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『逆ソクラテス』:伊坂幸太郎【感想】|敵は、先入観。世界をひっくり返せ!

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 こんにちは。本日は、伊坂幸太郎氏の「逆ソクラテス」の感想です。

 

 伊坂幸太郎の作家デビュー20周年に発刊された5編の短編集です。各短編に直接的な関係性は薄い。共通する登場人物もいますが、連作短編集とは言えないだろう。それぞれの短編はそれぞれで完結します。

 テーマは先入観です。帯にもあるとおり、先入観を倒すべき敵と見ています。先入観は偏見や差別を生み出す可能性が高い。それらはいじめを原因になります。先入観は簡単に抱きますが、それから生み出される結果は重大なものになるかもしれません。

 登場人物は子ども(小学生)が中心です。著者は当初、子供を主人公にした小説を書くことに気が進まなかったようです。子供の語彙力や狭い活動範囲で、読者を引き込む作品を作ることは難しい。しかし、出来上がった作品は十分引き込まれます。 

「逆ソクラテス」の内容

逆境にもめげず簡単ではない現実に立ち向かい非日常的な出来事に巻き込まれながらもアンハッピーな展開を乗り越え僕たちは逆転する!【引用:「BOOK」データベース】  

 

「逆ソクラテス」の感想 

ソクラテス 

「僕は、そうは、思わない」

 先入観に対抗するための言葉です。しかし、口に出すのはなかなか難しい。人間関係に波風を立てないことを考えると、他人に同調します。小学生は世界が狭いだけに尚更だろう。クラスが世界のほとんどです。

 久留米先生が先入観を体現しています。小学生は、先生が正しいと信じているだろう。反抗的な子供もいますが、多くの子供は先生の言うことを信じます。先入観の恐ろしさは、それが正しいと思い込むことです。

 久留米先生に立ち向かうのは転校生の安斎です。草壁への先入観が間違っていると理解させ、草壁に対する態度を変えさせる作戦を立てます。様々な方法を考え、実行します。

 先入観を抱いた大人の考えを変えさせるのは簡単ではありません。小学生にできることも限られています。優等生の佐久間の協力やプロ野球選手の来校などが、安斎たちを後押しします。都合のよい展開もありますが。

 最終的に久留米先生が先入観を抱かないようになったかどうかは分かりません。しかし、草壁は変わります。先入観に立ち向かうことが、彼を変えたのだろう。立ち向かわなければ変わりません。結末は予想の範囲内ですが、気持ち良さがあります。

 

ロウではない

 否定的な先入観は自分自身に戻ってきます。また、取り返しがつかないことも引き起こします。それが描かれているのだろう。逆ソクラテスと同じく、転校生が鍵になる物語です。

 クラスという集合体になれば、子どもたちにも立場が生まれます。中心になる子供は自己主張のできる子です。渋谷は自己中心的で周りを見下します。自分の思いどおりに物事が進まないと気が済まない。そんな子供は珍しくありませんが、行き過ぎるといじめに発展するのだろう。

 渋谷は陰湿ないじめをするほどではないが、標的にされた子供にとって辛いことに変わりはありません。いじめはいじめられた人間にしか本当の辛さは分からない。

 目立たなくて、おとなしくて、一人だけでいる子供が標的になるのは反撃されないからです。司と悠太もあまり目立ちません。しかし、二人だから対抗できます。村田にとって転校生の高城は救世主だっただろう。

 リレーで高城が俊足を見せ、渋谷を負かします。爽快な逆転劇ですが、高城の背景にある事情が爽快感を打ち消します。いじめはいじめた側が悪い。いじめられた側に責任は一切ありません。高城は前の学校でいじめを行っていた。転校し、やり直したかったのだろう。

 しかし、それは身勝手な印象を受けます。過ちに気付いたのは確かです。やり直す機会は誰にでもあるべきかもしれません。しかし、転校してやり直すのではなく、いじめを行っていた場所でやり直すのが責任を取ることだろう。小学生には難しいかもしれませんが。

 渋谷の心に響いたのかどうかは分かりませんが、高城の罪は一生消えなくていいのかもしれません。もちろん、やり直すことを妨げるものではありませんが。 

  

