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『青くて痛くて脆い』:住野よる【感想】|変わっていくことは成長なのだろうか?

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 大学生が主人公の小説を読むと、自分が大学生だった頃を思い出します。大学生活が楽しかったのは自由だったからでしょう。お金はないが、時間を持て余していました。その時間を有効活用せずに変化のない日常を過ごしていました。ただ、日常に変化はなくても内面が変化しないとは限りません。

 大学生とは何だろうか。大学生は子どもではない。だからと言って大人ではない。働いている人たちは大人です。彼らは社会の中で責任を背負っています。大学生は背負う責任が小さい。得ている自由に対して負うべき責任が小さ過ぎます。ただ責任を負うべき時期が近づいていることを実感しているのも事実です。不安定で微妙な感情を持て余す時期です。

 前半は、淡々と続く大学生活が描かれます。楓の大学生活は起伏がありません。読んでいて退屈さを感じてしまいます。ただ、後半、秋好との対峙で一気に引き込まれます。前半の全てが秋好との対面で吐き出される。負の感情の交錯は人の本性を曝け出します。ただ、そこで終わらず、その先を描いているから読後には清涼感があります。言葉で内面の変化を描くのは表現が難しい。大学生の視点で心情描写を行うには、大学生の感性を持ち続けていなければできません。著者の感性は大学生の心情を十分に表現しています。大学生が読めば、心に響く作品です。 

「青くて痛くて脆い」の内容

人に不用意に近づきすぎないことを信条にしていた大学一年の春、僕は秋好寿乃に出会った。空気の読めない発言を連発し、周囲から浮いていて、けれど誰よりも純粋だった彼女。秋好の理想と情熱に感化され、僕たちは二人で「モアイ」という秘密結社を結成した。それから3年。あのとき将来の夢を語り合った秋好はもういない。僕の心には、彼女がついた嘘が棘のように刺さっていた。【引用:「BOOK」データベース】  

「青くて痛くて脆い」の感想

まることと進むこと

 時間という観点から見ると、人生が止まることはありません。放っておいても時間は進みます。時間の経過とともに自分が変わっていくのか。それとも変わらないのか。内面の変化は分かり難い。ただ、完全な停滞や完全な進化は有り得ません。変わる部分と変わらない部分を併せ持ちながら、人生は進んでいきます。そこには意志も必要になります。変わりたいと思うか。留まりたいと思うか。思い通りになることは稀かもしれません。

 大学生は人生経験が少ない。高校生までは周りが用意した環境の中で過ごしています。大学生になると自由が増える。自由の中で自身がどのように振る舞えばいいのか。自由に放り出されるとなかなか思い通りには動けない。若者は、ただがむしゃらに生きればいいだけと思いますが。

 秋好は前を見て進み続けた。新しい世界の中で自分を実現するために積極的に行動を起こし続けた。楓は過去の自分に縋りつき、留まり続けようとした。高校生までの自分を続けていこうとしていた。前を見て進んでいくにはエネルギーが要ります。留まろうとする楓が巻き込まれていくのは当然かもしれません。

 巻き込まれたことにより、楓は自身の意志とは別の方向に進むことになります。自分が選択している方向ではなかった。楓は秋好に巻き込まれたことで前に進んだ気になっていただけでしょう。秋好の意志で立ち上げたモアイを共同で立ち上げたように感じてしまった。モアイは秋好と共に変化していきますが、楓は変化することをしない。そもそもモアイに彼の意志はなかったのでしょう。

 彼は早々にモアイの外に出ます。自ら努力することを避け、見るだけの立場に降りた。そのこと自体は問題はない。問題は降りた立場でありながら、モアイを壊そうとしたことです。変える努力をせずに独りよがりの正義感で行動する姿は全く共感できません。高校生までの自分に留まり続けようとしたのと同様に、設立当初のモアイと秋好に留まり続けようとした楓は自分しか見ていない。その理由も傷つきたくないだけです。

 秋好は理想と現実を擦り合せたのでしょう。理想を追う秋好が、現実の中で理想を追うために変化していく。当然の成り行きだと感じます。前を見て進もうとする意思が見えます。モアイを潰そうとした楓に激怒する理由も分かります。ただ、理想を追うために名簿に行きつくところが理解も共感もできませんが。彼女の論理では努力の範疇なのでしょう。 

との距離感

 人と人との距離感は難しい。一方の心地良い距離感と相手の距離感が同じとは限りません。最初から合うことは珍しい。徐々に一致させていくものです。自然と合ってくる場合もあれば、無理に合わせることもあるでしょう。関係を続けていくためには、お互いが納得できる距離感を構築する必要があります。秋好は相手に踏み込んで距離感を作る。楓は自分から距離を近づけることはないが拒絶はしない。結果として距離感が合った。ただ、距離感が合うことと、お互いを理解していることとは違います。楓は勘違いをしていたのでしょう。距離を縮めてくる秋好が自分を理解し、また自分も秋好を理解していると。

 人との距離感は多くの人との交流で鍛えられます。楓は人とのかかわりを積極的に避けてきた。経験値が圧倒的に不足しています。董介と友人になったのは偶然の結果です。楓が望んで友人になろうとした結果ではない。

