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『21Lesson』:ユヴァル・ノア・ハラリ【感想みたいなもの】|Ⅱ 政治面の難題

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 こんにちは。前回、「『21Lessons』:ユヴァル・ノア・ハラリ【感想みたいなもの】|Ⅰ テクノロジー面の難題」の続きです。  

Ⅱ 政治面の難題

 考え得る多様な対応を考察します。AIを使って、人間の自由と平等を保護するグローバルなコミュニティを創り出せるのか。もしくは国民国家に権限を与えるのか。古代の宗教にまで遡る必要が出てくるのか。

 「コミュニティ」「文明」「ナショナリズム」「宗教」「移民」の五つの視点から、これらの課題を考察しています。それぞれに副題があります。

 

  • 「コミュニティ」・・・人間には身体がある
  • 「文明」・・・世界にはたった一つの文明しかない
  • 「ナショナリズム」・・・グローバルな問題はグローバルな答えを必要とする
  • 「宗教」・・・今や神は国家に使える
  • 「移民」・・・文化にも良し悪しがあるかもしれない

 

コミュニティ

 フェイスブックのマーク・ザッカーバーグはコミュニティサミットの講演で、社会的・政治的混乱はコミュニティの崩壊を原因にしていると説明しました。コミュニティが崩壊しているのは正しい。現在の人間は、依然、神ではなく人間に過ぎません。グローバルなネット上のコミュニティではなく、少数の親密な集団が必要になります。しかし、コミュニティは崩壊しつつあり、そのことが原因で様々な混乱を引き起こしています。

 想像上のコミュニティを現実のコミュニティに代わるものとして試みてきたが、成功していない。人は親密な人間関係の中でしか満足を得ることはできません。想像上のコミュニティは多くの人を繋げようとしますが、親密さを与えてはくれません。人間関係は薄く低迷していており、孤独が社会の混乱を引き起こします。

 フェイスブックのAIが社会的な結びつきを強め、世界を緊密にすることができるだろうか。成功すれば、アルゴリズムは社会的ネットワークの大きな力になるだろう。

 フェイスブックは、オフラインの活動を減らしてでもオンラインに時間を増やすことをビジネスモデルにしています。現実の環境と身体や感覚に意識を振り向かせるビジネスモデルへと変更できるだろうか。

 

文明

 人類は様々な文明に分かれて暮らしてきました。文明が違えば、価値観は違います。相容れない世界観があることで、文明間の争いが起こってきた。争いを繰り返し、適者だけが生き残ってきたことは自然界の生存競争に似ています。

 しかし、文明の衝突を生物学との類似性で説明するのは間違いです。歴史上の文明の衝突は、自然選択の過程とは異なります。種の自然選択は信念ではなく、それぞれが持っている客観的なアイデンティティに基づき行われます。遺伝的な要素であり、そのような特徴は永続的に続いており、自身の選択で選べるものではありません。

 一方、人間の集団は違います。人間の集団が持つ社会制度は遺伝的で決定的なものではありません。それぞれの文明が持つ制度が永続的に続くことはありませんし、それぞれの文明に変化しない本質は存在しません。人の価値観は変化していくが、認めたくない人が多い。自分たちの価値観が永続していく貴重なものだと主張します。

 また、種は分岐を繰り返していくが、文明は分岐と融合を繰り返す。融合を繰り返すことでより大きな文明を形成します。人類は異なる多くの部族でしたが、それらが融合し、より大きな集団となり、単一の文明へと向かっています。現在においても政治的・文化的な違いは残っていますが、グローバルな世界においては、それらの隔たりが文明のまとまりを止めることはありません。

 現在においては、異なる集団も同一の信念や慣行を共有しつつあります。過去、それぞれの社会は独自の政治パラダイムを有していました。それぞれの社会は、違った政治パラダイムを理解し受け入れることは難しかった。

 しかし、現在では、どの社会も単一の政治パラダイムを受け入れています。どの国も国際法を守り、同じような国旗を持ち、国家を持っています。グローバルな政治秩序を取り入れることで、国家としての存在を世界に認めてもらうことができます。

 違う宗教やそれぞれの集団のアイデンティティはあったとしても、国家や経済などの実際的な話になるとほぼ同じ文明の所属しています。集団間の争いはありますが、争い自体は集団内にも存在します。

  

ナショナリズム

 人類はほぼ共通の文明を構築しており、共通の問題に直面しています。それにも関わらず、無数の集団がナショナリズムを高め孤立を深めています。ナショナリズムは特定国家の問題解決のためには有効だが、あくまで特定の国家の問題解決に過ぎません。グローバルな問題解決には何一つ有効な手段を持ち合わせていない。

 現在の人類はナショナリズムで解決できない問題を抱えている。グローバルな協力無しでは解決することはできない大きな問題は、「核」「生態系」「テクノロジー」です。

 核は言うまでもなく、全世界的な問題です。人類は核を手に入れた時から、核戦争の脅威に脅かされてきました。東西冷戦時には核戦争は目の前の危機でしたが、人類は核戦争を起こさず新しい世界秩序を手に入れた。核戦争だけでなく、国家間の戦争自体も大きく減少した。しかし、核戦争の防止は世界規模で行われることであり、特定の国のナショナリズムでは解決できません。

