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タイトルのテキスト
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『i』:西 加奈子|この世にアイは存在しません。

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 読後には、何とも表現し難い感情が心に残りました。感動と一言で言えるほど、単純な気持ちではない気がします。では、感動でなければ何なのか。結末に対する喜びでもなく、納得でもなく、考えさせられるということでもない。主人公のアイに対する純粋な共感でもありません。もちろん共感は読み手がそれぞれ抱える状況次第なので、人によって受け取り方が違うとは思いますが。 私の感じた感情がそれらの言葉で言い表せないということは、逆に言えば、それらの感情の全てが入り混じっているのではないだろうか。様々な感情が混沌と混じり合い、一言で言い表せる言葉が存在しない。そういうことなのでしょう。 

 私がこの小説に対し感じたことは、必ずしも肯定的なことばかりではありません。主人公のアイの言動や考え方に納得できない部分もありました。だからこそ一言で言い表せないような複雑な感情の絡み合いが、私の中で発生したのだと思っています。 

 作中の登場人物は、とても少ない。主人公のアイ。親友のミナ。アイの両親。アイの夫。この4人が主要な登場人物です。アイが4人との関係の中で、自らの心情・心象を変化させていく。それは、彼女と世界との関係にまで及んでいきます。小説自体は、彼女の心象を中心に描かれています。彼女の心の動きが、大きく波打ち続けます。そのことがページを捲る手を止めさせないのです。 

「i」の内容

「この世界にアイは存在しません。」入学式の翌日、数学教師は言った。ひとりだけ、え、と声を出した。ワイルド曽田アイ。その言葉は、アイに衝撃を与え、彼女の胸に居座り続けることになる。ある「奇跡」が起こるまでは―。「想うこと」で生まれる圧倒的な強さと優しさ【引用:「BOOK」データベース】 

「i」の感想

イが存在する意味

 アイは幼少の頃、シリアから裕福なアメリカ人夫婦(妻は日本人ですが)に養子として引き取られます。そのことはアイという人間を形成する上で、大きな転機です。外形的には命が保証されない政情不安定な貧しい国から、裕福で死に怯える必要のない国への脱出です。誰が見ても幸福な転機です。ただ、必ずしも表面的な幸せが、内面の幸せに繋がるとは限らない。アイにとっては、必ずしも幸せな転機ではなかったということかもしれません。 

 では、何がアイを苦しめているのか。それは選択という言葉です。アイは両親に選ばれてシリアから脱出した。その裏では、選ばれずシリアに残った大勢の子供がいる。内戦や災害で命を落とす人々。彼らは死に選ばれた。そして、アイは死に選ばれることがなく生き続けている。 

選択により、存在が許されたり許されなかったりすることが、最もアイを苦しめるのです。 

 しかも、その選択は自らの意志で行ったものではない。だからこそ、余計に苦しむのかもしれません。自分自身で選択したことならば、自分自身が責任を取ればいい。しかし自らの選択でなければ、抱いた思いを持っていく場所がない。そうやって湧き出してくる思いが、最終的に全て自分へと向けられているのでしょう。アイ自身に関係のない世界の不幸の全てが、アイ自身へと向けられていく。それは、子供の頃に選ばれた後ろめたさがあるからでしょう。選ばれたことのよって、人間が存在することがとても不安定な世界があることを突き付けてくる。存在の不安定さを感じるからこそ、自分が安定した存在であることに耐えきれなかったのかもしれません。  

実の事件・災害

 小説なので、登場人物やストーリーはフィクションです。しかし、作中の世界で起こる事件や災害は現実の出来事を描いています。この小説は、アイの心の葛藤が主軸です。心の葛藤を描く時に、彼女は何を見て、何を知って、心に葛藤を生み出すのか。

  • どのような心象風景を描いていくのか。
  • どのような行動を起こすのか。

 心の問題は、目に見えない。なので読者は目に見えない心象を、著者の表現で読み取っていかないといけません。私は自分だったらどうだろうか、と自問しながら読みます。同じ環境、同じ出来事が起きた時、自分ならどう感じるか。どういう行動をするか。共感できるかどうかは、こういう作業を行っているから現れる感情でしょう。 

