読書ライフ

本を読み、感想や書評を綴るブログです。主に小説。

ーおすすめ記事ー
タイトルのテキスト
タイトルのテキスト
タイトルのテキスト
タイトルのテキスト

『愛なき世界』:三浦しをん【感想】|恋のライバルは草でした

f:id:dokusho-suki:20200222213950j:plain

 タイトルを見ると、人間の内面性を描いた重厚で考えさせられる作品だと思わせます。実際に読んでみると、かなりライトな印象です。文章が読みやすいし、テンポもいいからかもしれません。ただ、想像と違って物足りなさを感じたのも事実ですが。「まほろ駅前多田便利軒」のように、面白いながらも登場人物の心象を深く描いている作品ではありません。

 大学の研究者を職業と考えれば、職業小説にラブコメディを加えた作品です。料理人見習の藤丸陽太の視点で始まり、その後は植物学研究者の本村紗英の視点で描かれます。職業小説なので、「舟を編む」に近い設定です。辞書は誰もが使ったことがあり身近な存在だったので、新しい発見や驚きや感動がありました。植物学はあまりに遠い存在です。物語に入っていけるかどうかは人によるでしょう。

 職業小説は、その職業に興味が持てるかどうかであり難しい題材だと思います。興味を抱けば、ラブコメディの要素もあるので二重に面白いはずです。装丁の美しさとタイトルに魅せられて読みましたが、様々な意味で想定外でした。  

 「愛なき世界」の内容

恋のライバルは草でした(マジ)。洋食屋の見習い・藤丸陽太は、植物学研究者をめざす本村紗英に恋をした。しかし本村は、三度の飯よりシロイヌナズナ(葉っぱ)の研究が好き。見た目が殺し屋のような教授、イモに惚れ込む老教授、サボテンを巨大化させる後輩男子など、愛おしい変わり者たちに支えられ、地道な研究に情熱を燃やす日々…人生のすべてを植物に捧げる本村に、藤丸は恋の光合成を起こせるのか!?【引用:「BOOK」データベース】

 

「愛なき世界」の感想

染みのない職業

 主人公は植物学に没頭する本村紗英です。彼女が研究に人生を捧げる理由と熱意はどこにあるのでしょうか。人は何かをやり遂げようとすることにやりがいを感じます。本村たちの研究は、人生をかけても成し遂げられるかどうか分かりません。そもそもゴールがあるのかどうかも判然としません。

 本村の研究は、モデル植物「シロイヌナズナ」を使って遺伝子を解明することです。解明自体が目的であり、その後の活用は具体的に見えません。一般人の感覚では、研究は何かに役立てるものです。研究自体が目的ではなく、一般社会に還元できる成果を出すために研究することを想像します。もちろん基礎研究も重要ですが。

 本村たちの研究のスタンスは根本的に違います。知りたいことや解明したいことを達成するために研究します。結果として人類に役立つ研究になるかもしれませんが。

 シロイヌナズナを観察し、四重変異体を作成することで何が分かるのでしょうか。研究内容については、作中で詳細に説明されていますが完全に理解できません。そもそも予備知識がありませんし、植物学の知識がある読者がどれほどいるのかも不明です。本村を始め研究室の面々に共感するためには、彼らの行動を理解する必要があります。そのためには研究を理解しなければなりません。本村に立ち塞がる壁・失敗の大きさ・方法の変更が大きな事態なのは分かりますが、なかなか心に沁み込んできません。

 「舟を編む」は辞書でしたが、実際、辞書の作り方は全く知りませんでした。完成品の辞書は何度も見ていますし使っています。だからこそ製作者の苦労が伝わります。植物学は目新しい視点ですが、本村たちが人生をかけている姿は遠い世界のように見えます。現実感と共感が薄く感じます。

 

丸の恋と諦め

 藤丸の視点で始まったので、彼の恋愛が物語の主軸と思っていましたが、すぐに植物学の研究と研究者の人生へと移っていきます。藤丸の恋は、本村が研究にかけているものを強調するためのひとつの手段に過ぎません。藤丸の恋が真剣であればあるほど、それを断る本村の植物への愛が際立ちます。

 藤丸が本村に恋をした理由は何でしょうか。恋の理由はひとつだけではありません。本当の恋であればあるほど複合的な要素が絡まり合います。外見・研究に打ち込む姿・どこか抜けているところ。全てが絡まり合うことで愛情へと変わっていきます。藤丸にとって最も大きな要因は彼女の研究に打ち込む姿でしょう。自分よりも植物の研究を選んだことに納得していることからも分かります。そもそも両立しないという前提で考えている本村に違和感がありますが。

 本村は両立の可能性を考えません。人生をひとつのことだけに捧げるのは純粋なように見えて不誠実です。仕事と愛情を天秤にかけることは自分勝手に映ります。愛情自体を真剣に考えているのでしょうか。愛を比較で判断することは、見方によっては傲慢です。