 生態系の崩壊も特定の国だけで解決することはできません。人間だけでなく、あらゆる生態系は世界規模で存在しています。人間は廃棄物や汚染物質を流し続け、環境を破壊し、生態系を壊しています。均衡の上に成り立っていた生態系を、どれほどのスピードでどれほど壊しているのか。そのことに気付いていない者は多い。気付いていても何らかの手立てを講じている者は少ない。

 経済成長のためには環境を破壊していいのかどうか。すでに成長を遂げた先進国が、環境破壊を理由に発展途上国の経済活動を止めることができるだろうか。自身の国だけを考えれば、世界は協力して環境破壊に取り組まなければなりません。しかし、環境破壊に対する考え方は国によって違います。経済よりも優先すべき事項だと考えない国もある。ナショナリズムに基づく自国優先主義は、環境破壊を止めることよりも自国の発展を求めていくだろう。

 ITとバイオテクノロジーの融合によるテクノロジーの進歩は、多くの脅威を生み出します。無用者階級を生み出すこともひとつです。ナショナリズムは対抗できるのだろうか。気候変動と同様に技術的破壊に対しても、ナショナリズムは解決方法を示さない。

 テクノロジーの開発はあらゆる国家で行われています。自国だけテクノロジーの開発を止めることに意味があるだろうか。結局は他国で開発されてしまい、結果、後塵を期すことになります。ナショナリズムは自国を不利にする選択を行わないだろう。どこか一国でもテクノロジーの開発を進めれば追随するしかありません。

 問題解決のためには政治的な判断をグロバール化する必要があります。グローバル化とナショナリズムは必ずしも相反しない。正当なナショナリズムは自国を愛することであり、他国を憎むことではありません。自国を守る為には他国と協力するしかない時代になっています。

  

宗教

 科学とイデオロギーは実行可能な解決策を見出せていません。解決策は伝統的な宗教の中に存在するのだろうか。宗教を信じていない人は少ない。信仰心の篤さに違いはあっても、何かに対し信仰を抱いている人がほとんどだろう。日本人も決して非宗教的な人々ではありません。

 宗教が果たす役割を考えるために、「技術の問題」「政策の問題」「アイデンティティの問題」の三つの種類に区別します。伝統的な宗教は、「アイデンティティの問題」に大きく関係している一方、他の二つの問題にはあまり影響を与えません。

 過去、宗教は技術の問題を解決してきました。旱魃を防ぎ、降水を確保し、種蒔きの時期を決めた。宗教に使える者は、医者の役割も担ってきた。しかし、科学の進歩がこれらの問題から宗教を遠ざけました。彼らが担っていた役割は、医者や科学者が引き継いでいます。

 そもそも宗教にこれらの問題を解決する現実的な力はなかった。他のどの手段も解決する力がなかったからこそ、宗教が担っていたに過ぎません。宗教が目的としていたのは物事の解釈です。科学者が技術の問題を解決することになったのは自然な流れかもしれません。

 科学は技術的な問題を明確に解決するのに有効な手段ですが、政治的な問題には適さない。問題を明確にすることはできても、どのような対策が最善かについて科学が答えることはできません。

 では、宗教が代わりに答えを出すのだろうか。宗教指導者が国家の政策に大きな影響を与える国もあります。そういう国の指導者でさえ、政策の決定は科学的な根拠に基づいて決定されます。その科学的根拠を宗教の教義の中に紛れ込ませ、信仰心を高めることに利用します。

 行われる政策はどの宗教を信じている国でも大差はないかもしれません。宗教が何か重要な決定を下すことはないだろう。宗教同士が対立するのではなく、宗教内であっても対立します。問題解決のためにどちらの考えを取るかについて、宗教が明確に決めることはありません。解釈次第で宗教は都合よく使われることになるのだろう。

 

移民

 移民をどのような形(取り決め)で受け入れるかで議論が変わります。

 

  • 無条件に入国させるのか。
  • 入国の見返りに自身の規範や価値観の一部を捨て去ることになったとしても、受け入れ国の基本的規範と価値観を受容するのか。
  • 移民はいずれ受け入れ国の正式な成員として認められるのか。

 

 移民をどのような待遇で受け入れるかについては、受け入れ国が決めるだろう。無条件で受け入れることが自国の利益や文化を損なう可能性があるのならば、何らかの条件や制限が必要になります。しかし、EUの場合は多文化と寛容を理想としているので、厳しい条件は理想に背いていることになるかもしれない。現実的な問題と理想の間には大きな溝があるのだろう。

 移民の受け入れに消極的になる理由はなんだろうか。また、移民が差別的な扱いを受けるのは何故だろうか。

 人間社会には差別が存在します。過去には人種差別(現在もなくなったわけではないが)、現在では文化差別が起こっています。自国の文化と違う文化を受け入れ、なおかつ自国の価値観を不安定化させない。そのような道を見つけ出さない限り、移民を受け入れ続けることは難しいのだろう。

 ヨーロッパは、その試金石となるのかもしれません。移民をほとんど受け入れない日本が意見や批判を言う資格があるかどうかも疑問ですが。