こんにちは。本日は、 塩田武士氏の「騙し絵の牙」の感想です。
大泉洋の写真が表紙を飾ります。作中にも彼の写真が挿入されている。塩田武士氏が大泉洋をイメージしてあてがきをしているのだから、読み進めれば大泉洋が頭に常に浮かびます。だからと言って、何もかもが大泉洋に忠実ということではありません。引っ張られ過ぎていない。あくまでも、速水輝也という人物の物語です。
タイトル「騙し絵の牙」の意味は結末付近で分かります。良い印象を抱くタイトルではありませんが、読後に悪い印象が残ることはありません。本作は本当にいろんな出来事とそれに関わる人々の気持ちが描かれています。人が生きるということは、多くの人々と関わることを意味します。速水輝也の生き方を見ることは、人生そのものを見ることなのだろう。
「騙し絵の牙」の内容
出版大手「薫風社」で、カルチャー誌の編集長を務める速水輝也。笑顔とユーモア、ウィットに富んだ会話で周囲を魅了する男だ。ある夜、上司から廃刊の可能性を匂わされたことを機に組織に翻弄されていく。社内抗争、大物作家の大型連載、企業タイアップ…。飄々とした「笑顔」の裏で、次第に「別の顔」が浮かび上がり―。【引用」「BOOK」データベース】
「騙し絵の牙」の感想
組織と個人
組織は個人の集合体です。人には個性があり、考え方も生き方も全く違います。しかし、組織に属すると組織の論理に絡めとれていく。組織の論理とは、発言力の強い人間の論理でもあります。発言力は権力と強く結び付いている。
組織自体に意思はありません。あくまでも所属する個人の意思に過ぎません。しかし、組織自体が意思を持つかのように感じることもあります。個人の集まりに過ぎない組織を維持するために、個人を犠牲にしていくことも多々起こります。速水の編集する雑誌「トリニティ」はまさしく、その犠牲になろうとしています。
出版社は一企業に過ぎないから、利益を追求するのは当然です。一方、出版されるものは文化的側面も持ち合わせています。速水の守ろうとしているのは小説です。トリニティ自体を守ろうとしてしていますが、その思いの源泉は小説を出版する場所を守ることです。そのために、権謀術数が溢れる会社の中であがき続けることになります。
誰でも自分の仕事に誇りを持ちたいと思います。誇れる仕事をしたいと願います。また、形になったものは失いたくありません。何かを生み出す仕事をしていれば当然です。
しかし、組織は違います。組織はそれ自体が存続するために行動します。仕事の成果があるから組織が成り立っているのに、それを理解しなくなっていくのだろう。組織があるから仕事が成り立つと考えるようになります。どちらが先かと言えば、仕事が先の気がしますが。速水はトリニティのために身を削っていきます。そこまで小説に拘る理由は結末で描かれることになります。
速水は読者に向き合うことから、徐々に組織に向き合うようになっていきます。どのようにしてトリニティを存続させるか。その一点しか目に入りません。視野が狭くなり、読者は置いていかれてしまいます。
組織は時に方向を間違えます。それに気付いたとしても止めることはできないのだろう。速水を見ていると、組織に対する個人のちっぽけさを感じてしまいます。
信念と妥協
信念だけでどんな困難も乗り越えられるほど社会は甘くないだろう。人が集まれば、違う考えの人間もいます。自身の信念が通用するとは限りません。そういう時は、意見を調整しなければなりません。誰もが納得できる落としどころがある。調整という名の妥協です。社会で生きていくためには必須の技術です。
信念を貫くには、納得できないことも飲み込まなくてはなりません。清濁併せ呑む必要がありません。そのような人間の方が求められるし重宝されます。
速水はトリニティを守るという信念と、その中にある作家を守るという信念のために、会社の無茶な要求を満たそうと奔走します。信念を貫こうとすればするほど、信念とは真逆の方向へと進んでいく。
小説を発表する場はかなり減っている。忸怩たる思いで過ごしていただろう。しかし、まだまだ対岸の火事であったかもしれません。小説「薫風」が廃刊になり、より現実的に捉えるようになったのだろう。
