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『スマホを落としただけなのに』:志賀 晃【感想】|「落としただけ」では済まない

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 第15回「このミステリーがすごい」の隠し玉として加筆・修正の後、発刊された作品。北川景子主演で映画化もされています。ミステリーというよりは、サスペンスホラーと言ったところでしょうか。謎解きの要素もありますが、追い詰められていく恐怖感が前面に押し出されています。

 総務省の平成30年版情報通信白書によれば、個人のスマホの保有率は60.9%です。20代、30代のスマホ保有率は90%以上。10歳代でも80%近くあります。スマホを落としたり無くしたりすることは、それほど珍しいことではありません。だからこそ、身近な恐怖を感じます。 

「スマホを落としただけなのに」の内容

麻美の彼氏の富田がタクシーの中でスマホを落としたことが、すべての始まりだった。拾い主の男はスマホを返却するが、男の正体は狡猾なハッカー。麻美を気に入った男は、麻美の人間関係を監視し始める。セキュリティを丸裸にされた富田のスマホが、身近なSNSを介して麻美を陥れる凶器へと変わっていく。一方、神奈川の山中では身元不明の女性の死体が次々と発見され…。【引用:「BOOK」データベース】 

「スマホを落としただけなのに」の感想

人のスマホが・・・

 自らがスマホを落として個人情報が漏れたとしても自己責任です。本作の興味深い点は、恋人のスマホの紛失がきっかけになっているところです。自分の個人情報は、必ずしも自分のスマホだけに存在する訳ではありません。そのことに気付かされます。

 写真だけでなくスケジュール管理もスマホで行っている場合は、もっと多くの情報が漏れてしまいます。自分自身のスケジュールだけでなく誰かと会う予定が入力されていれば、相手の予定も漏れてしまいます。もちろんスマホに保存されているのは情報の断片だけです。しかし、断片を繋ぎ合わせることができれば一つの大きな情報になります。

 自分自身のスマホの管理を厳重にしても、恋人や友人のスマホの管理にまで注意は及びません。どれだけの情報が保存されているかも分かりません。スマホに保存されている情報だけでなく、本体があればLINEやメールの中身も見れます。恋人同士なら、他人に見せることの出来ない内容があってもおかしくありません。某芸能人のように。

 本作では見ず知らずの殺人者に拾われてしまい興味を持たれてしまう訳ですが、知り合いに拾われて中身を覗かれるのも相当に気不味い状況に陥るのは明確です。自分が発信した発言は、相手のスマホに残るということを自覚しなければなりません。誰かがスマホを無くした時に、どんな情報が入っていたかを知ることは難しい。そもそも、スマホに入っている情報がどれほどの価値を持つのか。自分自身でも自覚出来ていないことが多いでしょう。スマホの紛失は、人間関係に予想以上の大きな影響を与えます。そのことを自覚する必要があります。本作ほどの大事件に巻き込まれることはないにしても。 

機感の欠如

 富田のスマホに入っていた情報は、彼にとって価値はあっても他人にとって価値があるものと認識していなかった。麻美とのやり取りは、二人にとって価値はあっても他人に価値のあるものだと感じていなかった。麻美自身も同じように感じていたからこそ、危機に陥った時には手遅れだったのでしょう。情報は使う人によって価値が変わります。価値が変わるということは、予想以上に大きな価値を見い出す人もいるということです。価値のあるものを落とせば必死に探すし、取り戻そうとします。しかし、情報は取り戻すことは出来ません。スマホは取り戻せても、情報の漏えいはなかったことには出来ません。

 情報の価値を適正に見積もることが出来ていれば、相応の危機感を持てます。スマホの情報が漏れたことにより訪れるだろう最悪の事態を事前に予測し対応出来ます。電話番号を変えることもそうだし、SNSのアカウントを削除してしまうことも出来ます。そこまで踏み切るのは思い切りが必要ですが。善意の人が拾ってくれれば、何も問題はありません。スマホが手元に戻ってきたことで元通りになるだけです。残念なことに、世間は善意の人ばかりではありません。本作は小説なので極端な物語ですが、現実に情報を握られ不利益を被ることは十分考えられます。

