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『ラスプーチンの庭』:中山 七里【感想】|先進医療は、最愛の人を奪っていった

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ご覧いただきありがとうございます。今回は、中山七里さんの「ラスプーチンの庭」の読書感想です。

犬養隼人シリーズの六作目です。命をテーマにしたミステリーは謎解きだけでなく、生きることについて考えさせられます。生と死は人間にとって答えの出ない永遠のテーマです。エンターテイメント作品でありながら、強いメッセージ性も感じます。犯人捜しの中に、医療についての問題提起も含まれているからでしょう。

本作は、標準医療と民間療法の対立を軸に描かれいます。しかし、対立の裏には大きな秘密があります。それが最大の謎であり、犬養と高千穂が追う真実です。

犬養には刑事と難病の娘を持つ父親のふたつの顔があります。その狭間で揺れ動き、苦悩する姿が犯人捜しのミステリーに留まらせないのでしょう。物語は二転三転し、ページを捲る手が止まりません。

「ラスプーチンの庭」のあらすじ

中学生の娘・沙耶香を病院に見舞った警視庁捜査一課の犬養隼人は、沙耶香の友人の庄野祐樹という少年を知る。長い闘病生活を送っていた祐樹だったが、突如自宅療養に切り替え、退院することに。1カ月後、祐樹は急死。犬養は告別式に参列するが、そこで奇妙な痣があることに気が付く。同時期に、同じ痣を持った女性の自殺遺体が見つかり、本格的に捜査が始まる。やがて(ナチュラリー)という民間医療団体に行き当たるがー。【引用:「BOOK」データベース】

 

「ラスプーチンの庭」の感想

準医療と民間療法

標準医療(先進医療)と民間療法が対立している理由のひとつは、民間療法を認めない医者がいるからでしょう。批判される民間療法は当然ながら標準医療を敵対視します。

民間療法を認めない理由は様々です。標準医療は国家試験を合格した医者しか行うことができません。医療に対して知識を有し、医者としての責任を負いながら医療を行います。民間療法の施術者には資格は要りません。医療に対して必要な知識を有しているかどうかも分からない者が医療行為を行うことに標準医療は不快感を示します。

標準医療も完全ではありません。治せない病や救えない命もありますが、何ができて何ができないかを明確に説明できることが重要です。治せない病が存在するのは仕方のないことですし、それを標準医療のせいにするのは間違いです。医療には限界があります。標準医療はその限界を明確に指し示します。だから、患者に絶望をもたらすこともあるのですが。

科学的根拠のない民間療法は、治療の限界を説明できません。根拠のない行為に、根拠のある結果を説明できるはずがありません。しかし、説明できないからこそ、結果を都合よく解釈することもできます。治癒すれば治療の結果だとし、治癒できなくても治療の責任ではないと主張できます。治療と結果の間に科学的な因果関係が存在しないからです。

作中で登場する民間療法は科学的な根拠のない医療行為のことであり、全ての民間療法を指し示しているのではないでしょう。あくまでも、詐欺まがいの民間医療団体「ナチュラリー」と標準医療の対立です。

しかし、民間療法には怪しげなものが多いのも事実です。それでも民間療法に患者が流れていくのは、標準医療への不信の表れかもしれません。民間医療を批判するだけでなく、標準医療も自らを適正に評価していかなければならないのでしょう。

 

代のラスプーチン

タイトルの「ラスプーチン」は、ロシア帝国を崩壊に導く一因を作った「グリゴリー・ラスプーチン」のことです。怪物・怪僧と形容された祈祷僧です。血友病患者であったアレクセイ皇太子を祈祷で治癒させたことで、皇帝夫妻から絶大な信頼を得ます。その後、帝政ロシアに対して影響力を強くします。

彼の治療が具体的にどのようなものだったのかは明確でないようですが、患者や家族にしてみれば結果が全てです。治癒すればどんな治療も正当化され、信頼を得ることができます。

本作では、織田豊水がラスプーチンを彷彿とさせる怪しげな存在として登場します。民間療法を行う団体「ナチュラリー」の代表です。高額な治療費に加えて、胡散臭い治療法は詐欺師そのものです。しかし、標準医療で治癒しなかった患者はどんなものにでも縋ろうします。また、織田豊水の態度や語り口は自信に満ち溢れていて、聞いている者を圧倒しまし。異論を差し挟む隙がありません。これも詐欺師の特徴かもしれませんが。

織田の治療が効果をもたらすことがないのは当然ですが、治療の結果のように見えるタイミングで治癒した患者が出ます。科学的根拠の薄い民間療法だからこそ治療の結果だと言えば否定しきれないし、それを科学的に否定することも難しいでしょう。言った者勝ちなのは詐欺の特徴です。

民間療法が科学的根拠の薄い治療だとしても、結果が出ればその治療は肯定されます。偽りの結果だとしても、それを信じる者がいれば真実になってしまいます。信じた者は、織田の全てを信じることになります。何しろ、命を救ったのですから。

ラスプーチンも命を救うことで信頼を得ました。織田も同様です。ただ、ラスプーチンに懐疑的な人たちがいたように、織田にも懐疑的な人たちがいます。ラスプーチンと織田を重ね合わせることで織田の存在感を強烈に印象付けます。

 

考停止

織田豊水の追い風になったのが、アイドルの桜庭梨乃と政治家の久我山議員です。どちらも「ナチュラリー」の会員であり、織田豊水の治療で治癒したと信じています。標準医療では治らないという思い込みがあるからこそ、治癒したのは織田の力に違いないと信じます。標準医療への不信も、織田に心酔した原因のひとつでしょう。標準医療が患者の信頼を得る努力をしなかったことにも非があるのかもしれません。

桜庭たちは、「ナチュラリー」と織田豊水の治療を世間に喧伝します。影響力のある二人に影響を及ぼす織田豊水の存在感が強くなっていきます。桜庭と久我山が話すことが真実かどうかの評価をすることなく、そのまま信じてしまう大衆は思考を停止しています。

彼女たちの話すことに論理的に疑義を唱える人たちは炎上し否定されます。大衆は感情で動いています。一度動き出した流れは簡単には止まりません。SNSが情報をあっという間に拡散します。その速さのために、情報を検証する時間を与えてくれません。

情報をそのまま信じるのは簡単です。その場合、思考は停止しています。何かを盲目的に信じるのは危険な行為です。

 

終わりに

第一章「黙示」が結末で繋がります。織田豊水と「ナチュラリー」を追い詰めるミステリーだと思っていると、中盤で一気に展開が変わります。犬養たちが追い求める真実が何なのか見えなくなってきたところに一気に伏線が回収されていきます。犯人たちの動機は分かりますが、その方法に納得できるかどうかの微妙さがありますが。

犬養隼人シリーズが読み応えがあるのは、彼の内面が描かれているからです。刑事と父親という二つの顔の狭間で揺れ動く姿はとても人間らしく魅力的です。

最後までご覧いただきありがとうございました。