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『リップヴァンウィンクルの花嫁』:岩井俊二【感想】|ネットと現実の狭間で・・・

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 映像化を念頭に置きながら執筆した作品なのでしょう。読み進めていくほどに、自然と映像が頭に浮かんできます。それだけ風景描写が上手い。難しい言葉や表現を用いずに、それでいながら明確に状況がイメージ出来ます。映画監督だからこそ出来る文章表現力でしょう。

 映画は観ていないので、私の頭に浮かんだ映像と著者がイメージしていた映像が近しいものなのかどうか分かりません。小説通りに映像化されているのならば、それほど遠くないものだと思います。反面、読者の想像に委ねる部分が少ないと言えます。登場人物の心象は、読者次第で受け取り方は違います。風景や状況については、読者の感覚に訴えるものは少なく感じます。本作は、主人公「皆川七海」の成長の物語なのだろうか。成長というよりは、様々なことに気付いていく物語に感じます。  

「リップヴァンウィンクルの花嫁」の内容

皆川七海は、仕事をクビになり、SNSで手に入れた結婚も浮気の濡れ衣を着せられた。行き場をなくした七海は、月に百万円稼げるというメイドのバイトを引き受ける。主のいない屋敷にいたのは、破天荒で自由なもう一人のメイド、里中真白。ある日、真白はウェディングドレスを着たいと言い出すが…。【引用:「BOOK」データベース】 

「リップヴァンウィンクルの花嫁」の感想

アルとネット

 現在社会において、SNSがどれほど生活に欠かせないものになっているのか。どれほどの影響力を持っているのか。自分自身の人生にいい影響を与えるばかりでなく悪い影響も与えます。使い方を間違えると、人生に取り返しがつかないほどのダメージを与えてくるのがSNSの怖さです。

 現実世界で解決できないことをネット世界に持ち込む。逆もあります。七海が鶴岡鉄也と知り合い結婚したきっかけは、SNS上の婚活サイトです。現実世界で見つけ出すことの出来ない恋人をSNSで捜します。また、現実世界での不満をネット世界に持ち込んでいきます。それぞれの世界で自らの力で解決していくべき事柄を、違う世界に解決を求めていく。彼女にとって、現実とネットは分割することが出来ないくらい生活に入り込んでいます。しかし、必ずしもネット上の自分と現実の自分がイコールになりません。現実とネットの間での自分自身のずれが、気付かない間に取り返しのつかないひび割れとなり襲い掛かります。鉄也との関係の破綻も、彼女が鉄也の母に嵌められたのも、七海が家庭の事情を隠したからです。ネットの意見で隠すことを決断したのは、現実とネットの境目が曖昧になっていたからでしょう。

 ネットで知り合った安室は七海の依頼に応え、彼女の問題を解決していきます。安室はネットそのものを表現しているのでしょうか。安室に依頼することは、ネットで解決することと同義かもしれません。適切な解決方法を提示してくれます。安室は現実に行動してくれる訳ですが、その裏には必ずしも七海のためだけに行動している訳ではありません。ネットの闇が安室の陰にも潜んでいることが後半で分かってきます。安室自身が正体不明の存在であり続けたことは、ネットで正体を明かし自分自身を親身になって考えてくれる存在などないことを示唆しているのでしょう。 

せと苦しみ

 七海にとって幸せとは何だったのでしょうか。愛する人と結婚し、幸せな家庭生活を築くことだったのでしょうか。思い通りにいかない現状から逃避するためだけに行動していたように感じますが。

  • 不安定な派遣教師から脱却するために結婚をする。
  • 夫の不倫の疑いがあれば調べようとする。

 夫を愛するから調べるのでなく、現在の生活を維持することを目的にしているように感じます。だからこそ夫の不倫相手の彼氏の口車に乗って、ホテルの部屋にまで出向いていってしまうのでしょう。夫に問えばいいだけのはずなのに、夫との関係を壊したくない。それならば、何故、夫の不倫の疑惑を調べようとしたのでしょうか。結婚生活が破綻するまでの七海の行動は、あまりにも一貫していません。自分自身の行動の指針が立たず、様々な危機的状況に陥ります。逆に七海が不倫疑惑を疑われ(鉄也の母親に嵌められたのですが)離婚することになるのですが、元々は七海の嘘が発端になっています。彼女にとっての幸福とは何なのかを、彼女自身が理解していません。現実世界の苦しみをネットの世界で解決することは出来ない。だからこそ、彼女の苦しみは無くならなかったのでしょう。

