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『この本を盗む者は』:深緑 野分【感想】|ああ、読まなければよかった!

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 こんにちは。本日は、深緑 野分さんの「この本を盗む者は」の感想です。 

 

 以前読んだ「ベルリンは晴れているか」とは全く作風が違います。ミステリーの要素を含むのは同じですが、「ベルリンは晴れているか」は史実を舞台にした現実的な物語です。一方、本作はファンタジーを下地にした物語であり同じ作者とは思えません。作風の幅広さに感心します。

 主人公「深冬」は普通の高校生ですが、彼女が直面する状況は非現実的の一言に尽きます。その非現実は悪意や負の側面が強い。そもそもブックカース(本の呪い)から生まれているのだから当然ですが。

 物語の冒頭は、主人公が置かれた日常の説明に費やされるので少し説明っぽい。しかし、それを読み終えれば一気に物語が進んでいきます。深冬は本の呪いにより生まれた世界から現実に戻るために奔走します。

 設定自体はそれほど珍しくない。ファンタジーの世界にどれほど引き込まれるか。また、納得感があるかが重要だろう。 

「この本を盗む者は」の内容

書物の蒐集家を曾祖父に持つ高校生の深冬。父は巨大な書庫「御倉館」の管理人を務めるが、深冬は本が好きではない。ある日、御倉館から蔵書が盗まれ、深雪は残されたメッセージを目にする。“この本を盗む者は、魔術的現実主義の旗に追われる”本の呪いが発動し、街は物語の世界に姿を変えていく。泥棒を捕まえない限り元に戻らないと知った深冬は、様々な本の世界を冒険していく。やがて彼女自身にも変化が訪れて―。【引用:「BOOK」データベース】 

 

「この本を盗む者は」の感想 

常と非日常

 日常とファンタジーが混じり合う世界を描く作家と言えば、森見登美彦氏を思い出ます。しかし、森見氏と深緑氏は似ているようで全く違います。ストーリーの違いではなく、読者から見た非日常の取り扱い方です。

 森見氏の作品は、非日常が日常になっています。非日常こそが物語の舞台であり、それが日常です。非日常と日常に同一性があり、物語の中に自然とファンタジーが共存します。

 本作は、日常が非日常に変化します。あくまで日常とは別物の扱いです。だとすれば非日常が現れる必然性が必要になります。それがミステリーの発端であるブックカースです。

 非日常に納得できるかどうかが引き込まれるかどうかを決めます。ブックカースに戸惑うのは、主人公の深冬だけでなく読者も同様です。ブックカースの謎と本の世界で起こる出来事の数々。本の世界に現れる真白の正体。それらの理由はなかなか明かされません。本の世界から日常に戻るという目の前の問題に対処する姿がメインで描かれます。

 本の世界に行く度に、深冬の疑問は積み重なっていきます。ブックカースの核心に迫ろうとするが、あまりに情報が少ない。彼女が得る情報が少ないということは、読者が得る情報も少なくなります。本の世界は非日常なので、どんなことが起こるか分からない。また、どんなことが起こっても構わない。だからといって、何でもありでは都合が良すぎます。

 ブックカースからの脱出方法は真白によって説明されます。一方、深冬の行動は非日常に無理やり連れていかれた割に冷静です。言葉では混乱や理不尽を嘆きながらも、結構冷静に状況に対処していきます。その姿に共感できるかどうか。非日常に加え、深冬自身が普通の高校生に見えなくなってきます。

 ブックカースの全ての謎は、結末近くまで明かされません。祖母が作り出したであろうことは分かってきます。理由もほぼ推測されます。しかし、起こる出来事に対して十分な説明になりません。非日常に納得感を持てるかどうかは微妙だろう。 

 

嫌いと無関心

 曾祖父から始まった本と御倉家の関係は、彼女と本が無関係な人生を歩ませなかった。深冬の意思に関係無くです。本に囲まれた生活は決して不幸なことではありません。むしろ恵まれているかもしれない。しかし、彼女は本を嫌います。

 彼女が本嫌いになったのは、本に異常な執着を見せる祖母の影響です。深冬もそのことを理解しています。一方、父が本好きなのを理解できなくても嫌悪しません。彼女は祖母と本を同一視し、祖母に対する反発が本嫌いに繋がったのだろう。

 本を意識せざるを得ない環境だからこそ、好きか嫌いかという感情を持ちます。本から最も遠い場所にあるのは無関心です。無関心であれば、何も気になりません。祖母が深冬に御倉家と本の関係を押し付けたことが、彼女の本嫌いに繋がったかもしれません。一方で、本を意識するようになったのだから効果はあったのだろう。深冬には迷惑な話ですが。

 御倉家と本は並々ならぬ関係性を築いています。深冬は御倉家と縁を切ることはできない。御倉家は本と縁を切ることはできない。だからこそ、呪いのように深冬には本がつき纏うのだろう。

 誰でも押し付けられれば反発します。好きなことであっても、強制されれば嫌いになります。ただ、本嫌いであっても無関心よりはましだろう。好きと嫌いは表裏です。彼女は祖母がきっかけで嫌いになりました。だとすれば、何かをきっかけに好きになります。そのことが本作の核心へと繋がります。 

 

ックカース

 ブックカースが発動し、深冬が本の世界に取り込まれるまでにはいくつかの段階があるようです。最初に、本が盗まれなければなりません。次に、ひるねが持つメッセージを深冬が読むことです。真白が現れ、彼女が持つ本を読むことで、本の世界が読長町に呪いとして現れます。一連の流れを経ることでブックカースは完成します。

 どの段階でブックカースが完全に発動するのかは分かりにくい。真白が現れた時点で、すでに現実世界ではなくなっている気もします。しかし、真白が持つ本を読まなければ、本の世界が読長町を覆い尽くしません。真白はいるが、完全にブックカースは発動していません。

 一方、ひるねが持つメッセージは、真白の持つ本を示しています。読長町を覆う世界は、深冬が本の読む前から決まっています。深冬が読みたがらないこともありますが、読むこと自体がすでに決定付けられているようにも見えます。定型化された流れがあるからこそ、ブックカースが発動するのかもしれませんが。

 ブックカースは祖母が仕組んでいます。本を盗む者を許さないためです。本を取り戻せばブックカースは解除され、現実世界に戻ります。ブックカースに翻弄され苦しむのは、本来的には盗んだ者だろう。しかし、誰よりも翻弄されているのは、深冬に見えます。現実世界を人質に取られ、犯人を追いかけざるを得ない。

 ブックカースが呪うのは、一体誰なのだろうか。少なくとも犯人を呪っているのは間違いありません。しかし、町の人や深冬は巻き添えにしか見えません。その理由も結末で明かされることになりますが。

 祖母がどのようにして本に呪いをかけたのか。何を引き換えにしたのか。ブックカースの裏側に何があるのか。本作の前半は、深冬が巻き込まれるファンタジー世界を描いているだけに感じます。後半になるにつれ、ブックカースの謎が深まり、事態が絡まりあって、ミステリー色が強くなります。ブックカースの一面だけを見れば、辻褄が合わないと感じることも多い。しかし、最後まで読むと謎は明かされていきます。深冬の変化も感じることもできます。

 

終わりに

 ファンタジーですが、ミステリーの色合いも強い。前半は同じような状況が続くので退屈さを感じます。設定自体に無理があるような気もしますが、ファンタジーなら有りかもしれない。

 結局のところは、深冬の変化の物語なのだろう。そうなれば彼女に共感できるかどうかです。共感するにはあまりにも特殊な立場にいますが。