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『ダンス・ダンス・ダンス』:村上春樹【感想】|喪失の物語が向かう先は・・・

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 「羊を巡る冒険」から四年後の「僕」の物語。「風の歌を聴け」から始まり「1973年のピンボール」、「羊を巡る冒険」を三部作と言うなら、「ダンス・ダンス・ダンス」の位置付けは難しい。四部作としてカウントすべきなのでしょうか。ただ、鼠を付けると「鼠三部作」となります。数え方は、特に作品に何らかの影響を及ぼす訳ではありませんが。少なくとも「風の歌を聴け」からの流れが「ダンス・ダンス・ダンス」で完結するということです。 

 これまでの作品に共通するテーマは「喪失」です。「僕」は物語中で何かを喪失します。「ダンス・ダンス・ダンス」では、喪失した状態から物語が始まります。既に喪失している状態から、物事を取り戻し元の世界へと帰ろうとする。失われたものにより、「僕」は存在自体が危ぶまれていることを自覚しています。今の状況から回復するために、いるかホテルへと戻ります。そこは鼠を失った場所であり、耳専門のモデルであり高級コールガールの彼女(作中では早々にキキという名前が与えられます)が消えてしまった場所でもあります。「僕」は失ったものを取り戻すことにより、世界との繋がりを取り戻そうとするのです。それが唯一の道であるかのように。 

「ダンス・ダンス・ダンス」の内容

『羊をめぐる冒険』から四年、激しく雪の降りしきる札幌の街から「僕」の新しい冒険が始まる。奇妙で複雑なダンス・ステップを踏みながら「僕」はその暗く危険な運命の迷路をすり抜けていく。失われた心の震えを回復するために、「僕」は様々な喪失と絶望の世界を通り抜けていく。【引用:「BOOK」データベース】
渋谷の雑踏からホノルルのダウンタウンまで―。そこではあらゆることが起こりうる。羊男、美少女、娼婦、片腕の詩人、映画スター、そして幾つかの殺人が―。【引用:「BOOK」データベース】  

「ダンス・ダンス・ダンス」の感想

失から始まる物語

 先程書いたように、この物語は喪失した状態から始まります。つまり、僕はどこにも繋がっていない。どこにも含まれていない状態です。しかし、いるかホテルに含まれていると感じています。そして、キキが僕を求めているとも。僕をにとって世界と繋がっているのは、いるかホテルだけです。全てを失っている僕にとって、唯一世界との繋がりを取り戻せる手段がいるかホテルなのかもしれない。キキが呼んでいると感じるのは、僕にとっているかホテルが世界と繋がる唯一の方法だと理解しているから。キキが現実に呼んでいるのかどうかは、明確でありません。

  • 僕が最も友情を感じていた鼠。
  • 愛情の種類は分かりませんが僕にとって欠かせないキキ。

 両者を失った僕にとって、そこに戻ることしか道はない。これ以上失うものがないと思っている僕にとっての唯一の道なのでしょう。 

 僕の部屋には入口と出口があり、皆入口から入り、出口から出ていってしまいます。誰もそこには留まらない。そして出ていく者は、皆磨り減ってしまっています。部屋は比喩ですが、村上春樹にしては分かりやすい表現に感じます。少なくとも、僕は誰かと繋がり続けることが出来ない人間だということです。ただ空っぽの部屋から始まりますが、入口があるからには新しい人間が入ってきます。喪失したものを取り戻す以外にも、新しい人々が僕の部屋に入り繋がります。

  • 彼らが僕と繋がり続けるのか。
  • 今までの人々と同じように磨り減って出ていってしまうのか。

 今までの僕の在り方が、変わらない限り同じことを繰り返してしまうかもしれません。それを変えるためにも、いるかホテルは重要な役割を果たします。全てを失った場所でしか変えることが出来ない。僕が感じているように、いるかホテルは特別な場所なのです。  

 「羊を巡る冒険」での羊男は謎の存在でした。彼の正体は明確に明かされることはありません。ただ、彼には重要な役割がありました。既に死んでいる鼠と生きている僕を繋ぐ役目です。「ダンス・ダンス・ダンス」でも、羊男は繋ぐのが役割です。そのことは羊男の口から明確に告げられます。僕と他の誰かを繋ぐ。そして僕は、世界と繋がり続けるためにダンスを躍り続けなければならない。

 羊男は、物語中でも特に異質な存在です。「ダンス・ダンス・ダンス」は、「羊を巡る冒険」よりもかなり現実的な物語です。現実世界に即して物語が進行していきます。読み取りづらい暗喩や表現は控えられている気がします。その中で羊男だけが異世界の存在です。現実に存在しているのかどうか。もちろん、僕にとっては現実として存在しています。しかし、存在しているのは僕のためだけです。普遍的な存在ではありません。唯一、ユミヨシさんだけが迷い混みましたが、それが羊男にとって予期したことなのかどうか。また、必然であったのかどうかも読み取りがたい。

 羊男が僕に対し、躍り続けるように言います。ダンスを躍り続けること。そのことが何を意味しているのか。新しい繋がりを求め続けることなのか。失った繋がりを取り戻す努力をし続けることなのか。両方なのか。世界と繋がることを求めるなら、前に進み続けることを示唆していると感じます。  

