こんにちは。本日は、有川 浩さんの「レインツリーの国」の感想です。
有川 浩さんの作品を読むのは2年振りくらいでしょうか。自衛隊三部作のような恋愛小説もあれば、旅猫リポートにようなヒューマンドラマ(猫ですが)もあります。電撃小説大賞から作家をスタートさせているので、ライトノベルの雰囲気は今も残っている気がします。有川 浩さんらしい恋愛小説ですが、恋愛だけに留まらず、登場人物の心象を細やかに描いています。
物語は、ある本をきっかけにして始まります。感想や思いを交換しながら、二人はお互いを知っていきます。ブログとメールから始まります。
- ネットで知り合った関係がリアルの世界でどのように進展していくのか。
- ネットで抱いた思いをリアルの世界も同じように持ち続けることができるのか。
ネットで見えているものは、ほんの一部分だけです。しかし、ネットだからこそ本音を伝えられます。
出会いの場として、ネットは当たり前の存在になりました。発刊当時、どのようなネット環境だったか思い出せませんが、今ほど当たり前ではなかった気がします。
「レインツリーの国」の内容
きっかけは1冊の本。かつて読んだ、忘れられない小説の感想を検索した伸行は、「レインツリーの国」というブログにたどり着く。管理人は「ひとみ」。思わず送ったメールに返事があり、ふたりの交流が始まった。
心の通ったやりとりを重ねるうち、伸行はどうしてもひとみに会いたいと思うようになっていく。しかし、彼女にはどうしても会えない理由があった―。【引用:「BOOK」データベース】
「レインツリーの国」の感想
「フェアリーゲーム」が示す2人の未来
伸にとっても、ひとみにとっても、小説「フェアリーゲーム」は特別な小説です。どのような感想や思いを抱いているかも重要ですが、それを人生の中で特別視していることが大事なのだろう。
多くの人が夢中になった作品だとしても、一過性のものに過ぎないことが多い。10代の頃に夢中に読んだライトノベルでも多くの人は忘れていくものです。伸も忘れていたが、ふと思い出す。思い出すということは、真に忘れていた訳ではない。記憶の奥底に残っていた証拠です。
誰とも共有できなかった思いが誰かと共有できれば、どんなことであっても嬉しい。それが自分自身にとって大事なことであればあるほど、嬉しさは増すだろう。
伸は「フェアリーゲーム」の結末に対して抱いた思いを誰かに聞いてほしい。また、聞いてみたい。一人で解決できなかった思いを誰かに伝えたい。ひとみのブログは、伸にとって衝撃です。
一方、ひとみは自分の考えを誰かに伝えていた。ブログ内であり、一方的であり、誰が読んでくれるか分からないとしてもです。
伸はひとみのブログを見て、自分自身の思いを伝える相手がいることを知ります。ブログに書かれていたことが自分の考えと違ったことが、伸をさらに惹きつけたのだろう。全く同じなら、伸はメールをしなかったかもしれません。違うからこそ、人は誰かに魅力を感じます。その違いが、現実世界でどのように影響していくのだろうか。
ネットから現実へ
感想は、自分自身の中から生み出されます。借り物の言葉では、誰にも何も伝わらない。出会い目的の上辺だけの感想で取り繕っても、すぐにばれてしまうだろう。
伸とひとみは、「フェアリーゲーム」をきっかけに知り合います。「フェアリーゲーム」に対する思いや感想を交換する中で、お互いを知っていく。相手が嘘を言っているかどうかなどすぐに見抜くだろう。
それが現実世界で会いたいに繋がるかどうかです。ネット上の関係で満足できるという人もいるだろう。しかし、果たしてそれは本心だろうか。人は現実世界で生きています。ネット上の自分も自分に違いないが、本当の自分だと言い切れる人は少ないだろう。
伸がひとみに会いたい理由はお互いのことをもっと知りたいからです。現実に存在している姿を自分の目で見てみたいからです。惹かれていれば自然な成り行きです。お互いの繋がりを強固なものにしたいという気持ちもあるだろう。
伸が抱いている懸念は、ネットの繋がりはとても脆いということです。アドレスを変える。ブログを閉鎖する。それだけで二度と連絡することはできなくなります。ある日突然終わってしまう関係は耐えられない。
伸とひとみが東京にいることが、さらに思いを強くします。ひとみも同様の思いを抱いていると思いたい。いつ切れてもおかしくない糸を慎重に手繰り寄せていきます。切れないように、ひとみが手放さないように。会いたいと思ったら止められないのだろう。
ひとみの障害
