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『ひとつむぎの手』:知念実希人【感想】|医師として、人として、一番大切なものは何か

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 こんにちは。本日は、知念実希人氏の「ひとつむぎの手」の感想です。

 

 2019年本屋大賞ノミネート作品。大学病院の心臓外科を舞台に描かれる生々しい医師の姿は、医師である著者だからこそ描けるのでしょう。ミステリーの要素を含みながらも、医者の矜持を描いたヒューマンドラマの側面が強い。ミステリーが霞んでしまったように感じてしまいます。

 極めて高度な技術を必要とする心臓外科では、30代前半の祐介は中堅にもならない。他科であれば一人前の医師になっている年齢であることが焦りを生みます。焦りは彼を変化させていきますが、その過程に人間味と爽やかさを感じさせます。彼が下した決断は、悩んで出した答えだからこそ説得力があります。   

「ひとつむぎの手」の内容

大学病院で過酷な勤務に耐えている平良祐介は、医局の最高権力者・赤石教授に、三人の研修医の指導を指示される。彼らを入局させれば、念願の心臓外科医への道が開けるが、失敗すれば…。さらに、赤石が論文データを捏造したと告発する怪文書が出回り、祐介は「犯人探し」を命じられる。個性的な研修医達の指導をし、告発の真相を探るなか、怪文書が巻き起こした騒動は、やがて予想もしなかった事態へと発展していく―。【引用:「BOOK」データベース】 

 

「ひとつむぎの手」の感想

局の力

 教授を頂点としたヒエラルキーが存在する医局の姿は「白い巨塔」を思い出します。医局制度について詳しく知りませんが、2004年度より開始された新医師臨床研修制度により医局は弱体化したと認識していました。本作の医局は、弱体化した姿なのだろうか。それとも旧態の姿を残している医局なのだろうか。弱体化後の姿なら、以前の医局はどんな不条理な世界だったのか想像もつきません。

 昨年刊行された小説だから、少なくとも現在も存在する医局の姿と受け取っていいのだろう。未だに教授を頂点とするピラミッド構造が残っている現実があるということです。それは診療科によって違うのか、それとも大学によって違うのか。様々な事柄が合わさり、旧態依然の医局を残してしまっているのかもしれません。心臓外科という極めて高度な技術を必要とする科だからこそ医局の力が残っているように感じます。

 

想と現実

 祐介は、心臓外科医になることに執着と言えるほどの熱意を持っています。その熱意が、医局に対しては弱味になってます。理想の心臓外科医になるためには、気に入らないからと言って医局を辞めることは出来ません。辞める時は、心臓外科医を諦めることになります。そもそも心臓外科医として患者を救いたいという気持ちを実現できない医局の在り方に問題があると思いますが。率直な疑問として、

  • 何故、妨げられないといけないのだろうか。
  • 何故、志のある医師が目指す技術を習得できないのか。
  • 何故、志が弱味になってしまうのか。

 一般社会においても同様のことは起こります。人間関係が実績よりも重要視されることは珍しくありません。しかし、人の命を扱う医師が、このような有様でいいのだろうかと疑問を抱きます。

 祐介は、医局政治と心臓外科医の夢と医師の矜持との間で常に揺れ動いています。医師も人間なのだと感じさせます。患者のために技術を磨き、一人前になる。それこそが真の医師であり理想の姿です。多くの患者を救う医師になるためには、今を犠牲にしないといけない。しかし、犠牲にすればするほど理想の医師の姿から遠ざかっていくように見えます。祐介自身がそのように感じているから、理不尽さと矛盾が伝わってきます。 

 

粋な視線

 祐介が心臓外科医になるためには、医局の命令に従わざるを得ません。人生を人質に取られているのと同じです。医局政治と医者の矜持との間で苦しむ祐介は、まさしく人間らしい。

 関連病院の富士第一総合病院に出向するために、研修医の入局も怪文書の犯人探しも引き受けてしまいます。祐介一人に負担が集中するのは気の毒ですが、大学病院であれば研修医を指導することは業務の一環です。ただ、研修医の指導の目的は心臓外科を経験させることにより、彼らの診療科の選択の材料にすることです。人手不足を理由に何としても研修医の入局を果たしたい気持ちも分かりますが、真実を隠してまで研修医を確保しようとするだろうか。当面、何とかなればいいという対症療法に過ぎません。そのことを祐介は理解しています。だからこそ研修医の指導に苦しむのです。

 自らの望みのために研修医の指導を利用している。常に付きまとう後ろめたさが彼を苛みます。医師の矜持を持たずに指導すれば、研修医といえども気付きます。純粋な視線に晒されたときに、祐介の気持ちは耐えれません。失いかけている医師の矜持が、研修医たちを指導していくことで思い出していく。研修医の指導を通じ、祐介自身が影響され変わっていったのでしょう。

 純粋な目は、心を見透かします。後ろめたい部分があるからこそ、純粋な眼差しに耐えられなくなる。その時に逃げ出すのか。それとも向かい合うのか。選択次第で人生が変わってしまいます。どちらが人生を豊かにするかは自明のことですが。 

 

ステリー要素

 ミステリー要素は、教授を告発する怪文書の存在です。絶対的権力者である教授が、怪文書一通で危機に陥ってしまいます。論文捏造は、医学部教授としてあってはならないことです。怪文書が登場したことで3つの謎が生まれます。

  • 怪文書の差出人は誰か。
  • 怪文書の内容は真実か。
  • 差出人の目的は何か。

 怪文書がもたらした状況の変化は大きい。ただ、祐介にとって怪文書の存在はそれほど大きくなかったように感じます。そもそも祐介は、それほど怪文書の犯人探しを行っていません。時々に思い出して、研修医に情報収集を依頼するくらいです。彼にとって重要なのは、富士第一に出向することです。研修医を入局させることと犯人探しは同列くらいなのでしょう。突然の閃きで解決してしまうことも拍子抜けしてしまいます。怪文書はストーリーの構成要素のひとつに過ぎず、必要不可欠と感じません。 

 

終わりに

 ミステリー小説ではなく、祐介の成長の物語です。目指している心臓外科医になることの困難さに加え、そもそも適性があるかどうかという問題も含んでいます。人の命を預かる医師は、自らの力量を自己評価する必要性も出てきます。読み応えのあるヒューマンドラマですが、ミステリー小説としてはイマイチに感じてしまいます。