の部屋

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 僕と誰かが繋がっていることを表現しているのは、僕の部屋です。僕の部屋に誰かがいる状態が、彼とその人が繋がっている状態です。「ダンス・ダンス・ダンス」が始まった時、彼の部屋は空っぽです。かつて部屋にいた人々は、全て出て行ってしまってます。鼠であったり、キキであったり。僕のかつての妻もそうです。遡るなら、「1973年のピンボール」で自殺した彼女もそうであったのでしょう。

 「ダンス・ダンス・ダンス」では、かつて部屋にいたキキを再び部屋に戻すために、いるかホテルに戻ります。また僕が望むかどうかは別にして、別の誰かが入口から入ってきます。出口から出ていく人を止められないように、入口から入ってくる人を止めることも出来ないのでしょう。今まで空っぽだった僕の部屋に人が入ってくるようになった理由は、やはりいるかホテルと羊男の存在です。かつてのいるかホテルは取り壊され、新しい「ドルフィンホテル」が建っています。そこで働く眼鏡の女性従業員のユミヨシさん。彼女は僕の部屋に入り、繋がります。羊男を媒介として。ユミヨシさんと繋がったことで、僕の部屋には多くの人が入ってるようになります。

  • 13歳の少し変わった美少女のユキ。
  • 同級生だった俳優の五反田君。
  • キキと同じ高級コールガールのメイ。
  • ユキの母親で写真家のアメの付き人のディック・ノース。

 他にも、いるかホテルに行ったことで僕の周りには多くの人が関わってきます。ユキの父親の牧村拓。牧村の付き人の書生のフライデー。ユキの母親のアメ。ハワイのコールガールのジューン。 

 しかし、彼の部屋に入り新しく繋がったのは、ユミヨシさん、ユキ、五反田君、メイ、ディック・ノースの5人だと思います。そして、かつて僕の部屋にいた鼠とキキ。この7人が僕にとって世界と繋がっているために重要な人物です。そんな中、僕はハワイで6体の白骨を見ます。この6体の白骨を見た時に、彼は自分と繋がっていた(繋がっている)人たちの白骨だと理解します。では、誰の白骨なのか。

 この6体の白骨は、彼の部屋から出ていった人々だと想像できます。そして、僕自身も含まれている可能性も。もともと僕の部屋に人は留まり続けることはありません。何らかの形で出て行ってしまう。自ら出ていくこともあれば、死んでしまうことも。6体の中に鼠が含まれているのなら、残りは5人です。僕は部屋から出ていく人を留めなければならない。しかし、少なくとも残りの白骨の人数だけ出ていくのは間違いない。そして僕も含まれているならば、世界と繋がり続けることが出来なかったということです。 

 物語が進むにつれ、白骨の正体が分かってきます。鼠。メイ。ディック・ノース。キキ。五反田君。残る一人は誰なのか。僕の部屋に残っているのは、ユミヨシさんとユキの二人。そして、僕自身という可能性もある。一体誰なのかということを隠しながら、物語は終結へと向かいます。  

の部屋に残った人々

 最後の白骨になるのがユミヨシさんだったらどうだろうか。そうなればユキが残ることになる。少なくとも、僕は世界と繋がり続けることが出来るだろう。しかし、僕はユミヨシさんを失いたくなかった。もしユミヨシさんがいなくなれば、ユキがいたとしても僕は世界との繋がりを断ち切ったかもしれません。 

 では、ユキだったなら。それでも、ユミヨシさんの場合と同じ結果になるでしょう。ユキを犠牲にした状態で、彼女のことを忘れユミヨシさんと繋がり続けることは出来ないだろう。 

 では、僕自身だったとしたらどうだろうか。3人のうちの誰かが白骨となることが決まっているのなら、僕は自分自身を選択したでしょう。世界と繋がることに失敗したとしても、僕の選択肢はそれしかない。

 結果として3人とも死ぬことはなかった。3人とも僕の部屋に残ります。では、6体目の白骨は誰だったのだろうか。残るのは羊男です。羊男は姿を消しました。理由も何も告げずに、突然、僕の前から姿を消してしまいます。羊男は僕と世界を繋げるために存在しているはずなのに、何故姿を消したのか。羊男の役割は彼と世界を繋げること。3人のうち誰かを白骨としてしまえば、僕と世界は繋がらない。残る方法は、羊男自らが白骨となることです。このことが最初から計画されていたことなのか。僕にとって、ユキとユミヨシさんの存在が大きくなってしまったことが計画外の出来事なのかは、よく分かりません。しかし、羊男は、自らの役割を果たします。  

最後に

 村上春樹の小説は、様々な解釈の仕方があります。私の解釈が正しいのか間違っているのか。また、浅いのか。自信はありません。「ダンス・ダンス・ダンス」は、ユミヨシさんと僕にとって幸せな結末となっています。途中経過は別にして、分かりやすいハッピーエンドに感じます。

 「風の歌を聴け」から考えると、多くの人が死に多くの人が去っていきました。しかし、世界との繋がりを取り戻し僕は新しく生まれ変わります。20代を駆け抜け30代になり、ようやく僕は自分の存在を取り戻し居場所を見つけることが出来た。後悔も不安もなく、前向きで未来があります。喪失の物語は、再生の物語でエンディングを迎えました。村上春樹の小説にしてははっきりとした結末であり、また意外な結末とも感じました。

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

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