現実世界で会うとなると、これまでと同じではいられません。会う前に勝手なイメージ(容姿や態度・話し方など)を持ってしまっていることも多い。
ひとみが会うことに消極的な理由は、普通に考えれば知らない男性と会うことの不安だろう。しかし、二人はネット上だがお互いのことを知っています。少なくとも嘘がないことくらいは分かっているだろう。
二人が会うことで、本当の意味での二人の関係が始まったのだろう。少なくとも、伸はそのように思っているはずです。ひとみの心の中は見えないから、会うこと自体が彼女の肯定的な意思だと思うのは自然です。
嘘をつかないことと真実を話さないことは同義だろうか。話さないことは嘘をつくことではないが、誠実ではない。しかし、ひとみは障害者であることを隠すべきことと位置付けてきました。ひとみにとっては、乗り越えるかどうかの問題ではありません。存在し逃れられないものです。ひとみ自身が決めたことだが、周囲がそうさせた。立ち向かうのではなく、隠すしか選択肢がなかったのだろう。
健常者であっても心に傷はあります。伸も傷を負って生きています。伸は乗り越えたのだろうか。伸がひとみに向かって過去を吐露した態度を見ると、乗り越えた訳でないだろう。記憶に沈めて、浮かび上がらせないようにしているだけです。
ひとみの聴覚障害を知った時、伸は何を思ったのだろうか。黙っていたことだけでなく、積極的に隠そうとしたことに寂しさと怒りを感じただろう。結局、伸も他の周りの人間と同様に見られていたということだからです。伸は乗り越えられると思っています。伸は障害を理由に態度を変えることはないと確信しています。だから、ひとみも変われると信じています。
しかし、伸も周囲と変わらない態度を見せます。障害のことを知る前の出来事だが、重量オーバーのエレベーターから降りない彼女を叱責します。彼女の何らかの事情に思い至らない。彼女を信じ切れていない証拠です。この態度は、ひとみを追い抜かそうとしたカップルと同じであり、そういう人間は変わらないとひとみは思っています。伸も変わらないと思ったのだろう。
しかし、伸は努力します。聴覚障害について学びます。彼女の障害のことを真に理解することはできない。同じ立場にならないと分からないことは存在します。しかし、自分の考えを変えないことには、何も進んでいかないのも事実です。
努力の先にあるもの
分からないからと言って、何もしない訳にはいきません。努力しなければ何も変わらない。変えるべきものはお互いの意識です。信頼することで意識は変わります。何をすべきか明確に分からなくても、できることから始めることが必要です。伸は障害のことを知ることから始めます。ひとみが努力に気付いたとしても、受け入れるてくれるかどうか分からないとしてもです。
ひとみが伸の努力を受け入れるためには、彼女も変わらなければなりません。伸は自分を変え、ひとみも変わることを促します。しかし、最終的には、自分自身の意思で変わらなければならない。伸がどれほどきっかけを与えても、ひとみが変わることを望まなければ変わりません。
伸の努力はひとみのためのものであり、自分自身のためでもあります。ひとみのことが好きであり、彼女とともにいたい。彼女に心を開かせたい。この思いは、自分自身の思いを満たすためでもあります。自分の努力でひとみを変えることができるという自惚れも感じさせます。純粋な気持ちが大半だとしても。
ひとみが変わる努力をしないのは、伸が本当に変わると信じていないからだろう。伸が変わらなければ最終的に傷付くのは自分です。伸の思いを受け止められないのは、伸がひとみに幻滅し、彼も傷付くかもしれないと考えているからです。障害者で性格がややこしい自分のことで失望させたくない。
二人とも相手のことを思いやっている気持ちは真実です。しかし、自分自身のことを思う気持ちもあります。悪いことではないだろう。努力の先にあるものを得るためには、相手のことだけを思うだけでは続かない。
終わりに
著者は、障害者の話ではなく、ヒロインが障害者を持っているだけの恋の話だと言っています。
障害には様々なものがあり、聴覚障害だけでも人によって全く違います。障害を一括りにして一般化することはできない。そうだとすれば、障害者の話ではなく、伸とひとみの物語なのは当然です。
一方、著者は文庫あとがきで、自身の障害者に対する態度について言及しています。ひとみが聴覚障害を持っていることは、彼女を形作る一つの要素です。障害について、読者に何かを感じ取ってもらいたいという思いもあったのだろう。読者それぞれが行動を振り返ってみてほしいという思いが含まれている気がします。