読書LIFE ~毎日が読書日和~

本を読み、備忘録的に感想を綴るブログ。主に小説。映画もたまに。

映画「レディ・プレイヤー1」を観た

 原作の「ゲームウォーズ」は未読です。原作との比較は出来ないので、純粋に映画だけの感想です。

 ネットやツイッターなどでは、この映画を高く評価している人が多いように感じました。

 高評価の上、スピルバーグ作品ということもあり、期待度は大きい。

 

 VRワールドが舞台と言うと、「ソードアート・オンライン」を思い出します。完全フルダイブ型のVRワールドの世界設定は、それほど目新しいものではありません。

 しかし、80年代の映画・アニメ・ゲームのキャラを登場させたり、映像技術を駆使した実写の迫力など、全く別物になっているのは間違いありません。もちろん、ストーリーにおいても。

 

 ちなみに、3D吹替えで観ています。字幕を追って観るのが疲れるのと、字幕ばかりに目が行き、肝心の映像に集中できないという理由です。

 

 

 

 

「レディ・プレイヤー1」の内容 

2045年。多くの人々は荒廃した街に暮らす現実を送っていたが、若者たちには希望があった。それはVRの世界、「オアシス」。そこに入れば、誰もが理想の人生を楽しむことができる。ある日、そのオアシスの創設者、ジェームス・ハリデーが亡くなり、彼の遺言が発表された。

“全世界に告ぐ。オアシスに眠る3つの謎を解いた者に全財産56兆円と、この世界のすべてを授けよう”。

突然の宣告に世界中が沸き立ち、莫大な遺産を懸けた壮大な争奪戦が始まった。現実でパッとしない日常を送り、オアシスに自分の世界を求めていた17歳のウェイドもまた参加者の一人だ。オアシスで出会った仲間たち、そして謎めいた美女アルテミスと協力し、争奪戦を勝ち残ろうとするウェイド。しかしそこに世界支配のため、すべてを手に入れようとする巨大企業、IOI社も出現して・・・。3つの謎に隠されたメッセージの秘密とは?

アルテミスとの恋の運命や仲間との絆も試されるウェイドは、謎を解き、IOI社の陰謀を阻止することができるのか。現実の世界とオアシス。その両方で繰り広げられる冒険は、信じがたい次元へと発展していく。想像を超えた戦いの先に勝利を手にするのは一体誰だ!?【公式HPより】

 

「レディ・プレイヤー1」の感想

映像美

 VRワールド「オアシス」の圧倒的な迫力を感じるためには、映画館で観るべき映画です。

 冒頭から、その美しさと迫力と臨場感に目を奪われます。

 確かに、これほどのVRワールドなら、世界の人々がのめり込むのも分かります。オアシスの世界が魅力あるものでないと、物語の前提が成り立たない。現実世界から逃れ、オアシスに理想を求める人々の気持ちが理解できます。

 

 映画の始まりは、現実世界の荒廃したスラム街。抜け出すことの出来ない貧しさの象徴のようです。

 その荒れ果てた街から、VRワールド「オアシス」へ。

 VRワールド「オアシス」の美しさに目が奪われます。

 現実が荒れ果てているほど、オアシスの美しさが際立ちます。現実以上の臨場感を与えてきます。

 

 また、映像美とともに、迫りくる迫力にも驚かされます。

 映画の冒頭で、カーレースのシーンがあります。そのレースの迫力は、見ているだけで手に汗を握ります。

 このレースシーンで、一気に映画に引き込まれていきます。

 

 しかし、オアシスに必要なのは、現実感だけではないと思います。

 最も重要なのは、VR感。仮想世界感です。

 現実に近づけるだけでなく、仮想世界を印象付ける。何もかもを現実に近づけ過ぎない。かといって現実離れさせ過ぎない。

 その力加減が難しいと思われるが、パーシヴァルとアルテミスのアバターにより、見事に仮想世界感を与えてくれます。

 

 アルテミスは、いかにもアバターです。一方のパーシヴァルも、よく見ると肌の感じがデータで構成されたアバターという印象を与えます。

 

 仮想世界は、現実の代替品なのか。代替品なら、現実に近づける必要が出てくる。しかし、ひとつの世界として存在しているならば、独自の世界であればいい。

 オアシスはオアシスとして存在していて、現実の模倣品ではないということでしょう。

 

クロスオーバー

 1980年代の映画・アニメ・ゲームなどのキャラが、多数登場します。(映画では90年代も含まれている様ですが。)

