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タイトルのテキスト
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『告白』:湊かなえ|一体、誰が救われたのか。そこに救いはあったのだろうか?

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 ひとつの事件を、5人の視点から描く小説です。この手法は、宮部みゆき氏の「模倣犯」を思い出させます。「模倣犯」と同じく、事件の概要と犯人は最初に語られます。犯人捜しのミステリーではなく、復讐劇とそれに関わった人々の心象の物語です。被害者と加害者そして第3者といった人物の視点から語られる物語はそれぞれに絡まり合い、この事件の真相を明らかにしていきます。真相は、この事件に関わった人々の心の闇の部分です。

「告白」の内容

「愛美は死にました。しかし事故ではありません。このクラスの生徒に殺されたのです」我が子を校内で亡くした中学校の女性教師によるホームルームでの告白から、この物語は始まる。語り手が「級友」「犯人」「犯人の家族」と次々と変わり、次第に事件の全体像が浮き彫りにされていく。【引用:「BOOK」データベース】 

「告白」の感想  

現実と偶然

 非現実的な部分が目立ちます。また、偶然と必然の区別がよく分かりません。発端は子供を学校内の事故で亡くした女性教師が、実は事故ではなく殺されたのだとホームルームで告白するところから始まります。そして、犯人もクラスの中にいて、誰かということも分かっています。そこで復讐をするわけですが、その復讐の仕方があまりにも非現実的で理解できません。内容を言ってしまうと未読の方に申し訳ないので言いませんが、そんな復讐で子供の無念を晴らすことができるとは思えません。

 第一章で女性教師が、あまりにも感情もなくただ事件の概要を話す姿は、違和感というか嫌悪感を感じてしまいます。物語の概要の解説みたいな語りが続くだけで、物語に引き込まれていきません。子供を殺された母親の感情が、全く伝わってこない。 

点が変わる

 第二章から第五章までは、加害者・クラスメート・加害者家族の視点から描かれます。まず、加害者を殺人へと至らしめた動機が陳腐すぎる気がします。人に認められたいという理由だけで、殺人へと突き進むでしょうか。そんな単純なことではありません。人が殺人を犯すにはもっと深く昏い感情を溜める必要がありますが、単純すぎる思考回路で結論付けています。加害者の家族やクラスメートも、自分勝手な思い込みだけで行動し感情移入できない。そもそも加害者の家族については、事件の真相を知っていながら子供の罪を認めない。殺人を犯した子供に困惑していますが、罪を犯したと認識しません。そのメンタリティが理解できません。 

殺人を犯した子供の罪から目を逸らし続けることが出来るのだろうか 

 一番理解しがたいのが、女性教師の復讐は計画通りだったのかどうかです。第一章で復讐を実行し、加害者に通告します。それをもって、どのような復讐を成し遂げたかったのか?結果として、全く違う形で物語は終わるのですが、その結末は女性教師の計画とは違ったはずです。それとも、この結末は女性教師が描いた必然の結果であったのか。それがよく分かりません。

 偶然が重なり合って起こった結末のように見えながら、実は計画通りだったという終わり方がミステリーとしては一番いい終わり方だと思います。ただ、偶然の結果であったとしか読み取れませんでした。 

章のタイトル

  この小説は、6章で構成されています。

  1. 第一章 聖職者(女性教師)
  2. 第二章 殉教者(クラスメート)
  3. 第三章 慈愛者(加害者の母)
  4. 第四章 求道者(加害者)
  5. 第五章 信奉者(加害者)
  6. 第六章 伝道者(女性教師)

 タイトルの付け方は、センスがあるなと感じました。その章の内容を一言でうまく言い表しています。  

終わりに 

 この小説の一番のテーマは復讐です。その復讐劇が不十分な出来です。事件を取り巻く5人の物語も、深い感情表現がされているとは思えません。登場人物たちの悪意を積み重ねていき、最後は誰も救われない。どこにも救いがなく正義もない。

 読後の気持ち悪さは半端なかったです。著者が意図して、救いをなくしているのでしょう。それが、湊かなえ氏の小説の本質なのかもしれません。ただ、途中で読むのを挫折するほどつまらないわけでもないですけど。 

告白 (双葉文庫) (双葉文庫 み 21-1)

告白 (双葉文庫) (双葉文庫 み 21-1)