 富田も麻美もスマホを落としたことで情報が漏れたことを考えず、情報を無くしたことに意識が向けられています。確かにスマホがないとかなりの不便を感じます。だからこそ、戻ってきた時に安心してしまいます。戻ってこない方が危機感を抱くのかもしれません。 

SNSの匿名性

 SNSを利用する人が増えたのは、匿名性が大きく影響していると思います。匿名だからこそ言いたいことも言える。いい面も悪い面もありますが。一方、本作ではフェイスブックが重要な役割を果たしています。私はフェイスブックを使ったことがないので、麻美を狙う男のフェイスブックの利用の仕方は新鮮味がありました。

 私が抱くフェイスブックのイメージは、実名登録や実際の顔写真を使うなど匿名性とはかけ離れています。実名だからこそ、現実の知り合いと繋がり合う。SNSの架空の世界から現実の世界へと繋がることが出来るツールと言えるのでしょうか。そういうイメージを持っているから、あまり積極的に使おうと思いませんが。 

企業や有名人なら有効に利用できるかもしれませんが。

どちらにしろ、匿名性が低いことが長所でもあり短所でもあるのでしょう。その分、フェイスブックに投稿する内容は慎重に吟味する必要があります。十分なネットリテラシーがないと危険なツールです。ただ、現実の知り合いからもらう「いいね」は、Twitterやブログなどの誰とも分からない者からもらうものより嬉しく感じるのかもしれません。

 麻美は、恋人の富田がスマホを落としたことにより狙われることになるのですが、フェイスブックを使っていなかったらどうなっていたでしょうか。同じ結果になったかもしれませんが、相当の時間が必要になるでしょう。その間に対策が取れたかもしれません。匿名性のなさは、ネット空間に現実感をもたらします。他人の状況を知ることも出来ます。一方、自分の状況も知られていくことになります。どれほどセキュリティを高くしても、破られないものはありません。そう思ってネットを利用しないと危険なことになります。匿名性が低いツールを使う時は、情報が洩れることを前提に使う必要があるのでしょう。そのことを理解している人がどれほどいるのでしょうか。麻美や富田のことは他人ごとではありません。 

くべき謎は・・・

 ミステリー小説に感じないのは、解くべき謎が何なのかが明確でないからです。麻美を追い詰める犯人が誰なのか。大きな謎のひとつです。男の正体は終盤に明かされますが、それほど驚くべきものではありません。男の性質や行動、麻美への執着や連続殺人者であることは徐々に明かされていってます。山中で見つかった多くの死体の犯人が、男であることは分かっています。麻美がどんどん追い詰められていく様は、緊張感があり恐怖感があります。犯人の正体が誰であるかはそれほど重要な要素に感じません。男が浦野であることにも必然性を感じません。

 麻美の過去も、物語の構成上重要な要素なのでしょうか。麻美の弱みとして描かれていますが、彼女の過去の役割は富田の動揺を誘うことだけにしか使われていません。富田がどれほど動揺したとしても、殺人者である浦野の拘束を解くでしょうか。犯人が捕まった時点で大きな謎が解かれたという印象はありません。警察の捜査も中途半端で勢いがありません。

  • 麻美を追い詰めていく男。
  • 男を追う警察。

 男は追う立場でありながら追われる立場でもあります。麻美を追い詰めていく男の緻密な計算と行動力は目を見張ります。麻美が逃げ切ることが出来ないのは、火を見るより明らかです。一方、警察が男を追い詰めている印象は薄い。警察の捜査が男に迫れば、男の立場はもっと際どい位置に追い詰められます。追う立場と追われる立場の両方が拮抗していれば、もっと読み応えがあったかも。 

終わりに

 持っていることが当たり前になったスマホですが、扱い方を間違えると大変なことになります。本作のように連続殺人犯に狙われるのは小説ならではですが、実際に不利益を被る可能性は否定できません。その時になっても遅いでしょう。

 一度ネットにアップされた情報は永久に消えません。拡散すればもはや手の打ちようもない。ネットは便利だが、相当の覚悟を持って利用すべきものです。あまりに便利だから、その裏に潜む危険に気付けないのでしょう。