
徳川家康が現代に蘇って総理大臣になる
そんな奇抜な設定に、「これは面白そう!」と期待した人も多いはず。しかも出演俳優は豪華そのもの。
しかし、ふたを開けてみれば、そこにあったのは想像以上に盛り上がらず、想像以上にワクワクしない映画だった。タイトルは満点、内容は残念のひと言。そのギャップこそが、この作品の最大の見どころかもしれない。
豪華キャストがもったいない、空回りの演出
出演俳優のラインナップを見たとき、多くの人が「これは絶対当たるだろう」と思ったはず。徳川家康役をはじめ、坂本龍馬や織田信長を演じる俳優陣は、誰もが知る実力派ばかり。
演技の存在感や台詞回しも文句なしだ。しかし、肝心の脚本と演出が彼らの魅力をまるで活かせていない。
キャラクター同士の掛け合いも淡々としていて、せっかくの家康や信長が、ただの「真面目なおじさん」に見えてしまう。もっと暴走してもいいのに、全員が「良識的」にまとまってしまう。
結果、豪華キャストの熱演が、まるで重たい会議の議事録のように感じられて仕方ない。
政治コメディなのに笑えない安全運転しすぎの脚本
「もしも徳川家康が総理大臣になったら」というタイトルを聞けば、誰だって笑いや風刺の効いた政治ドラマを想像する。
だが実際の内容は、結末に近づくほど驚くほど真面目になっていく。しかもその真面目さが、映画としての面白さを見事に削いでいる。
「今の日本には忍耐が必要だ」「昔の知恵を見直そう」といったセリフが繰り返されて、まるで歴史と道徳の授業を受けているように感じる。
社会問題を扱ってはいるものの、どの場面も踏み込みが浅い。現代政治への批判も避けていて、一般論に終始している。
結果として、観客の心に残るのは「良い話だな」ではなく、「それで?」という薄い余韻だけだった。
もっと皮肉やブラックユーモアを交えれば、現代社会への風刺としても成立したはずだ。しかし、映画は最後まで「安全運転」を続け、タイトルの挑発的な期待を裏切る形になってしまった。
「もしも」の面白さが活かされず、予定調和の結末
この映画で一番の問題は、「もしも」という設定をまったく使いこなせていないことだ。家康たちが現代に現れるのだから、もっと混乱が起きてもいいし、もっと時代ギャップを活かして笑わせてもよかった。
ところが、実際の物語は淡々と進み、終盤にはきれいに「感動まとめ」へ突入する。
最終的には「日本人の誇りを取り戻そう」といったメッセージで締めくくられるのだが、その過程に驚きもドラマも感じない。
観客は「家康たちが現代に来た意味」を最後まで感じられないまま、エンドロールを迎える。まるで「卒業式のスピーチ」を2時間かけて聞いたような気分になるのだ。
まとめ
結論から言えば、「もしも徳川家康が総理大臣になったら」はタイトルが一番面白い映画だった。設定も俳優も素晴らしいのに、脚本と演出があまりに平凡。
勇気を出してもう一歩踏み込めば、社会風刺としてもコメディとしても化けたはずだ。だが今のままでは、「もしも面白かったらなあ」と観客のほうが想像を膨らませるしかない。
少なくとも映画の中では、家康が総理になっても日本は変わらなかった。