 離婚した後、彼女は結婚式の代理出席を通じ真白と出会います。安室を通じて知り合うことになるのですが、真白と出会うことには七海の意志は介在していません。安室の思惑は結末近くで明かされますが、少なくとも七海にとって真白との出会いはネットで彼女が求めたものではありません。だからこそ真白との関係において、彼女は幸せを感じていた。少なくとも幸せを感じる変化を感じていたでしょう。苦しみを解決するためにネットを用いるのは、ネット上での解決は図れても現実世界の苦しみまで取り去るものではありません。真白との出会いは、七海にとって初めてのリアルな出会いだったと言えます。 

在と未来

 真白と出会うまでの七海は、現在しか見ていなかったように映ります。

  • 交際歴がないから婚活サイトに登録する。
  • 経済的に不安定だから結婚を決める。
  • 結婚の支障になるから離婚した両親に嘘を求め、結婚式にも代理出席者を依頼する。
  • 夫の不倫が疑われるから調査を依頼する。

 都度都度において、その場凌ぎの対応をします。その内、対応自体を思いつかなくなってしまいます。現在の自分の状況だけを眺め、未来の自分を考えません。その場の不具合を解消するためだけに行動します。建設的なものはないし、何も残りません。

 しかし、真白と出会うことで彼女は変わっていきます。真白の生き方は、七海にどのように映ったのでしょうか。理解の範疇を超えていたのかもしれません。真白の行動の源泉はどこにあるのか、七海には理解出来ません。自分と違う生き方をする真白を見て、七海は自分自身の生き方に疑問を感じたのでしょう。真白の生き方は、必ずしも幸せではありません。どちらかと言えば不幸です。しかし、彼女は精一杯生きています。七海のように、その場凌ぎで生きている様には見えません。

  • 病に侵されていたからだろうか。
  • 厳しい現実世界を生きていたからだろうか。

 真白にとって未来はそれほど残っていません。それでも現実を受け止めている姿に、七海は感化されたのでしょう。一緒に死んでくれるように頼まれ、七海は応えます。真白にとっても七海にとっても、現在を受け止めた上で未来を見たのかもしれません。時間的な未来ではなく、満たされた人生で終わるという未来ですが。 

室行舛

 彼の正体は一体何だったのか。何でも屋と自称するだけに、どんなことでも引き受けています。七海の依頼にも完璧に応えています。その一方、真白の依頼にも応えています。安室の行為は、七海にとって裏切りだったのでしょうか。七海は真白と死ぬことに自らの意志で同意します。安室の采配であったとしても自発的な決断をしたことは、安室だけが悪者ではありません。彼は依頼主の依頼に応える義務を果たしたに過ぎません。安室はプロと言えます。

 また、ランバラルは実在したのでしょうか。ネットで信用を構築し、現実世界での依頼に結び付けるための安室の自作自演なのか。彼を善人に描き続けながらも、終盤で意外な一面を見せつけます。彼の存在を善悪で判断できるのでしょうか。そのことは、ネット自体を善悪で判断できるのかどうかと問うことと同義かもしれません。 

終わりに

 映画化されています。著者は映画化を前提に執筆しているはずなので、本書に引き込まれれば映画も相当に期待できます。小説は読みやすいけれど、後半になればなるほど物語の進展のために都合の良い設定が頻発してきたように感じましたが。

  • 真白がAV女優だったこと。
  • 余命がほとんどなかったこと。
  • 真白と七海の関係が特別なものに展開していくこと。

 前半の七海の結婚生活が、どれほど後半に影響を与えたのかのもよく分かりません。七海の人物設定のためにどうしても必要だったのでしょう。長すぎる気もしますが。前半と後半で別の物語を読んでいるようでした。私が読み解けないだけで、もっと深い考察があるのかもしれませんが。映画は違った印象を受けるかもしれません。上映時間180分はかなり長いですが。