速水の必死の行動はトリニティと小説を守るためです。だからこそ、速水は意にそぐわない要求にも答え続けたのだろう。組織における上下関係の絶対さも思い知らされます。
その上司でさえ、権力争いで必死です。妥協は心を折ってしまうこともあります。そうならないためには信念を保ち続ける必要があります。信念は心の問題であり、貫き通すのは実際的な行動と結果です。その行動が信念を揺らしていくことも起こります。
速水はトリニティを廃刊にしないために奔走しますが、自身の行動に疑問を抱くようになります。信念のために、あらゆることを犠牲にしていいのかが頭に張り付いていたのかもしれません。
修復と諦め
速水の家庭も描かれます。速水は仕事人間です。小説が好きで、編集が好きなのだろう。時間の大半を仕事に注ぎ込めば、家庭で過ごす時間は減ってしまいます。次第に夫婦間の意志疎通は疎かになります。愛情があれば、時間は関係ないというのは理想だろう。愛情と費やす時間は緊密に関わり合っている。
結婚に至るまで、また、結婚当初はお互いの愛情を認識しているはずです。しかし、恋愛感情が一生続くとは限りません。家族としての愛情へと変化していくだろう。家族としての愛情は新たに育んでいかなければなりません。速水はそれを疎かにした。
妻は家で孤独に耐えなければならなくなりません。子供がいたとしても、心の空白は広がっていきます。速水には仕事があるが、妻には家庭しかありません。家庭の基礎は夫婦関係です。徐々に家庭が失われていくことは、自身の存在が失われていくことです。夫婦の関係はどこかで修復できない一線を越えるのだろう。速水も気付いていたのかもしれません。
速水は形だけの夫婦であっても壊すつもりはなかっただろう。仕事があり、不倫もしています。妻に不満があっても見ないようにすればいいと思っていたのだろう。妻の万引きが二人の関係を決定的に壊し、離婚へのきっかけになります。しかし、関係の修復の最後のチャンスだったのかもしれません。速水はそれを放棄しました。すでに、修復は不可能だったのだろう。諦めを一度抱くと、元に戻すほど人の心は強くない。
二面性
速水がもうひとつの顔を見せるのは結末付近です。しかし、ふたつに見えるのは、あくまでも見る側の問題です。速水に二面性を感じ、裏切られたと思うのは、速水に対して勝手な印象を持っていたということだろう。
人は誰でも複数の顔を持ちます。相手に応じて変えたり、状況によって変わったりします。意図的に変えることもあれば、本人が意識せず変わることもあるだろう。
速水は編集者として能力を発揮し、周囲に慕われています。彼の必死さが見えるからでもあり、周囲に慕われるために彼が意識的に振る舞っている部分もあるだろう。思うように動くためには、周りの評価も重要です。上司や部下にどのように思われているかは、速水にとって気になるところです。
評価が上がると、それに見合う行動が求められます。
速水ならきっとこうするだろう。
速水なら頼れるだろう。
こういう期待を一身に背負うことになります。その期待と違う行動を取ると、速水は自らを偽っていたと評価されます。
速水は出版社を去り、作家を引き連れ、新しい会社を起こします。周囲が抱いていた速水のイメージとはかけ離れています。しかし、行動の原点は小説と作家を守ることであり、彼の信念は変わりません。やり方が変わっただけです。
周りの人々は人間の内面の複雑さを理解せず、勝手やイメージを持ち続けただけなのだろう。騙し絵は最初からふたつの絵が隠されています。突然、もうひとつの絵が現れる訳ではありません。もうひとつの顔に気付くのは、絵を見ていた人々です。裏切られたのではなく、気付かなかっただけだろう。
終わりに
読み進める手が止まりません。次から次に現れる難題に立ち向かう姿は気の毒に見えてしまいますが、逆転劇とも言える結末は爽快感があります。
しかし、速水の少年期や自殺した作家のことを考えると手放しで喜べません。ただ、過去を消化し、新しい人生を切り開くことは、きっと誰でもできるのだろう。そう感じます。
読み始めは大泉洋らしさを感じることもあります。しかし、読み進めるほどに大泉洋のイメージから離れていきます。イメージに引っ張られない著者の力量です。ただ、大泉洋らしさというのも、私が勝手に抱いたイメージに過ぎません。