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『know』:野崎まど【感想】|彼女は全てを知っていた

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 こんにちは。本日は、野崎まど氏の「know」の感想です。

 

 脳の補助として電子脳が義務付けられた情報化社会を描いた近未来SFです。ライトノベル的な雰囲気もあり、読みやすい。

 脳が直接ネットと繋がる設定は、近未来情報化社会を描く時によく登場します。情報の取得に端末が必要な時代はいずれ終わるのかもしれません。本作では、情報の在り方も大きく変化しています。あらゆるモノが情報を発信する。人間はもちろんモノ自体からも。肉眼で見えているものは、世界のほんの一部に過ぎません。世界の本質は目に見えない情報の中にあるということだろう。

 情報をどこまで取得できるかにより力関係が生まれる。現在でも、情報をより多く持っている者がいろいろな意味で有利です。意図的に情報取得に差を与えれば、人々の間に階層を生み出すことができる。そうすることで権力が集中していく。情報の正誤は、より多くの情報を得なければ判断できません。本作は、情報化社会の行き着く先の一つの形かもしれない。 

「know」の内容

超情報化対策として、人造の脳葉“電子葉”の移植が義務化された2081年の日本・京都。情報庁で働く官僚の御野・連レルは、情報素子のコードのなかに恩師であり現在は行方不明の研究者、道終・常イチが残した暗号を発見する。その“啓示”に誘われた先で待っていたのは、ひとりの少女だった。道終の真意もわからぬまま、御野は「すべてを知る」ため彼女と行動をともにする。それは、世界が変わる4日間の始まりだった―【引用:「BOOK」データベース】  

 

「know」の感想

報カースト

 得られる情報の違いにより「クラス0~6」までランク付けされた世界が描かれます。得られる情報の量だけでなく、自身の情報を守るためのランクでもある。クラス0は自身の全ての情報が晒されます。情報が中心になっている社会においては、情報を得ることだけでなく守ることも重要です。守る方が重要かもしれません。全員が平等という社会が構築されることは難しいのだろう。

 作中は、超情報化社会への過渡期です。電子葉が開発され、移植が義務化されています。しかし、年齢層により移植された年齢は違います。より早く電子葉を移植した方が使いこなせるのは当然だろう。

 電子葉はあらゆる情報(クラスによるが)を取得しますが、それを処理するのは人間の脳です。電子葉が補助するとしてもです。脳が電子葉を受け入れている期間が長いほど脳と電子葉は馴染み、連携するのだろう。作中でも、次のように述べられています。

幼少の頃から電子葉に慣れ親しんだ世代は、ネットで調べられることは全て「知ってる」と言う。ネットで調べられないことだけを「知らない」と言う。

 考え方自体に違いが生まれている証拠です。移植時期の違いが、既に差を生み出しています。

 一方、制度面での格差もあります。それぞれの人に設定されたクラスです。作中では社会問題にもなっています。情報が重要であればあるほど、扱える情報量と自身の情報のセキュリティは重要になります。

 しかし、クラスが低い者は力がありません。現状を変えることはできない。どれだけ情報化が進み、社会が良くなったように見えても、人間の本質は変わらないのだろう。

 

きること

 人生の本質とは何だろうか。誰も明確に答えられないし、答えたとしても各々で違います。答えがないとも言えますし、正解がないとも言えます。

 主人公「連レル」はクラス5を与えられ、順風に生きています。情報社会の中で確かな居場所を築いている。仕事に満足しているかどうかは別にして、本当の不満はないのだろう。人生を真剣に考えたこともなさそうです。順調だから考える必要もなかったのかもしれません。

 人間は必ず死にます。死なない時代が来るかもしれませんが、現在はどんな人間でも避けられません。死ぬまでに何を成し遂げるかが生きる意味だろうか。何も成さなければ生きてきたことに意味はないのだろうか。周りの評価で人生の意義を決めるのは、あまりに意味がありません。