 秋好と楓が二人だけの時は、距離感はそれほど重要ではない。お互いが納得していればそれでいいのだから。秋好が浮いているからこそ、楓は安心していたのでしょう。秋好が楓を他の人と比べないし、楓自身も他と比べないから。予想に反し秋好の交友範囲が広がり楓以外の友人ができると、楓自身が比べるようになってしまいます。秋好にとって自分がどれほど重要なのかを。 

友人関係に重要さを持ち出すのはおかしいですが。 

 輪の中に入り前向きになるか、輪に入らずに後ろ向きになるか。楓は後者だった。楓は一人が好きなのではなく、一人が安心で気楽なだけ。変わっていく秋好を妬んだり恨んだりするのは、本心では一人がいいとは思っていないからでしょう。秋好に執着していたのは楓自身であり、秋好にも楓に執着することを求め拘束しようとする。楓の矛盾を感じます。 

れぞれの見ているもの

 楓と秋好の対峙は、お互いの見ていたもの、求めていたものを吐き出させます。楓の見ていたものはかつて秋好が見ていた理想であるように見えますが、理想を見ていたのではなく理想を見ていた秋好を見ていた。その秋好に必要と思われる自分自身を見ていた。

 一方、秋好の見ていた理想は何だったのだろうか。理想論としての理想ではなく、現実的な理想を抱いていたのでしょう。講義で宣言する秋好の理想は単なる理想論にしか聞こえないが、実現の可能性を真に考えていたのなら先を見続けなければならない。そのためにモアイを作り理想を実現しようとしたのなら、現実と関わらざるを得ません。公式化したモアイを維持し、現実と折り合いを付けていかなければならない。実現を求めた秋好の方が、よっぽど理想を掲げ続けていた気がします。理想を理想として大事に取り続けている楓は、あまりにも幼稚です。同じ時を刻みながらも、彼らの方向性は全く違ったのでしょう。そもそも同じ地点に立っていたのかどうかも怪しい。楓は同じ場所にいたと感じていたようですが。

 楓が秋好と共に進めなかったのは、自らが成しえる理想を求めていなかったからです。モアイを潰し秋好に理想を気付かせようとするのは、自らが理想を追うことを考えていない。秋好に理想を取り戻させることが自身の役割だと勘違いしています。自身の方が立場が上だと言わんばかりに。自らが動かずに人を批判する人間に誰も心を開かないことに気付いていません。安全な場所から見下ろし、分かった気になっている。 

楓は理想を叶える未来を見ておらず、過去のみを見ている。 

 秋好の今の思いを全く知りもしないし、知ろうともしない。楓には何も見えていなかったということです。人との関係性を築いたことがない人間が、人のことを真に理解できるはずもない。

 ただ、秋好の見ていた理想も徐々に間違った方向に進んでいきます。大学を社会に出る前の準備期間とするならば、各々の就職先は理想を叶えるために重要な要素です。なりたい自分になるために就職先を選ぶのは当然であり、そのためのモアイであるならば十分に存在価値があります。モアイが肥大化して大学内での悪振る舞いが目立つようになったとしても、それはモアイ特有ではなく組織自体が持つ問題でしょう。どんな組織でも歪みは出てきます。

 秋好の行動は理想から始まったが、あまりに現実的になり過ぎた。彼女が何故名簿の供与に至ったのか。金かコネか。モアイに所属している者の名簿を所属する人たちの了承のもとに提供するのならば問題なかったのかもしれない。無断で広げ過ぎたことが彼女の過ちです。彼女が目的のために容認したのであれば、彼女の理想は崩れ去っていることになります。目的のために手段を選ばないとなれば、戦争のない世界を求めることもできなくなる。理想のための戦争を肯定することになってしまう。結局はどちらも間違った方向に進んでしまったということだろうか。秋好の行動の方がまだ理解できるが、共感できる訳ではない。 

好はどこに

 ストーリーは過去と現在を交互に描きます。視点は楓であり、軸はモアイと秋好です。

「あの時笑った秋好はもうこの世界にはいないけど」

 過去のパートで描かれる秋好は、現在では登場してこない。秋好の不在とモアイから離れた楓から想像することは秋好の死です。秋好の死を想像させることで、安易な感傷を読者に求めているだと思いました。ただ「この世界にいない」という言い回しの微妙さが引っかかります。何らかのミスリードを誘おうとする著者の意図が透けて見えるのも事実です。死という言葉を全く出してこない。死をイメージさせることはあっても明確には表現しない。早い段階で、少なくとも死んでいないのだろうなと感じさせます。その後、意外とあっさりと秋好の現在は描かれる訳ですが。

 人が変わっていくことで、過去のその人が死んだと捉えるのか。成長と捉えるのか。過去と現在の姿を比べ、過去を死んだように捉えるのはあまりにも後ろ向き過ぎます。楓の人間性を表すための表現だったとも言えるが。 

終わりに

 大学生活はその人次第で濃くも薄くもなる。秋好は濃く、楓は薄い。濃いか薄いかの違いは、主体的に行動したかどうかで変わるでしょう。楓がモアイを潰そうとした理由は、何もしてこなかった自分に焦ったからではないだろうか。その焦りが、彼を間違った方向へと導いた。気付いた時には取り戻せない。壊れたものは元通りに戻らない。形のあるものもないものも。

 ただ時間の経過がそれらを許すことも描かれています。戻ることはないが、前を向くことはできる。作り出したものを壊された恨み。壊した後悔。どんなものも元に戻ることはない。しかし、未来に向けたエンディングは爽やかさを感じさせます。