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『死神の浮力』:伊坂幸太郎【感想】|おまえはまだ死なない。俺がついているから。

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 こんにちは。本日は、伊坂幸太郎氏の「死神の浮力」の感想です。

 

 「死神の精度」で登場した新しい死神像は、とても独特でユーモアに富んでいました。前作を読んでからかなり経ちますが、千葉の印象は薄まっていません。インパクトが大きかったということですし、インパクトも楽しさの要因です。ただ「死神の精度」に対し、私が書いた感想はそれほど好意的なものではありませんでしたが。

 

ちなみに「死神の精度」の感想は以下からどうぞ。 

 

 本書の帯には「死神の千葉を長編で読める日が来た!」と書かれています。ストーリーが続いている訳ではないので、続編とはちょっと違う。シリーズ化とも違う。千葉を登場させた物語を、もう一度書きたかったということでしょうか。

 死神に新鮮さはありません。一方、彼らについての説明は要りません。ストーリーに集中出来ます。千葉の行動様式・思考過程が分かっている状態で、どのように読者を楽しませるのか。死神の特性で、どれだけ読者を惹きつけるのか。前作から8年ほどが経過しているので、著者の作風も変わっています。同じ設定の中で、どれだけ違う物語を読ませてくれるのか。 

「死神の浮力」の内容

娘を殺された山野辺夫妻は、逮捕されながら無罪判決を受けた犯人の本城への復讐を計画していた。そこへ人間の死の可否を判定する“死神”の千葉がやってきた。千葉は夫妻と共に本城を追うが―。【引用:「BOOK」データベース】 

 

「死神の浮力」の感想

々しいはずの復讐劇

 復讐から連想するのは暗い闇です。闇の中には絶望や悲しみが多く含まれています。復讐のきっかけは、幼い子供が殺されたことです。子供の殺され方や両親の悲嘆と苦しみの描写が生々しい。殺され方も酷い。人が復讐を決意するためには、相当のきっかけが必要になります。山野辺夫妻が抱えた苦しみが復讐の憎悪へと変化するのは当然と言えます。子供が親にとっていかに大事な存在か。家族の大切さの中でも子供に対する感情は特別なものなのでしょう。

 本城の非道さも読んでいて胸悪くなりますし、そのことが生々しく描かれています。しかし、千葉が登場することで軽快さが生まれます。死に携わる死神が最も恐ろしい存在のはずなのに、その死神がどこかずれています。千葉自身が死に対して特段の感情を抱いていません。重苦しいはずのストーリーでありながら、どこかテンポの良さを感じます。山野辺夫妻が感じる現実的な死と千葉が感じる死のギャップが、同じ死でありながら全く別物のように見えてきます。 

 

イコパス VS 死神

 著者の作品には、本城のような絶対的な悪が登場することがあります。

  • フーガはユーガの高杉
  • マリアビートルの王子
  • オーデュボンの祈りの城山

 共通するのは、彼らの日常生活は一般人と変わらないということです。社会に馴染んでいるからこそ恐ろしい。サイコパスも今となっては聞き慣れた言葉です。あまりいいイメージのない言葉ですが、必ずしもサイコパス=殺人者でないことだけは理解しないといけない。サイコパスは怪我や病気のように周りから見てすぐに分かるものではありません。本人すら気付いていないかもしれない。また、殺人者として表出するのは一部の人間だけでしょう。 

殺人者の全てがサイコパスという訳ではないでしょうし

 実際にサイコパスに接したことがあると認識している人は少ないと思います。25人に1人がサイコパスだとすればかなりの高確率で存在します。ほとんどは社会の中では潜在的な特異な人格者ということでしょう。他人事ではないと言えます。

 サイコパスが周りの人々を巻き込んで、20(サイコパス側)対5(一般人)の力関係にしてしまう。さらに恐ろしい。サイコパスとの勝負に勝ち目はないと言えます。頭が良く、心の枷がない人間相手に良識を持った人間は太刀打ち出来ません。山野辺夫妻は憎しみがあっても一般人です。本城を殺すために、他の犠牲を顧みないでいられるだろうか。そこが大きな違いです。本城は顧みないのですから。

 本城vs千葉は、ある意味同じ土俵に立っています。目的を果たすことだけを考えているからです。千葉の目的は与えられた仕事の完遂なので悪人ではありませんが、他人を気にしないという点では同じです。同じなら人間でない千葉に軍配が上がるのは当然です。生身の身体ではないし人間以上の能力がありますし、そもそも死神は死なない。 

 

合の良いツール

 本書の構成は、Day 1からDay 7に加えプロローグとエピローグです。ちょうど千葉の調査期間に合わせています。物語にあまり起伏はありません。

  • 山野辺夫妻と本城
  • 山野辺と千葉

 2つの軸を絡めて物語を進めていきます。この過程で本城と千葉の関係も出てきます。登場人物が少ないのでややこしくないですが、その分読み応えも少なくなっています。山野辺夫妻の感情描写と復讐の繰り返しです。

 本城と山野辺夫妻では勝負にならないが、千葉の存在が勝負の行方を不確かなものにします。千葉は、彼らの勝負をぎりぎりの展開にするためのツールです。千葉は何でもありの存在ですし、彼の行動規範に則りさえすればどんな行動も許されます。人間に不可能なことも可能です。展開によって都合の良い使われ方しています。

 千葉の仕事は観察と報告です。行動を共にして観察することが目的なのに、結果的に協力しています。山野辺夫妻の復讐に興味がないようでいながら、状況打破は常に千葉の行動から始まります。情報部のセールも結果のために作られた都合の良い伏線ですし、都合の良い設定に過ぎません。復讐劇の結末としては、爽快感がありますが。 

 

終わりに

 復讐が成功し千葉が「見送り」の報告をしたとしても、山野辺夫妻に残るのは虚しさだけでしょう。子供を失った心の傷を癒す方法などないのだから、ハッピーエンドは難しい。

 しかし、エピローグを読むと幸せな気持ちになります。山野辺が死んで、美樹だけが残された状況は必ずしも幸せではありません。それでも心に温かいものを感じさせます。時間の経過も重要な要素だし、山野辺が子供を助けて死んだことも重要な要素です。千葉にいつも通りの「可」の報告をさせた上で、エピローグで幸せな気持ちを読者に与える手腕に感心します。全体的に淡々と進み、気が付けば終わっていたように感じますが、エンディングは良かった。