 藤丸の諦めも良過ぎます。藤丸は料理人見習であり、料理にかける情熱は本村にも負けないでしょう。藤丸が本村に告白したからには、料理と恋は両立すると考えているはずです。本村は研究を理由に断ります。恋人がいると研究に打ち込めないと考えています。藤丸は恋をすることで料理に打ち込めないのでしょうか。もちろん個人差はあるでしょう。藤丸は両立できると思っています。本村が研究を理由に断ることに納得できるでしょうか。藤丸の引き際の良さに違和感があります。

 

かを犠牲にしないとダメなのか

 研究室の面々は、何かを犠牲にして研究を続けています。何も犠牲にせずに研究に打ち込むことは難しいでしょう。特に時間です。時間は限られています。研究に費やすほど、他のことをする時間は無くなります。時間という物理的な制約があることは事実です。研究から目を離せなければ、旅行も行けないし休日もありません。家族がいても、一緒に過ごす時間も作れません。それでも研究を続けるのは、やりたいと感じているからです。やりたいことをするために他のことができないのは犠牲ではない気がします。

 精神的な制約はどうでしょうか。例えば、一緒に過ごすことができないことで愛情は無くなってしまうのでしょうか。実際問題として続かない可能性が高いですが、100%ではありません。遠距離恋愛の全てが別れるとは限りません。

 そもそも植物の愛情の一部が藤丸に向くことになるのでしょうか。愛情に総量があると思いません。植物への愛情を持ったまま、藤丸の愛に応えることも可能でしょう。植物が好きだから藤丸には応えられないというのは理由になっていそうでなっていません。全ての研究者が同じ悩みや感情を抱いていると錯覚します。

 研究者は特別な人ではありません。物事を追及している人は一般社会に大勢います。何かを犠牲にして何かを成し遂げることは美徳のように見えますが、無条件にそうとは言えません。 

 

言は誰に求めるのか

 研究はスムーズに進みません。本村も失敗します。失敗すれば教授や先輩などに助言を求めるはずです。同じ研究者だからこそ的確な助言を受けることができます。経験を基に適切な助言を与えるのが教授の責務ですし。本村が失敗を隠すのは、研究者としていかがなものか。保身を自覚していますが、自覚しているなら尚更どうなのでしょう。研究や植物に真摯であれば想定外の状況を打破すべきであり、自力で無理なら他力を頼るのは当然です。

 重要なのは適切な助言を得ることです。感覚的でなく実際的な助言が必要であり、与えられるのが誰なのかは明白です。研究者としての矜持が邪魔をする場合もあるでしょうが、本村の場合は博士論文や研究者としての地位や立場、周りの目に左右されています。何一つ自分の研究のためではありません。最終的に研究室の面々に解決策を求めます。彼らは経験豊富なので、本村に適切な情報を与えます。ただ、最終判断は本村が下すことになります。

 藤丸の意見を聞く必要性はどこにあるのでしょうか。同じ研究室の人以外の意見を聞くことは、違う視点なので重要かもしれません。あくまで同じ研究者からの意見としてです。藤丸は研究室に出入りしているとはいえ全くの素人です。知識も経験もありません。彼の意見は根拠のない感覚的なものです。料理に例えている時点で分かります。それを取り入れることは不自然さがあります。研究者としての論理的・理性的な判断はどこにあるのでしょうか。教授の判断も同じものでしたが、結果的に同じだっただけに過ぎません。

 

場人物の個性と善悪

 藤丸の真面目さは、料理に対する姿勢と本村に対する態度で分かります。藤丸が植物に興味を示すのは、本村に好意を抱いていたからでしょう。しかし、フラれた後は純粋に植物に興味を持つようになります。研究や実験を見せられ感嘆する姿は不自然な印象を受けます。素直でいい人なのは伝わりますが。

 本村の天然さはTシャツの柄が象徴的であり、悪気のない無邪気さを感じます。研究室の面々も円服亭の店主も全ていい人ばかりで悪い面が全く見えません。

 人間の善悪を描かず、いい人ばかりで現実感が薄くなっていきます。一人の人間の中に善悪が存在し、どちらが大きいかはその人次第です。善悪の物語でないから、敢えて描かないのかもしれません。しかし、人間の深みを感じません。みんなが助け合い、進んでいきます。誰も足を引っ張りません。生き方は人それぞれですが、人としての違いが見えてきません。

 起こる出来事は、みんなで協力して解決します。しかもいい方向にばかり進んでいく。トラブルは本村の実験の失敗と藤丸の失恋くらいでしょうか。表層的で軽く感じる理由は善悪が描かれないからかもしれません。

 

終わりに

 読みやすいが、植物学という馴染みのない題材で共感や現実感を伴いません。人物の心象も単純に見えます。その場の感情で動いているようにしか見えません。

 「舟を編む」は身近な辞書の裏にある真実を描いていました。「まほろ駅前多田便利軒」は人物の心象を深く描いています。

 

 本作は、どちらにも及びません。タイトルに潜む奥深さを期待しましたが、期待通りではありませんでした。植物学は詳しく書かれていますが。