 生きる意味は、自身の内面に求めるべきです。なぜなら「死」は一人で受け入れるものだからです。自身が意味を見つけないと「死」は受け入れ難くなります。多くの人が人生の意義を見つけ出すことができないのかもしれませんが。

 「知ル」は、生きることの意味を「知ること」に求めます。全てを知ることが生きる意味になるのだろう。量子葉というクラス9に相当する情報取得と処理能力が可能にします。レベル5の「連レル」の想像を超える能力です。

 「知ル」は未来を予言するかのように予測できます。あらゆる情報を取得し、処理し、未来を想像します。想像が予言と言えるほどの正確さを持つのが量子葉の力です。「連レル」を圧倒する「クラス*」すら相手になりません。

 京都御所でのダンスは「知ル」の能力を際立たせます。得られた情報を処理することで、人間の行動まで予測できるかどうかには疑問が残ります。人間の不完全さは、完全な予測や想像を不可能にすると思います。紙一重で弾丸を避け続けるのはやり過ぎだろう。

 彼女は自分自身のために全てを知ろうとします。それが生まれてきた理由だと言わんばかりにです。彼女が知ろうとしたのは、誰も知らないことです。つまり「死」と「死の向こう側」です。どこからも、誰からも情報を得ることはできません。

 知るための方法は存在します。死ねばいい。しかし、彼女にとっては死というものを死の瞬間に知ることが必要なのだろう。死に方も重要になります。知識の最終的な形として死を知る。そこに至る道筋も見えています。もうひとりの量子葉の持ち主も分かっています。彼女の行き着く先は最初から決まっていたのだろう。 

 

教と曼荼羅

 「知ル」は仏教の知識と曼荼羅のために寺を訪れます。仏教の目的は悟りを開くことです。住職は悟りを「知ること」と答えます。「知ル」はそのことを確認に来たのだろうか。

 金剛界曼荼羅と胎蔵界曼荼羅の二つの曼陀羅。金剛界曼荼羅は堅固な悟りで何ものにも傷ついたり揺らいだりしないことを表す。胎蔵界曼荼羅は悟りの本質が生まれ育つことを表す。どちらも悟りを説いています。

 悟りが生まれれば、何ものにも揺らぐことはない世界が待っているのだろうか。「知ル」は曼荼羅を見ることで、「知ること」こそが人生の目的で間違いないと確信したのだろう。

 仏教の目的は輪廻のサイクルから脱することです。人間として生まれ変わることではありません。仏教の目的が彼女の目的と一致するとは限りません。しかし、「悟り=知る」だとするならば、目的は同じになります。その先に解脱を求めるかどうかは別ですが。

 「知ル」は「問ウ」と会話することで死を知ろうとします。自ら死を迎えることでです。死の向こう側に世界があることを確信しているのだろうか。確信できないはずですが、信じていたのだろう。彼女は死の先に何があると思ったのか。「連レル」とブラックホールの話をした時、戻ってこれる宇宙船があれば行くかと問います。死の先から戻る方法があることの示唆です。彼女は死から戻ってくるのかどうかは明確には描かれません。

 エピローグで、死後の世界は子供でも知っているという会話があります。知識としての死後の世界ならば、「知ル」は死後の世界の情報を現実に伝えたことになります。彼女は戻って来たのか。それとも違う方法で伝えたのだろうか。

 全てを知ることで悟りを開いたとするならば、彼女は解脱し輪廻から外れます。二度と「連レル」や現実と接触できません。彼女にとって知ることは、それ自体が目的であり、全てを知ることで何かを成し遂げることではないのだろう。全てを知ることは、彼女自身の人生の意味です。

 

終わりに

 SF小説としての面白さは十分にあります。彼女の真の目的が謎めいていることで、ミステリーの要素もあります。物語には生きることの目的も描いています。

 生きることの意味は、全ての人間にとって究極の問いです。「死」の対義として「生」を扱うならば、生きることを考えることは死を考えることと同義です。彼女の心の奥を読み取ろうとすればするほど、物語の奥深さに気付きます。