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『クジラアタマの王様』:伊坂幸太郎【感想】|未来を切り拓くのは、誰だ

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 こんにちは。本日は、伊坂幸太郎氏の「クジラアタマの王様」の感想です。

 

 小説の間にコミックパートを挟んだ作品です。作品の一部として絵が存在します。

 文章でアクションや立ち回りを表現することも小説の醍醐味ですが、一方で、絵で表現した方が直接的にダイナミックに伝わります。著者は、10年ほど前からそういう小説を作りたいという願望を抱いていたそうです。

 コミックパートは小説の一部であり、挿絵ではありません。挿絵は小説で描かれていることを追加的に絵で表現しています。本作のコミックパートは小説の一部であり、それがないと物語は完結しません。

 コミックパートと文章が、どのように組み合わさってひとつの物語になっているのか。著者が長年望んでいた小説の形は、どのように結実したのか気になるところです。

 コミックパートの絵は川口澄子さんが担当しています。著者の満足のいく絵を描いてくれたとのことです。だからといって、その絵に合わせるためのストーリーを書いたのではありません。あくまで著者が書いた小説が、文章と絵で構成されているということです。従って、著者にはコラボという認識はありません。著者が考えるコラボは、阿部和重氏との「キャプテンサンダーボルト」だけです。

 本作は、コミックパートをどのように読んで(見て)いくかが重要なポイントです。コミックパートの分量は少ないが、そこに描かれている出来事は物語の重要な構成要素です。だからこそ、コミックパートを描いてもらう人や絵にこだわったのでしょう。 

「クジラアタマの王様」の内容

製菓会社に寄せられた一本のクレーム電話。広報部員・岸はその事後対応をすればよい…はずだった。訪ねてきた男の存在によって、岸の日常は思いもよらない事態へと一気に加速していく。不可思議な感覚、人々の集まる広場、巨獣、投げる矢、動かない鳥。打ち勝つべき現実とは、いったい何か。【引用:「BOOK」データベース】

  

「クジラアタマの王様」の感想 

章とコミック 

 文章とコミック(絵)が組み合わさり、物語が構成されます。こういう形の小説を読んだことがありません。挿絵のある小説は多いですが、場面や登場人物を切り取っているに過ぎません。読者の想像力を助けるといったところでしょうか。極論すれば、無くても困りません。 

 本作は、コミック(絵)がないと成り立ちません。コミックが物語の一部を担います。著者が言うように、文章で書くよりも動きや状況がダイレクトに伝わります。その絵を現実世界と違う世界を表現するのに使います。ふたつの世界を分けるのに、文章とコミックという表現の違いで区分しています。現実世界と夢(だと思っている)の世界の違いが際立ちます。

 コミックパートはファンタジックな世界が描かれています。著者が好きなゲーム「モンスターハンター」の影響のようです。夢の世界をどのような形で描くかで物語の印象も大きく変わります。コミックパートは小説全体の印象も左右します。視覚で得る情報は影響力が大きい。

 文章だと読者は頭の中で状況をイメージします。大まかなところは同じだと思いますが、読者それぞれが世界を形作ります。特にファンタジーになると顕著です。絵は有無を言わせない説得力があります。だからこそ、納得感のある絵が必要になります。著者が納得しただけあって、この絵は小説の一部として完全に馴染んでいます。

 

ファンタジーと夢

 コミックパートは異世界が描かれています。夢と呼んできましたが、厳密にいうと夢かどうかも分からない。池野内議員は、岸に「夢で会わなかったか」と聞きました。小沢ヒジリも夢で会ったと認識しています。岸は覚えてませんが。寝ている間に体験しているから夢と思っていますが、夢というよりは異世界という方がしっくりします。便宜的に夢として、この後の感想も書いていきますが。

 夢だとしても現実世界とリンクしていると池野内議員と小沢ヒジリは思っています。ただの夢とは思っていません。夢を通じて現実世界と異世界が繋がっている。異世界の存在は最後まで明確にされませんが。

 ファンタジーと夢は相性がいい。どちらも現実世界で起こらないことが起きます。不思議なことが起きても納得できる。それを現実世界とどのようにリンクさせていくのか。コミックパートの存在意義が明らかになります。

 夢の世界は現実世界に影響を与える真実味のあるものとして描かれていきます。物語にしっかりと食い込んでくる。コミックパートが物語の行く末を決めるのだろうか。現実世界と夢の世界が組み合わさり、何が起きるのだろうか。

