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『終戦のローレライ』:福井晴敏【感想】|あるべき終戦の形とは・・・

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 私の好きな作家  福井晴敏の代表作です。文庫で4冊の大長編ですが、中弛みは一切ありません。映画も制作されていますが、どこまで映画を意識していたのか疑問に思います。少なくとも、映画を意識し過ぎていれば、ここまでの長編にはならなかったでしょう。 

 福井晴敏の作品は、エンターテイメントの中に国家の在り方が描かれていることが多い。現在の日本の有り様は、太平洋戦争の敗戦が色濃く影響しています。本作では戦争と同時に終戦の在り方について描いています。ドイツ降伏後、日本に先はありません。

  • 人々は先のない戦争を国家のために殉じて死んでいくのか。
  • それとも生き抜くことを考えるのか。

 戦争を軸にしながらも人間そのものを描く。だからこそ引き込まれます。戦争末期の日本とローレライシステムと歴史の「if」。現実的な問題提起の中にファンタジー要素が含まれていますが違和感はありません。戦争末期という時代背景をしっかりと描いているからでしょう。一気読みしてしまうほどですが、好みは分かれそうです。 

「終戦のローレライ」の内容

昭和二十年、日本が滅亡に瀕していた夏。崩壊したナチスドイツからもたらされた戦利潜水艦・伊507が、男たちの、国家の運命をねじ曲げてゆく。五島列島沖に沈む特殊兵器・ローレライとはなにか。終戦という歴史の分岐点を駆け抜けた魂の記録が、この国の現在を問い直す。【引用:「BOOK」データベース】 

「終戦のローレライ」の感想

水艦の緊張感

 現在の潜水艦はどうなのか分かりませんが、第二次世界大戦時の潜水艦の居住性は最悪だったでしょう。狭い空間での閉塞感。逃げる場所のない緊張感。環境の悪さ。全てが見事に表現されています。読んでいると、映画「Uボート」を彷彿とさせます。登場する「伊507」は潜水艦にしては大型艦です。それでも潜水艦に変わりはなく、戦闘における緊張感は尋常じゃない程伝わってきます。

 潜水艦に限ったことではないですが、艦長の権限の強さが際立ちます。全てが艦長の判断で動いていきます。艦長の判断を信じる乗組員と、それに応えるべく判断を下していく艦長。絶対的な規律がないと戦闘は行えません。その分、艦長に圧し掛かる責任は想像を絶するほど重いはずです。

 絹見の心中の苦悩は大きいですが、表に出ることはほとんどありません。しかし、誰もが完璧に強くはありません。限界を超えた時に、どうやって精神を維持し生存を信じるのか。潜水艦は被弾すれば即、死に繋がります。死と直結した緊張感の中で、信じるべきものを見つけないと正常ではいられないでしょう。それほどの緊張感が伝わってきます。 

念と生き様

 当然ながら、大戦末期と現在では状況が違います。当時のことを知識として知っていても実感することは難しい。持って生まれた性質もありますが、生き方や考え方は外的要因によって左右される部分が多い。登場人物たちの人生を詳細に描くからこそ、彼らの行動に納得するものが生まれきます。彼らが受けた外的要因を人生という形で表現しているからです。

 長編なので、主要な登場人物の人生を十分に描けます。伊507に乗艦するまで生きてきた過程があるからこそ、現在の彼らが形作られています。現在の姿は、過去の人生が作り出してきたものだからです。

 歩んできた人生が違うから、全く同じ人間は存在しません。帝国海軍に所属する乗組員たちですら違うのだから、フリッツとパウラは異質の存在です。彼らがお互いを理解していく過程や近づいていく姿から目を離せません。

 生き方を決めるのは信念ですが簡単に持ち得ません。簡単に持ち得ないものなので、簡単には変わらない。ただ、変化しないものはありません。強固な信念であったとしても環境や人間関係で変化していきます。強固であればあるほど変化し始めると止まらないのかもしれません。

 狭い潜水艦の中で命を懸けた戦闘が続きます。人間同士も強く影響し合うのでしょう。フリッツが自身の目的のためだけに動こうとしても、生きようとする人間と共に過ごせば影響を受けます。信念が変化すれば生き様も変わっていくということでしょうか。 

