第156回直木賞候補で映画化もされた生方 丁の長編ミステリー作品です。注目された作品なので、かなりの期待度でした。タイトルも刺激的で興味を引きます。映画化もされていますが、ストーリーはほとんど知らない状態で読み始めました。
「死にたい子どもたち」は果たして珍しいことではないのでしょうか。10代の少年・少女が死への願望を抱く光景は心地悪さを感じます。あまりに異常な光景だと感じざるを得ません。
10年ほど前に知った自殺サイトが執筆のきっかけになったと書いています。自殺サイトの存在は、一時期メディアで頻繁に取り上げられました。そのことで目新しい言葉ではなくなってしまいました。慣れてしまったことに恐ろしさを感じてしまいます。
集団自殺をする心理や彼らの背景を描くためには、心の奥底まで表現する必要があります。12人それぞれの短い人生の全てを。一方、ミステリー作品でもあります。ミステリーがどのように絡んでくるのか。
テーマはとても深い。だからこそミステリーが中途半端に絡むとどっちつかずになってしまう可能性はあります。
「十二人に死にたい子どもたち」の内容
廃病院に集まった十二人の少年少女。彼らの目的は「安楽死」をすること。決を取り、全員一致で、それは実行されるはずだった。だが、病院のベッドには“十三人目”の少年の死体が。彼は何者で、なぜここにいるのか?「実行」を阻む問題に、十二人は議論を重ねていく。互いの思いの交錯する中で出された結論とは。【引用:「BOOK」データベース】
「十二人に死にたい子どもたち」の感想
十二人の個性
12人の登場人物は多い。年齢層がほぼ同じ人物ばかりであり、背負っている人生経験も少ない。それぞれの個性を相当に際立たせないと区別することは難しくなってしまいます。自殺サイトに導かれ集団自殺場所へ集うところから始まるので、12人が一気に登場します。彼らの言葉遣いや行動の違いで性格を表現していますが、それでも当初は混乱します。
名前のカタカナ表記も個性を打ち消します。漢字には一文字ずつ意味があるので、人物と名前を紐づけしやすい。お互いがお互いの素性を知らないことを表現するためのカタカナ表記かもしれませんが、カタカナは記号に過ぎません。外見や立ち居振る舞い、言動、他人との会話など、あらゆる方法で個々人の個性を表現し差別化を図ろうとしているのは分かりますが。
彼らは自殺の理由や過去など、心の奥底に潜むものを隠しています。彼らの背景が徐々にしか明かされないので人物の印象が薄くなります。物語が進むにつれ徐々に明かされていくことが、物語の構成上、重要な要素なので仕方ないのかもしれませんが。
12人いれば、場を仕切る中心人物が表れてきます。彼らとの関係性の中で、他の人物もぼんやりと頭に入ってきます。彼らは自殺という共通の目的を持っていますが、グループが形成されていきます。人が集まれば当然です。
- 中心になる人物
- 付いていく人物
- 独立(孤独)な人物
前半は、彼らの背景が描かれることはあまりなく、関係性が個性を感じる主な手段です。ストーリーよりも人物を覚えることに意識が集中してしまいます。彼らの背景が描き出されるにつれ、ようやく12人の個性が頭に入り始めます。12人いれば似たような人物もいます。完全に同じではなく、性格の一部が重なるような程度ですが。
12人も必要だったのでしょうか。もちろん、必要だから登場させたのでしょう。重要なのは自殺に至る過程の違いです。死ぬことに対する願望は同じであっても、過程の違いは大なり小なりあります。その違いを描くことために、12人が必要だったのかもしれません。
一方、ミステリー要素もあります。13人目の存在が、彼らをミステリーへと導きます。13人目の存在は計画外の出来事ですから、彼らの集団自殺に影響します。ただ、彼らの自殺願望にまで影響するのでしょうか。ミステリーに関しては、12人が不必要だと思わないが多すぎる感はあります。ミステリーの複雑性を増すためだけの人数に感じてしまいます。
クローズド・サークル
廃病院を使ったクローズド・サークルが舞台です。閉じ込められたのではなく、自ら閉じこもった閉鎖空間です。破るものでなく、守るべきクローズド・サークル。外部の情報が入らないことや問題を内部だけで解決することは同じです。外部と連絡を取ろうとする行為は不要ですが。
閉じ込められたのでなく、閉じこもった訳ですから緊張感はありません。クローズド・サークルは逃げ道がないから緊張感をもたらします。彼らは、逃げ道がないのではなく逃げないのです。死ぬために集まっているのだから通常の精神状態ではないのかもしれませんが、緊張感は半減してしまいます。彼らは殺人者を特定しようとしていません。彼らが解こうとしているのは13人目の死体の真実です。13人目を解明する過程に、殺人か自殺かが存在しているに過ぎません。
