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『将棋の子』:大崎善生【感想】|将棋は彼らに何を与え、何を奪うのか。

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 藤井聡太棋士の影響で注目を集めている将棋界。光の当たる表舞台で活躍する棋士たちの陰には、多くの夢破れた若者たちがいます。奨励会というプロ棋士になるための競争の中で敗れ去り、消えていった若者たちの闘いとその後の人生を描いたノンフィクション小説です。著者の大崎善生は、日本将棋連盟で10年間「将棋世界」の編集長を務めていました。奨励会に在籍していた若者たちを間近に見続けていた著者だからこそ描けた内容だと感じます。
 光は輝けば輝くほど、その陰は濃くなる。
 将棋の世界においても、同様です。トッププロが輝けば輝くほど、プロになれず立ち去った者たちの背負った影は濃い。全ての人たちが辛い現実の中を生きている訳ではないのでしょうが、少なくとも挫折を背負っているのは間違いないでしょう。

 この小説では、棋士になれなかった人たちが描かれています。その中でも、成田英二の物語が中心となっています。著者にとって、成田英二が同郷であったためなのか。それとも彼の生き方が、最も奨励会の厳しさを反映していたためなのか。言えるのは、成田英二の生き方を書かずにはいられなかったということでしょう。 

「将棋の子」の内容

奨励会…。そこは将棋の天才少年たちがプロ棋士を目指して、しのぎを削る“トラの穴”だ。しかし大多数はわずか一手の差で、青春のすべてをかけた夢が叶わず退会していく。途方もない挫折の先に待ちかまえている厳しく非情な生活を、優しく温かく見守る感動の一冊。【引用:「BOOK」データベース】 

「将棋の子」の感想

励会とは

  将棋の世界は、あまり馴染みがありません。注目を浴びるプロの対局や結果は、ニュースなどで流れることもあります。しかし、プロになるためにはどうすればいいのか。プロ野球選手のように分かりやすくはない。この小説の舞台の中心は「奨励会」です。奨励会については、日本将棋連盟のホームページに詳細があります。 

  ある一定以上の実力を備えた者が、プロになれる訳ではありません。半年単位で行われる三段リーグの上位2名のみが四段に昇段し、プロになれます。1年に4名のみ。それ以上でも以下でもない。どれほどの実力があろうと、上位2名に入らなければプロになれない。プロになる実力を測るのは、多くの奨励会員たちとの相対的な強さということになります。強い棋士たちが大勢いる時期は、プロになる道はとてつもなく狭くなります。逆もあります。同じ実力を備えていたとしても、プロになれる者もいれば、なれない者もいる。

 それが勝負の世界というものなのでしょう。勝ち負けで結果が出る世界ならば、プロになるのも勝ち負けのみで決める。表面的には、そのように映ります。ただ、今の三段リーグ制になった経緯が書かれている部分があります。必ずしもプロ棋士の実力のレベルを維持するためだけに、今の制度になった訳ではなさそうです。著者曰く、昭和62年に三段リーグが復活した理由は、

  1. それまでの13勝4敗の昇段規定では、昇段者が増えすぎる
  2. プロが増え過ぎ、将来的に将棋連盟の財政を圧迫しかねない
  3. 一年に何人の昇段者が出るか予測がつかず、連盟の予算を組みにくい

 と言った現実的な問題からだと言うことです。その結果として、プロとアマの実力差がなくなってきたという副作用もあるようです。本来、プロになれる実力がありながら、狭き門と年齢制限によりプロになれなかったアマが存在するようになったからです。

 三段リーグの復活は必ずしも良い部分だけではないようです。少なくとも奨励会員たちにとっては、過当な競争を勝ち抜く必要が出てきたことは間違いないでしょう。  

負の厳しさ

 奨励会の厳しさは、1年にたった4人しかプロになれないという現実以上に年齢制限が最も大きい理由に感じます。どれほど頑張っても一定年齢がくれば、諦めざるを得ない。一般社会に放り出されてしまう。彼らの人生にとって、どれほど厳しい状況を生み出すのか。この小説は、それを描いています。成田英二を始め、米谷和典、加藤昌彦、江越克将たちを通じてです。

 成田を中心に描かれています。その成田は、57年組と言われる羽生世代に翻弄された世代です。羽生を始め、森内俊之、郷田真隆などが奨励会を席巻するのみならず、今までの将棋自体を変えた。 