 原作者のアーネスト・クラインの80年代に対するオマージュが盛り込まれています。

 80年代を知っている人には、懐かしく思い出深いものばかりです。逆に、80年代を知らない若い世代には、伝わらないものがあるかもしれません。

 

 冒頭にいきなり「デロリアン」が登場し、胸を高鳴らせます。

 しかも、続けて、大友克洋「AKIRA」のバイクです。

 一気に心を持っていかれます。冒頭の激しいレースシーンの中に、懐かしい思い出が心に甦ります。

 ここから始まり、最初から最後まで、80年代を思い出させる仕掛けに溢れています。ストーリーに影響するものもあれば、そうでないものもあります。

 

 AKIRAのバイクに象徴されるように、日本の作品によるものが多く登場します。

 日本のポップカルチャーが世界に与えた影響の大きさなのか。原作者の日本のポップカルチャーに対する思い入れの深さも感じます。

 おそらく、気付かなかったものも多くあると思います。一瞬しか映らなかったキャラもいるでしょうし。 

 終盤にガンダムが登場した時は、感動を覚えさえしました。

 

 スピルバーグ監督は、次のように語っています。

 「僕はこの映画に登場する日本の POPカルチャーが大好きだ。みんなが知っているアキラのオートバイやガンダムなどね。この映画には日本からやってきた素晴らしいアニメやマンガが詰まっている。そして僕はそれらを讃えたかったんだ」

 

 原作者のアーネスト・クラインとスピルバーグ監督。どちらも、日本のポップカルチャーに敬意を表してくれているのだと感じます。

 

 ただ、ガンダムの戦闘に制限時間があるのは違和感を感じます。原作では、ウルトラマンの役回りであったものをガンダムが演じているので、制限時間が残ったみたいです。

 

  これだけのキャラを登場させるためにクリアしなければならない権利関係は、途方もないでしょう。その労力に脱帽します。

   

ストーリー

 ストーリーは、いくつかの要素が複合的に組み合わさっていますが、それほど複雑ではありません。

 メインのストーリーは、富める者と貧しき者との戦いです。

 富める者が「悪」、貧しき者が「正義」。

 正義と悪を分け、戦わせる。いかにもアメリカらしい分かりやすい構図だと思います。その戦いの舞台がオアシスという訳です。

 

 オアシスの創設者ジェームズ・ハリデーの遺産とオアシスの所有権を巡る戦い。

 しかし、勝つためにはどんな手も使うIOI社社長ソレントが立ちはだかります。

 圧倒的な力を持つソレントに、どのように立ち向かっていくのか。いかにして勝利を手にするのか。

 

 ただ、IOI社とソレントが悪役ぶりが、いまいち中途半端に感じます。

 第一の関門を突破したウェイド(パーシヴァル)を抹殺しようと、現実世界の彼の住居を爆破するのは、いかにも悪役らしい。

 しかし、その後、レジスタンスアジトへの襲撃の際にウェイドに逃げられたり、なかなかウェイドを発見出来なかったり。

 オアシス内において、IOI社が送り込んでいるプレイヤーの役立たなさ。

 ウェイドたちを抹殺するために、社外の人間を使う。

 IOI社には、有能なプレイヤーがいないのか。力のある組織とは思えなくなってきます。 

 また、サマンサ(アルテミス)のいるレジスタンス。このレジスタンスの規模や、ソレントにとってどれほどの脅威なのかもよく分かりません。

 

 オアシス内での強さの定義もよく分かりません。レベル制なのか、能力制なのか。何をもって強いとするのかが分からないと、ウェイドたちが謎を解いたり、敵を倒したりすることの凄さが伝わってきません。

 

 映像美や登場キャラに目を奪われて、ストーリーの本質がよく見えてこなかった気がします。 

 最終的には、正義は勝つということだと思いますが。

 

 一方で、正義と悪というよりも、現実世界と仮想世界の関係性を問うた作品だと感じます。

 現実世界と仮想世界では、何が違うのか。

 耐えがたい現実ならば、仮想世界に生き続けてもいいのではないか。

 それでも、現実を生きないといけないのか。

 

 ハリデーとパーシヴァルの邂逅によって、その答えは出たのだろうか。

 ストーリーの結末として、人は現実を生きるべきだ、というメッセージを感じます。しかし、現実と仮想の境界が曖昧になっていけば、果たして、そう断言できるだろうか。

 近未来のストーリーですが、現実になるのは、それほど遠くないかもしれない。その時に、我々は、仮想世界にどのように向き合うのか。そこまでの問いを投げかける映画かもしれません。

 

公式ホームページ

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