オプティマス

 決めつけや思い込みは危ない。先入観はあやふやで確かなものではありません。

 騎士人は先生を軽く見ています。また、福生を貧乏と決めつけています。目に見えるものだけで人を判断することは簡単ですが、人の本質は見えていない部分にあります。表層的なことは、ほんの一部分です。子どもには、それが分からないのだろう。

 騎士人の父親は社会的に成功しています。人の優劣は社会の評価だけではないのですが、父親の姿と比べることで優劣を決めています。父親を成功者と認識することで、自分も上位にいると思い込みます。子供らしいですが、いじめに繋がる可能性もあります。

 将太や福生は、騎士人の行動にうんざりしています。しかし、将太や福生も先入観を持っています。嫌がらせをしていないだけで、久保先生は頼りないと決めつけています。子どもたちだけでなく、保護者も久保先生を頼りなく感じています。子どもたちがそう感じていれば、親もそう感じるのは自然です。

 久保先生の背景は複雑で重い。授業参観で久保先生の人生が明かされていきます。最初から無気力で頼りない訳ではありません。福生の家庭環境も明かされます。騎士人の父と福生の母の対面は、安易な決めつけのしっぺ返しです。久保先生は重いが、騎士人と福生は少し微笑ましい。 

 

ンスポーツマンライク

 小学生から始まり、成長期していく5人を描いています。先入観は他人に対してのみ持つものではないのだろう。自分自身を決めつけてしまうこともあります。歩がそうです。他人が自分に無いものを持っていれば、羨むのは仕方ありません。性格は目に見えにくいから比べようもないが、能力は見えます。能力は性格を背景にしているのかもしれません。積極的な性格は、より結果を出すのだろう。

 自分と他人が違うのは当然です。その違いを受け入れるかどうかだけです。人より劣っていると思い込むと、考え方が袋小路に入り込みます。そして抜け出せなくなり、悪循環が始まります。後悔ばかりが積もっていく。

 歩はまさしくそういう状態です。友人を評価するのは悪いことではありませんが、自分自身を評価しないといつまで経っても成長しません。過去の失態を悔やみ、それに囚われ、いつまでも踏み出せない。変わることができない。

 自分自身に対して先入観を持つのは、誰でもあるのかもしれません。自分自身の限界を決めるのは、先入観という決めつけのせいです。他人に対する先入観より手強いだろう。何故なら、自分自身のことは自分が一番知っていて、先入観だと思っていないからです。

 しかし、変わるためには先入観を破らなければなりません。その時に大事なのが友達です。自分に対する決めつけを持つ原因が友達だとしても、それを壊すのも友達ということだろう。

 

ワシントン

 アンスポーツマンライクと密接に関係しています。各短編は登場人物などで関連性がありますが、物語に決定的な影響を与えることはありません。

 ワシントンの斧の逸話は創作ですが、子どもたちに正直の大切さを説いています。斧の逆襲を恐れて許したに過ぎないという斜め上からの解釈は著者らしい。この解釈も有名なものなのだろうか。

 しかし、正直が通じることがないのが現実です。謙介が母の教えの通りに素直に謝ったからといってワシントンと同じ結末になるとは限りません。ワシントンの教えは子どもたちに向かってですが、むしろ大人に向ける必要があるのかもしれません。

 謙介は母の機転で助けられますが、ワシントンの教えが役立たない時代なのは悲しい。正しい行動が報われるという先入観は危険な時代なのだろう。だからと言って、正しい行動を起こさないのは間違っています。

 行動を起こすこと自体が大事です。最後に登場する電器店の店員は、明言されていませんがアンスポーツマンライクの犯人だろう。悪人は真に更正しないというのも先入観なのかもしれません。償えない罪を犯したとしても、反省し更正する可能性はあります。だからと言って罪が許される訳ではありませんが。  

 

終わりに

 「敵は、先入観。世界をひっくり返せ! 」

 この言葉どおり、先入観をキーワードに物語が展開していきます。 非現実な展開はなく(都合の良い展開はありますが)、小学生が実際に経験する範疇で物語は進みます。

 短編で連作でないので、物足りなさはあります。子どもたちに向けたメッセージの意味合いが強いのかもしれません。大人もハッとさせられることもありますが、子どもたちに読んでもらいたい作品なのだろう。