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『聖の青春』:大崎善生【感想】|村山聖九段の壮絶な人生が余すところなく描かれる

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 知り合いに薦められて「聖の青春」を読みました。私は、村山聖九段(九段は追贈)という棋士を知りませんでした。村山九段は、私よりも4歳年上です。彼が29歳で死去した時に、私は25歳。村山九段が将棋界で活躍していた当時、私は十分に彼の存在を知ることが出来る同年代であり、その機会もあったかもしれません。ただ、将棋界を遠い世界の存在として捉えてしまっていたのでしょう。私は将棋を指せますが、遊び程度です。全く将棋を知らないというわけではないのですが、将棋で生活しているプロ棋士はやはり遠い世界の人たちです。 

 村山九段が亡くなる2年前に、羽生善治現九段が7冠を達成したことは大きくニュースで取り上げられていたことを覚えています。羽生善治という天才の出現に世間が沸きました。ただ、他の棋士や将棋界全体が一般の人々に注目され続けたかどうかは疑問です。私も、羽生善治棋士が注目されたことをきっかけに将棋界を知ろうと思わなかったのです。私は、その機会を逃してしまっていたのでしょう。

「聖の青春」の内容

純粋さの塊のような生き方と、ありあまる将棋への情熱―重い腎臓病を抱えながら将棋界に入門、名人を目指し最高峰のリーグ「A級」での奮闘のさなか、29年の生涯を終えた天才棋士村山聖。名人への夢に手をかけ、果たせず倒れた“怪童”の歩んだ道を、師匠森信雄七段との師弟愛、羽生善治名人らライバルたちとの友情、そして一番近くから彼を支えた家族を通して描く、哀哭のノンフィクション。【引用:「BOOK」データベース】  

「聖の青春」の感想  

山聖という人 

 彼の生き方を知り、存命中に彼のことを知っておけば良かった。また、知っておくべきだった、と心から思いました。もちろん存命中においては、彼が命に関わる重い病を患っていたことは世間に知られていなかったでしょう。当時、村山九段の身体のことを世間がどれほど認識していたのか分かりません。しかし、その風貌から病を患っていることは周知の事実だったかもしれません。 

 彼にとって、周囲が病を知っているかどうかは問題ではなかったのかもしれません。自分がどのように将棋に向き合い、どのように生きるか。それが全てであったのではないでしょうか。周囲がどう思うかに関わっている時間などない、と思っていたように感じます。自分に残されていた時間はあまりに短いことを分かっているからこそ、自分の思うままに自分を表現していたのでしょう。たとえ、周囲が彼を我儘だと思ったとしても、彼には関係ないことです。彼は、将棋界の中でも特異な存在だったようです。風貌、生活、言動、態度。あらゆることが、世間の常識から逸脱しているように感じます。  

山九段と他の棋士

  プロになり勝負の世界に生きるということは、他の棋士にとっても命を懸けていることです。頂点にいるものであろうとなかろうと将棋で生きていくと決意した棋士の方たちは、自分の命を懸けて将棋を指し勝負を続けていきます。彼が、他の棋士よりも将棋に対する情熱があったと思うのは、他の棋士に対して失礼だと思います。全ての棋士が将棋に対して持っている情熱は、村山九段のそれと同じです。 彼と他の棋士が違うことは何か。彼の将棋に懸けた人生が、これほど特別視されるのはどうしてなのか。 

 彼と他の棋士の違いは、残された時間だと思います。健康な人も、いつ病気になるか分かりませんし事故に遭うかもしれません。ただ、健康な人はいずれ死ぬと分かっていても、5年後、10年後、20年後も自分は生きているものだと無意識に考えています。普段の生活で、死というものを実感しません。

 村山九段は違います。彼の生活は、死を実感せざるを得ないものです。子供の頃の入院生活の際に目の当たりにした同部屋の子供たちの死。病が運んでくる自分の死というものを忘れることは出来なかったでしょう。彼にとって死は常に隣にあり、そして確実に迫ってくるものでした。5年後、10年後に生きている保証がない生活。それが、彼を他の棋士と違う棋士にしたのでしょう。 

 彼の奇行とも言える生き方。彼が生きている間は、奇行に映ったかもしれません。しかし、この本を読んで彼の病を知り、彼の名人への渇望を知ると決して彼の生き方は奇行ではないと感じます。彼は純粋に精一杯、人生を生きようとしたのです。そのことを一番理解していたのが、師匠の森信雄七段だったのでしょう。 

山九段が将棋界に残したもの 

 村山九段は、名人位を獲れずに29歳という若さで亡くなりました。彼は、どのような気持ちで亡くなったのでしょうか。名人位を獲れなかったことが無念で悔しかったのでしょうか。それとも、精一杯生きたと思っていたのでしょうか。彼以外には決して分かりません。ただ、彼がどんな感情を持っていたとしても、後悔だけはしていないと思いたい。彼は、何事においても決して人のせいにするようなことはなかったと書かれています。それは、重い病についてもです。そのような彼が後悔という思いを抱いて、早逝したとは思いたくありません。勝手なことですが、私はそう思いたいのです。 

 彼が、その短い人生で将棋界に残したものは一体何だったのでしょうか。何を残したのかは、それを受け取った人々によって語られるものです。そうだとすれば、まずは彼と将棋を指した棋士の方々。谷川浩司九段や羽生善治九段を始め多くの棋士の方々は、直接彼と将棋を指したり研究をしながら、同じ場所同じ時間を過ごしていました。そうであれば、彼の残したものをそれぞれに感じているはずです。それは有形であったり無形であったりするでしょう。 

彼と触れ合った方々が感じたことは、残念ながら彼と触れ合ったことのない私には分かりません。 

 では、彼と触れ合ったことのない人々には、何が残されたのでしょうか。それは、彼の棋譜です。最初に書きましたが、私は将棋が指せると言うだけで、棋譜を見て頭の中に駒の動きが浮かぶ訳ではありません。しかし、棋譜を読める方々は、村山九段の棋譜を見て彼の将棋を知り、それを通じて彼自身を知ることが出来るのではないか。棋譜の読めない私が勝手なことを言っていますが、そうやって彼のことを理解できたのであれば、それを一般の方々に伝えていって欲しい。そうすることによって、村山九段はずっと将棋界に生き続けることになります。  

終わりに

 藤井聡太四段の活躍や漫画やアニメ、映画などで将棋の注目度が増しています。この将棋ブームを見ると、羽生善治九段が7冠を達成した時のことを思い出してしまいます。将棋にあまり興味のない方も、このブームで将棋に注目していることでしょう。ただ、過去のように一過性のブームとして終わってほしくないのと、藤井聡太四段以外にも多くの魅力ある棋士がいること。そして、どのような思いで将棋を指し続けているのかをもっと世間に知らせて欲しい。

 藤井聡太四段の「勝負めし」よりも、伝えるべきことがたくさんあるように思えて仕方ありません。

聖の青春 (角川文庫)

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