 そこで重要なのは、自分を作中の人物と同じ環境におけるかどうかということです。アイの置かれた環境は特殊です。シリア人でアメリカ人夫婦の養子になり、日本にやってくる。彼女の置かれた環境と、私が置かれた環境はあまりに違います。もし自分がこういう環境だったらという想像するのは難しい。しかし、彼女の心に影響を与えるのが、現実に起こった災害、紛争などだったら想像以外のものが入ってきます。私も、同じニュースを知っているからです。そのニュースが流れた時に、私自身がそれを受け止め何らかの感情を抱いたはずです。私が現実に抱いた感情と、アイの感情とは何が違うのか。その違いは、アイのルーツによるものか。環境によるものか。

 現実に起こったことに対しアイが抱く感情は、アイが実在しているような錯覚を起こさせます。それは、私自身の感情と比較できるかもしれません。現実の時代背景と出来事を物語の重要な要素とすることが、私を引き込んでいく力になっています。 

「i」の意味

 「この世にアイは存在しません。」

 この言葉から始まります。数学教師が放った「アイ」は、虚数のことに過ぎません。しかし、この言葉は、その後のアイの人生に大きな影を落とし続けます。自らの存在を否定されたと感じたのか。この「アイ」の意味は、アイデンティティの「アイ」かなと思いました。シリアから養子に引き取られ、自らのルーツを持たないアイが自己を確立できない。自身が自身であり、他者とは違うということを確固たる意識を持って言い切れない。そういう環境にいることを「アイは存在しない」すなわち「アイにアイデンティティは存在しない」という意味かなと。 

しかし、もっと単純に考えていい気がします。 

 「アイ」は存在しない。アイ自身が、自らの存在を認めていない。許していないのではないだろうか。両親に選ばれ、シリアから安全な国へ移ったこと。何故、自分が選ばれたのか。残された子供たちが、何故選ばれなかったのか。その答えがないからこそ、自らの存在を認められない。認めていないのだから、存在しないと言われると心に刺さる。存在しない方がいいと言われているのではと思い知らされているのかもしれません。アイデンティティは、存在していることを前提に他者との関係性の中で自己を確立できるかどうかということでしょう。アイに関しては、アイデンティティ以前の問題だと感じます。存在が許されるかどうかということです。 

 もちろん「アイ」にはアイの名前のほかにも、英語で「わたし」、日本語で「愛」、「虚数」と言った様々な意味があります。そして、作中でも「アイ」の意味は多彩に使われています。数学教師が言った「アイ」は、虚数そのものです。アイが受け取った「アイ」は、単純に「アイ=私」という意味だけだと感じます。そこに、自らのアイデンティティなどの意味を感じ取っていなかったのではないでしょうか。  

イに対して思うこと

 アイに対して共感できるかどうか。共感出来なくても、理解できるかどうか。それ次第で、アイに対して抱く感情は変わってきます。結末でアイが気付いたことが素晴らしいことなのかどうかも、人によって感じ方は違うかもしれません。 

 私は、普通の一般人です。日本人の両親の元に生まれ、普通に教育を受け、その後社会人として働いています。アイのような特殊な環境下で生まれ育った訳ではないので、彼女の心象は理解できるが共感までには至りません。彼女に共感できないのは、彼女の特殊性だけではありません。彼女の考え方が、あまりに自己中心的で甘えているように感じたからです。彼女の特殊性を差し引いても、彼女の感じている罪悪感はあまりに一方的です。安全な場所にいるからこそ感じることが出来る罪悪感です。作中では、罪悪感があること自体が奢りだと感じている部分もありますが。選ばれたことに対する免罪符を手に入れようと必死になっているように感じます。 

 では、どうすればいいのか。

 その答えは、アイの両親にあると思います。彼らは出来る範囲で世界の不幸と関わり、出来る範囲で手助けをしています。それで世界を変えることが出来ないとしても、世界の不幸と向き合い手を差し出す。おそらくは、彼らはアイを養子にした時に、大きく葛藤しているはずです。多くの恵まれない子供たちが世界にいる中で、自分たちが救えるのは一人だけ。その一人を選ぶ時の彼らの心の葛藤は、想像できない。しかし彼らは、それでも手を差し出し続ける。彼らの行為は勇気があり、確固たる意志があります。彼らと比べてしまうので、どうしてもアイが甘えて見えるのです。 

 ただ、アイに対し肯定的か否定的かは別にして、読者の心に多大な感情を巻き起こす小説です。それだけ力がある小説だと感じます。100人が読めば、100人のアイが存在する。そのはずです。