クローズド・サークルですが、その設定はあまり活用されていないように感じます。廃病院への到着時間や入館時間は重要な要素なので、簡単に出入りされると論理の組み立てに支障が出てくるのでしょう。外部と内部を跨ぐ瞬間が重要であり、そのためのクローズド・サークルです。
内部での人の動きが13人目の謎を解く鍵であり、入館時間はそのためのひとつの要素です。クローズド・サークルは一つの要素なのです。12人の内部での行動だけでも、相当にややこしい。12人の行動の時間の前後が謎に近づく要素だから、入館時間も欠かせません。クローズド・サークルの目的がそこにあるなら、必要不可欠ですが。
自殺への決意は
集まった11人(サトシを含めて12人)は、自殺サイトの管理者であり集団自殺の主催者であるサトシの厳しい審査を通過しています。自殺を願ってやまない人たちです。13人目の死体が現れたことで様々な疑問や疑念が生じるのは当然ですが、果たして自殺を遅らせるほどの出来事なのでしょうか。彼らに死を選ばせたのは、何年もかけて積み重なったそれぞれの背景が原因です。13人目は確かに不信・疑惑を招き、スッキリしません。しかし、死を覚悟をしている彼らにとって、13人目の死体は彼らの目的を妨げるものなのだろうか。謎の解明の途中でセイゴにとってかなりの不都合を生じることが分かりますが、それも後の話です。
全員一致の自殺において、最初に反対意見を述べたのはケンイチです。自殺への反対ではなく、疑問の解決のための反対です。彼が望んでいた自殺への願望は、疑問の解決に負けるほどの願望だったのでしょうか。自殺より謎の解明に意識を向けるケンイチに少し違和感を持ってしまいます。
彼の反対意見は根拠が弱い気もするし、目的を見失っているようにも感じます。
12人の中には現実からの逃避のための自殺を選んだ者もいれば、生きている者に対する抗議として死を選んだ者もいます。死は最終地点であり、13人目が何者であろうと彼らの先には何もありません。シンジロウが唱えた殺人説も、彼らの目的の前には何も影響を及ぼさないはずです。それほど死の先には何もないのです。
ケンイチからシンジロウ、セイゴは謎の解明へ向かっていきます。徐々にミステリーの重みが増します。13人目の謎の人物はミステリーとして面白いし興味深い。ただ、確固たる意志を持った人間にとってそれほど重要な問題だろうか。
自殺の決意と13人目の死体。死を前にして新たな(謎の)死体に、ここまで影響されるでしょうか。また、死体を前に落ち着き過ぎているのも違和感があります。自殺の決意と謎の解明のどちらが優先事項なのか。謎を解明しても自殺するのならば、そこまで拘る出来事なのでしょうか。
結末は予想の範囲内?
彼らの話し合いが始まった時点で、ある程度結末が予想できます。全員で自殺を遂行し目的を果たす足並みは乱されます。もたらされる未来はどのようなものなのでしょうか。選択肢はそれほど多くありません。13人目の謎の解明を優先する人たちが増えてくることで、自殺への願望が変化していきます。自殺に対する意志の変化です。少なくとも、全員が自殺する結末はやってこないでしょう。全員一致の原則が最後まで守られるなら、自殺自体が起こりません。
- 全員が自殺を思い留まり生きることを選ぶ。
- 人生に前向きになる。
あまりに出来過ぎな印象を受けます。自殺から生きることに変化するのは既定路線で分かりやすい。
謎の解明を求める勢力と自殺の遂行を求める勢力が大まかに男性と女性に分かれています。前者は理性的で、後者は感情的です。理性的で冷静なアンリですら、結末では感情的になります。女性は感情的だと印象付けられます。そんなことはありませんが。
突発的な自殺と違い、集まった子どもたちは冷静に判断し自殺を決断しているはずです。理性で下した決断は確固たるものだが、同じように理性で覆すことも出来ます。一方、理性で下した決断を感情で覆すことは難しい。理性と感情の戦いは、最終的には理性が勝つのでしょう。サトシを除く11人の心の変化は、あまりに予想の範囲内です。
終わりに
子どもたちに自殺を望ませる社会に対する問題提起も含まれているのでしょう。苦しみから逃れる手段として自殺を選ぶことの無意味さも伝えています。前を向けば、険しくても道は続くことも。
彼らの心の変化の機微を、ミステリーの中で表現していこうとしたのでしょう。ミステリーの複雑さと彼らの心の変化がうまく噛み合っていません。ミステリーに重点が置かれ、彼らの心の機微があまり伝わってこなかった。