 岸も池野内議員も小沢ヒジリも夢の世界で戦っています。池野内議員と小沢ヒジリは覚えているから実感があります。岸も戦っていますが覚えていないので実感がありません。

 夢の世界の三人は現実世界の三人と同一ではない。池野内議員は完全な同一性を微妙に否定しています。しかし、確実に影響していると信じています。池野内議員の主張は根拠がなく推測であり状況証拠だけです。しかし、重大な関係性があることだけは間違いありません。 

 

実的な現実

 本作で現実世界を非現実的に描くと、ファンタジックな異世界が際立たちません。岸たちが生活する現実世界は、極力、現実的に描く必要があります。だからと言って、何も起こらない日常だけでは面白くありません。意外な展開を加えることで面白くなります。

 部長の謝罪会見も単なる謝罪に終わらせないところが面白い。画びょうの混入が完全に否定できない以上、現実的な対応は謝罪と原因究明です。「画びょうが入るはずがない」は根拠のない自信であり、追い詰められた逆襲に過ぎない。しかし、そう言いたくなる気持ちは分かります。彼が反論したことは記者会見としては失敗ですが、社内の一部で支持を集めるのも当然だろう。自身の仕事に誇りと自信を持っている社員がいるということです。

 描かれている上司や同僚も現実にいてもおかしくない人物ばかりです。部長のようにイヤな存在はいますし、係長のような優秀な人物に仕事が集まってくるのも現実です。必ずしも報われないこともあります。それが社会であり、会社です。

 池野内議員と小沢ヒジリは一般人ではありませんが、現実に存在する職業です。なかなか出会う機会がないだけで、一生縁がないとは言い切れません。

 異世界での出来事を別にすると、岸の会社員生活は普通です。仕事上のトラブルもあるし、うまくいくこともいかないこともあります。仕事人間というほどではないが、会社のために努力します。もちろん、妻や生まれてくる子供のためにも頑張ります。苦情処理能力が高いというくらいで普通の人です。

 猛獣との対決や銃で撃たれたりすることはヤマ場なので、これくらいは現実的に描く上で許容範囲でしょう。

 

実世界も恐ろしい

 夢の中の異世界は戦いの連続です。目的も理由もよく分かりませんが、生死を懸けた戦いです。現実世界で命に懸けて何かをするということはあまりない。全く安全という訳ではありませんが。

 鳥インフルエンザの流行と娘の佳凛の罹患は誰のせいでもありません。しかし、罹患した者と家族が悪にされていきます。SNSで情報が流され、全てが晒されていく。最も恐ろしいのは人間ということだろう。

 人は、自分が安全な場所にいる時ほど他人を傷つけます。根拠もなく、自分は大丈夫と考えます。岸自身も佳凛が罹患しなければ他人事です。攻撃するかどうかは別にしても近寄ろうとはしないだろう。もともと近所で誰かが罹患した時は、批判的な意識もありました。その意識が合わさり、大きな力を持って攻撃するのかもしれません。攻撃される側になって初めて理不尽さに気付くのです。

 SNSは姿が見えません。個人の顔が見えない大きな集まりです。個人の力を離れて勝手に動き始めます。便乗する者もいます。立ち向かうのに必要なのは、物理的な力よりも勇気だろう。

 池野内議員の主張では、夢の世界の勝ち負けが現実世界のトラブルに影響します。リンクするほどのトラブルが現実世界で起こるということです。苦情対応の結果だったり、牡鹿半島での猛獣との戦いだったり、鳥インフルエンザだったりするのでしょう。

 岸は、そのことに異議をぶつけます。自分自身に降りかかったトラブルは、自分自身の力で解決する。どんなに大きな力であっても立ち向かわなければならない。夢の世界を否定した訳ではありません。ただ、自分の力でできることは自分でする。その覚悟があるかどうかです。

 

終わりに

 2019年7月に発刊された作品です。新型コロナの流行の前ですが、現在のコロナの状況を予言したかのようです。鳥インフルエンザは物語の要素であり主題ではありません。立ち向かう危機として描かれますが、あくまでも立ち向かうこと自体が大事な視点です。

 新型コロナが広がった時、罹患した者が悪いような風潮がありました。有名人が罹患した時は謝罪していました。彼らも新型コロナでは被害者なのに。

 本書で書かれている鳥インフルエンザは、まさしく現実のものとなっているのではないだろうか。