第15回本屋大賞第2位のミステリー小説です。ミステリー小説でありながら、ヒューマンドラマとしての側面を強く感じます。死体遺棄事件の謎を解明するミステリーですが、序章の段階で事件に関わる人物が特定されています。異例の経歴を持ってプロ棋士になった上条桂介です。元奨励会員の大宮北署 佐野巡査の死体遺棄事件の捜査とプロ棋士 上条桂介の人生の物語が交互に描かれていきます。
- 佐野巡査の視点で描かれる死体遺棄事件の捜査が始まった4か月前からの物語。
- 昭和46年から描かれる上条桂介の少年期からの人生の物語。
ふたつが序章に描かれている「現在」に終着していきます。死体遺棄事件の真相と上条桂介の人生がどのように関係しているのか。事件の謎に潜む上条桂介の人生は、一体どのようなものだったのか。読み進めるほどに、彼の人生に引き込まれていきます。
「盤上の向日葵」の内容
埼玉県天木山山中で発見された白骨死体。遺留品である初代菊水月作の名駒を頼りに、叩き上げの刑事・石破と、かつてプロ棋士を志していた新米刑事・佐野のコンビが捜査を開始した。それから四か月、二人は厳冬の山形県天童市に降り立つ。向かう先は、将棋界のみならず、日本中から注目を浴びる竜昇戦の会場だ。【引用:「BOOK」データベース】
「盤上の向日葵」の感想
死体と名駒
死体と一緒に葬られた将棋の名駒「初代菊水月作錦旗島黄楊根杢盛り上げ駒」。およそ600万円の価値のある名駒です。これほどの価値のある名駒が、腹部に刺し傷のある死体とともに埋められる理由が思い浮かびません。死者を悼む副葬品のようでありながら、死体には殺された可能性があります。辻褄の合わない死体と駒の組み合わせは一気に謎を深めます。上条桂介が死体と関係があることは明確にされています。しかし、
- どのような過程を経て、このような結果がもたらされたのか。
- 彼は一体どんな動機を持ち合わせていたのか。
全く予想出来ません。駒は事件の犯人を突き止める重要な鍵であるとともに、最も大きな謎でもあります。殺人であれば、証拠を残す理由が分からない。殺人でなければ、何なのか。
佐野と石破の時間軸は、死体と共に発見された駒から始まります。一方、上条の時間軸は、死体と一緒に埋められた駒を終着点としています。彼らの時間が駒を中心に進んでいき、結末で一致します。
人生の岐路
誰にでも人生に岐路はあります。その岐路をどちらに進むかで人生は大きく異なります。そのことが、上条の人生を通じて伝わってきます。必ずしも、正しい選択をするとは限りません。そもそも正しいとか間違っているとかがあるのかどうかも疑問です。後の人生に大きな影を落とすことが分かっていても選んでしまうのが人間であり、その選択が間違っていると断じることは出来ません。
上条の選択は、彼の人生を幸福から遠ざけていったように映ります。もともと彼の少年期は幸福とは縁遠い。父親からの虐待と育児放棄は耐え難いものです。彼の将棋への執着は、現実逃避の手段だったのかもしれません。しかし、将棋が唐沢夫婦との出会いをもたらします。虐待を受けている上条が精神的にも肉体的にも正常に成長することが出来たのは、唐沢との出会いがあったからです。唐沢夫婦の愛情があったから、辛い日常に耐え続けることが出来た。
その一方、子供にとってはどんな親でも親なのでしょう。唐沢夫婦からの養子の誘いを断り父親と暮らし続ける決断をしたことは、当時の彼にとっては他に選択のしようのないことだったのでしょう。だからと言って、ひとつの選択だけで人生は決まりません。
いくつもの選択の積み重ねが人生です。
唐沢の養子の件も、ひとつの選択に過ぎません。東大に進学したことも選択のひとつであり、東明と関わりを持ったのも選択のひとつです。冷静に選択できることもあれば、抗えないものもあります。東明との出会いとその後の関係は、彼にとって抗えないものだったのでしょう。それほど東明に魅せられた。東明の将棋と言うべきかも。
少年期を除けば、東大に入ってからの彼は世間的には成功者です。しかし、社会的な成功と人生における充実は全く別物です。彼にとって人生が充実していたのは、東明といる時だけだったのでしょう。
事件捜査
佐野と石破の捜査は、上条の物語に比べると読み応えがありません。彼らの捜査は埋められていた駒の持ち主を探すことであり、読者は駒の持ち主が上条であることを分かっています。目的地が分かっているので、捜査過程にどれだけ意外性を持たせて構築していくかが重要です。
容易く上条に行く着く訳ではありません。七組しかない「初代菊水月作錦旗島黄楊根杢盛り上げ駒」を追っていく。所有者の記録は相当に古い。しかし、当初の所有者が分かれば追っていけます。現に彼らは七組の駒の所在を確かめ、唯一確認が取れなかった一組を追っていきます。途中、途切れそうになる糸も途切れることなく繋がっていきます。捜査過程で石破の能力や佐野の将棋の知識に感心させられる部分はあります。と言っても、目的地に向かい一本道である印象は拭えません。多少の寄り道はあったとしても。
「七組と思われた駒が実は八組あった。」とか意外性のある展開があれば、もう少し引き込まれたかもしれません。上条の人生の濃さに比べると、どうしても見劣りしてしまいます。佐野が元奨励会員である理由も、駒の鑑定と将棋の世界の説明のために過ぎない印象を受けます。
上条に罪はあるのか
上条の犯した罪は、何だったのだろうか。刑法における彼の罪はいくつあるだろう。死体遺棄事件では、彼の行為は「死体遺棄」であり殺人ではない。警察が信じるかどうかの問題はありますが、東明の死因は自殺なのだから。しかし上条は、東明に依頼し父親を殺しています。上条自身は父親の死を確認していませんが、間違いなく東明が殺したと認識しているでしょう。彼は殺人の教唆罪として、殺人と同じ罪が課せられる。東明は死に、父親の死と上条を繋げるものは何も残っていません。上条自身が話さない限り表に出ることはありません。仮に表面化しても、上条自身は父親の死を確認していないし、死体のありかも分からない。
そんな状態で警察は罪に問えるのだろうか。
警察は死体遺棄事件に上条が関わっていることを確信しています。関わり方も殺人と見込んでいます。しかし現実は違いますし、真実は上条しか知りません。上条は警察に手に落ちなかった。警察は真実に辿り着くことは出来ないし、罪に問うことも出来ません。
では、上条自身が感じていた罪はなんだったのだろうか。先述の刑法上の罪も感じていたでしょう。それ以上の自らの出自に罪を感じていた。そもそも彼の出自について、彼に責任はありません。呪われた血筋だとしても、彼にはどうすることもできないことです。しかし、彼にとって、自身の存在自体が罪になったのでしょう。存在自体が罪であれば、罪を償うための方法はひとつしかありません。「潮時」という言葉に、どんな思いが込められていたのか。呪われている自分が存在し続けていることの「潮時」だったのか。十分に生きたことに対する「潮時」だったのか。少なくとも、彼に後悔の意識はなかったように感じます。
終わりに
上条の人生を描いたヒューマンドラマとして読み応えはあります。上条を取り巻く東明や唐沢など、魅力的な人物も多く登場します。その一方、佐野と石破の捜査は迫力に欠けます。事件の謎が気になって仕方がないというミステリーではなく、上条の人生の行く末が気になって仕方ないといったところでしょうか。
上条のパートと佐野のパートの温度差が気になってしまいます。佐野と石破の存在感では上条に及ばなかった。その一点が残念に思います。