まさに、革命と呼べるものだったのでしょう。

 その変化の中で、成田は自らのスタイルを貫くことにより取り残されていきます。棋士としてのプライドを持ち続けることは必要なことなのかもしれません。しかし、変わっていく将棋を理解しようとせず、背を向け、自らの将棋とともに沈んでいく。成田は、羽生世代によってもたらされた変化に対応しなかった。彼がプロになれなかった理由は、羽生世代の圧倒的な強さに敗れたのではなく、将棋界の変化を認めず頑なであったことではないだろうか。変化に対応する能力も彼の実力と考えるならば、プロになれなかったのは必然かもしれません。そもそも、彼らは自らの力のみを信じ将棋を指しているのだから、自分自信の責任の元に結果はあるのでしょう。  

らに残るものは?

 細かい規定はあるものの、年齢制限をざっくりと言うと、

  1. 満21歳の誕生日までに、初段
  2. 満26歳の誕生日を含むリーグ終了までに4段

 これを満たさないと、奨励会を退会となりプロへの道は閉ざされる。条件を満たすことが出来なければ、早ければ21歳、遅くとも26歳で一般社会に放り込まれてしまいます。今まで、将棋しかしてこなかった人たちです。成田英二が奨励会にいた頃は、高校に通いながら奨励会に在籍している者は少なかったようです。将棋以外に取り柄がなく、高校教育を受けていない。そのような状態で、社会で生きていくのはとても厳しい。そもそも、社会が受け入れてくれないかもしれない。 

 プロになれなかった多くの棋士たちが、新しい人生を始める。挫折の中でも、人は生きていかなければならない。その現実といかに折り合うか。社会の中で就職し、居場所を見つけ生きていく者もいれば、社会に馴染めずドロップアウトしていく者もいる。ただ、どちらにも言えるのは、とても厳しい現実が待ち受けているということです。 

  成田英二は、地元北海道に戻り、パチンコ屋に就職。リストラに遭い、借金まみれになり、夜逃げの上、古新聞の回収業で働いている。そこで搾取されていると言っていいような生活を送っている。 

  米谷和典は、不動産会社に就職し営業職員として好成績を上げ続ける。そして、一念発起し司法書士に合格する。 

 加藤昌彦は、役者を目指すことを志し赤井英和の付き人となる。最後は、将棋の世界に戻りライターとなる。 

 他にも様々なエピソードが書かれているが、奨励会を退会した棋士たちのその後は千差万別である。厳しい現実が待っているからと言って、必ずしも社会の中で生きていけない訳ではない。成功する者もいる。ただ、挫折感は消えないのかもしれない。成田英二も古新聞回収業から抜け出し、将棋教室の講師として再出発することになる。 

 彼らに残ったものは何か?

 挫折感は消えないのかもしれない。ただ、奨励会に在籍した時期に自分の存在全てを将棋に懸けたという事実は、心のどこかに残り続けるのだろう。  

最後に

 著者は、将棋は厳しくないと言っています。本当は優しいものだと。将棋は人間に何かを与え続けるだけで、何も奪いはしないとも言っています。しかし、プロになれなかった棋士たちに待ち受ける厳しい現実は、彼らから何かを奪うのでしょう。奨励会で棋士を目指している時は、将棋は何かを与え続けているのかも知れません。しかし、奨励会を退会した瞬間、今まで与えてきたものを全て取り上げているように思います。全てを取り上げられ、途方に暮れ、新しい一歩を踏み出せない。 将棋が何かを与え、そして奪うのか。

 私は、奨励会という制度自体が奪っていくのだと感じます。一体、どのような制度が良いのか。プロのレベルを維持し、尚且つ、プロになれなかった者たちに違う人生を歩ませる意気込みを与える。私には思いつきません。プロを目指すというのは、リスクを伴うものです。しかし、そのリスクが大きすぎれば、果たしてプロになろうと思う人たちが増えていくのか。将棋の普及は成るのか。将棋に限ることではありませんが、難しいことです。 

鬼気迫るプロの執念

 大崎善生の著書「聖の青春」を以前読みました。「将棋の子」とは違った視点で、棋士を描いています。プロ棋士の執念を、早逝の棋士「村山聖」を通して描いています。こちらも、必読です。 

将棋の子 (講談社文庫)

将棋の子 (講談社文庫)