戦工作と陰謀

 終戦の形が日本の未来を決める。

 戦争末期にそこまで考える軍人は多くはなかったでしょう。だからこそ終戦工作の重要性が伝わってきます。どのような終戦の形を迎えるかで日本の将来が左右されるのは言うまでもありません。そのための方策は限られています。本作で描かれている終戦の形が果たして現実的かどうか。

  • 浅倉良橘が見ていた終戦の形。
  • 浅倉を追う大湊三吉が見ていたもの。
  • 浅倉に心酔していた者たちが見ていたもの。

 伊507を中心に描かれますが、事態は浅倉を中心に動いていきます。先述したように、生き様はこれまで生きてきた過程によって作られます。外的要因が強く作用するということは、浅倉の悲惨な過去が大きな影響を及ぼしたのは当然です。生きていくことが死よりも苦しみを生むということがあるのかもしれません。浅倉の行動に共感は出来ませんが理解することは出来ます。浅倉に従う者たちの気持ちも理解出来ます。特殊な環境下での生存が、ここまで人を変えるのか。また行動させるのか。生々しく描かれる姿が現実感を抱かせます。大戦の悲惨さを考えれば、浅倉だけが経験したことではなさそうな気もしますが。そうだとしても人を変えるには十分な出来事です。

 浅倉が考える終戦の形は理解出来ますが人間的とは言えない。人間として生きる姿は伊507の乗組員にあります。どれだけ周到に計画し陰謀を図っても、犠牲の大きさと釣り合いません。浅倉の見る未来は彼にとって正義です。だからこそ、絹見も理解すると踏んだのでしょう。ただ、人はそれほど簡単ではないということです。戦局でも工作でもなく、人間の良心が行動を決めることもあります。浅倉はこの結末を予想していたのでしょうか。彼は結末を知り、受け入れていたようにも見えます。

 誰もが心に強い思いを秘めており、余すことなく描かれているからこそ引き込まれていくのでしょう。 

「if」は起こらない

  現実的な背景を舞台にしながらも、ローレライシステムという非現実的な兵器を登場させています。ローレライは「if」を起こすための装置であり、物語の主軸はあくまで終戦の形です。現在の日本の在り方を問うためには、現在を変えることは出来ません。終戦の形が変わらないのは、当初からの既定路線だったと言えます。

 ローレライシステムの存在は、完全なリアリティを損なうかもしれません。ただエンターテイメント作品としては必要な要素です。歴史の「if」を描くのなら、こういった要素もあっていい。

 結果として終戦の形は変わらず、現在の日本に繋がります。現在の日本には多くの人々の思いが繋がっています。「if」が起こらなかったからこそ面白いと言えます。伊507にしろ、浅倉にしろ、歴史には登場しなくなります。歴史に登場しない人々の方が多い。しかし、彼らは確かに存在し生きていました。そのことも描きたかったのかもしれません。 

画との比較

 小説と比べると映画はかなり物足りません。文庫4冊と2時間強の映画を比べるのは申し訳ないという気もしますが。

 ストーリーは別にしても、映画にはがっかりする点も多かった。まずは潜水艦の緊張感が伝わりません。圧迫感も閉塞感もない。潜水艦の割には広々とした印象を受けます。2時間で終わらせるのでストーリーが変わるのは仕方ないとしても、フリッツの不在は物足りなさの最も大きな要因です。登場人物たちの背景もあまり描かれません。

 小説を読むとどうしても比べてしまいます。両方見るなら、映画から見ることを勧めます。映画を観て唯一良かったのは、ローレライシステムが視覚的に見れたことです。小説を読む時にイメージしやすかった。 

終わりに

 戦争の中に生きる人々の心の奥底まで描いています。エンターテイメントの中に人々の強い思いが見えます。心情描写がくどくなる場面もありますが、読み応えは十分です。

 著者は最近、長編小説を書いていません。アニメや映画の脚本や企画には良く登場しますが。活躍は嬉しいですが、長編小説がないのは寂しい。福井晴敏が好きなら必読の作品です。