのは自分自身であり、信じるに足る経験です。

 野々口はその違和感さえも計算していた気もします。野々口にはどうしても隠したいことがある。そこに辿りつかせない時にはどうしたらよいのか。違う場所に目を向かせればいい。逮捕されることが既定路線なのも、野々口の策略に気付かせることなく、事件に幕引きさせるためです。野々口の思惑通りの事件の背景を確立させてです。

 違和感の理由を説明することは難しい。何かが引っ掛かるが、それを解明するのは難しい。何をとっかかりにすればいいのか。だからこそ、自身を信じる強い精神力が必要なのだろう。 

 

む闇 

 事件の背景は簡単ではありません。人を殺すことは尋常な精神ではできません。突発的、感情的でなければ相当の理由が要ります。加賀は二人の過去まで遡り、理由と動機を探っていきます。

 計画的な殺人には相当な負のエネルギーが必要です。何が負の感情を抱かせたのか。増幅させていったのか。何がきっかけで殺人へと踏み出したのか。犯人が話さなければ、探さなければならない。それが人生を遡ることなのだろう。

 人の心は他人には見えません。また、同じ物事を見ても、人によって受け取り方は違います。加賀は、野々口の過去を遡るため過去を探りますが、得られる情報は必ずしも統一的ではありません。少なくとも野々口の手記の信憑性を下げることにはなりますが。

 殺人の動機で分かりやすい理由は復讐です。ただ、先入観を持ってしまえば、それを補完する証言しか印象に残りません。理由を知るためには、何もかもを検証する必要があります。

 野々口の動機は具体的な理由です。しかし、隠し続けるために取った行動は人の道を外れた。どこかに負のエネルギーがあった。自分の意に反した行動を取り続けたためだろうか。野々口が特殊な人生を歩んだ訳ではありません。誰にでも起り得ます。道を踏み外すかどうかは自身の心だろう。 

 

終わりに

 動機に焦点を当てたミステリーです。事件自体がすぐに解決したからこそ、動機が気になります。加賀が事件から離れられないのも分かります。

 人の心が形成されていく過程で生まれてくるものは、明暗分かれるのだろう。野々口の真実が明かされていく過程に引き込まれていきます。