タイトル「ターニング」は、ターニングポイントを意味するのでしょう。物語の転換点かどうか分かりませんが、少なくとも事態が大きく動いたのは間違いありません。キリトたちの計画通りに進んできた道のりが、ある事件をきっかけに思わぬ方向に展開していきます。順調過ぎるアンダーワールドの生活に物足りなさも感じていたので、この展開は引き込まれます。
「転生Ⅲ」の十数頁を別にして、ほぼ1冊がアンダーワールドです。アンダーワールドの成り立ちは、既に菊岡たちによって明かされています。「アリシゼーション・ターニング」でアンダーワールド内の闇の部分が明らかにされていきます。アンダーワールドは想像以上に闇の深い世界だと思い知らされます。
「ソードアート・オンライン11」の内容
キリトが謎のファンタジー世界に入り込み、二年が過ぎた。“北セントリア帝立修剣学院”の“上級修剣士”となったキリトと親友ユージオの二人は、人界最強の秩序執行者“整合騎士”目指し、修行の日々を過ごしていた。“上級修剣士”の二人には、身の周りの世話役があてがわれる。キリトにはロニエ、ユージオにはティーゼ。四人は互いに絆を結び、充実した修士生活を過ごしていた―その時。突然、“悪意”はやってきた。ロニエとティーゼが、下劣な貴族達の罠に嵌められる。それを知ったユージオは彼らに対して剣を抜こうとするも、教会への信仰心で身体が動かない。その時、ユージオの右目を凄まじい激痛が貫き、奇妙なしるしが浮かび上がる。それは、ユージオには読めない神聖文字の羅列だった。―「SYSTEM ALERT」。【引用:「BOOK」データベース】
「ソードアート・オンライン11」の感想
強さの源
前半はユージオが中心となり、物語が進んでいきます。ユージオたちが正義で、ライオスとウンベールが悪という分かりやすい構図です。分かりやすいので物語に意外性を感じません。ライオスたちの傍若無人な振る舞いに対し、ユージオたちが立ち向かう。ユージオたちが勝利することも予想できます。その過程がどうなるのかが気になりますが。
ライオスたちはラスボスではありませんので、ユージオたちに対抗できるだけの実力があるのかどうか。貴族としての権限だけでなく、剣士としての実力がユージオとキリトに勝るとも劣らないものでないと面白くない。彼らの言動からは、あまり強さを感じません。しかし、現実はユージオやキリトに匹敵するだけの実力を備えています。強さの根源は伏線が張られています。イメージの力が、アンダーワールドでの力の源であると。
ライオスたちの貴族としての誇りはとてつもなく大きい。歪んでいるからこそ、余計に大きくなっているように見えます。平民に後れを取るはずがないと信じていることがそのまま彼らの実力となります。ユージオの地道な努力と対等に立ち回るだけのイメージを持っています。歪みに歪んでいますが。
アリシゼーションが始まった当初は、キリトはレベル1から始まったようなものでした。チート級の強さを持っていないことが新鮮味のひとつでもあったのです。ただ修剣学院に入学してからは、飛び抜けて強い訳ではないが大勢の中に埋もれてしまうようなこともありません。常にトップクラスの強さを誇っています。ユージオたちが当然のように上級修剣士になってしまうことは都合良さを感じてしまいます。
ユージオとウンベールの修練場での対決はユージオが圧倒していました。その時のライオスの余裕さから、ライオスはユージオより強いのだろうと思わせます。ライオスたちの部屋でライオスとキリトが戦った時、ライオスはキリトを圧倒しかけていました。ライオスにとって負けることは想像の枠外なのだろう。そのイメージが結果をもたらすのだとしたら、ライオスが負けることはありません。結果はキリトがライオスの腕を切り落とすことになるのですが。
キリトの優位性はどこにあったのでしょうか。アインクラッドの2年間だとしたら、貴族として生きた10数年を背負うライオスの方が強い気もします。キリトがライオスを圧倒した根拠がどこにあるのかが分かり難い。キリトが背負ってきたものとライオスが背負っているものの大きさは、善悪を別にすればそれほど違わない気もします。どちらかと言えば、ライオスの方が揺るぎない自信を持っている気もします。
倫理と法
ライオスとウンベールは見事な悪役振りを発揮しています。禁忌目録を始めとする法で支配されているアンダーワールドの中で、ライオスたちが行っている悪辣な振る舞いは目に余ります。しかし、彼らは法を犯していません。彼らが法を遵守していることが、逆に不快感を生みます。不快感の原因は、彼らに倫理がないからです。法を守っていれば許されるという考え方が歪んでいます。
人は法のみで生きている訳ではありません。人が健全な関係性を維持するためには、もっと重要な要素があります。それが倫理であり、他者を思いやる気持ちです。他者を思いやる気持ちとは、自分自身と他者を重ね合わせることが出来るかどうかでしょう。他者の立場に立てない者は倫理観を持てない。ライオスとウンベールはそれを体現しています。禁忌目録を中心とした法の絶対性が、ライオスとウンベールという悪を生み出したということです。
現実世界の法は、社会とそこで生きる人間同志の円滑な運営のために存在しています。アンダーワールドの法の目的はそこにある訳ではなさそうです。ただ、禁忌目録があるからこそ殺人も起きないし盗みも起きません。アンダーワールドの平和は、禁忌目録によってもたらされています。アンダーワールドの住民は法の恩恵を受けています。しかし、守るべき法が明確にされていることが、逆に守らなくてもいいことも明確にしてしまいます。法で禁じられていないことは、倫理の枠外にあったとしても許されていると考えてしまう。どちらが人間的かといえば、ライオスたちの方が現実の人間に近いのかもしれませんが。
アンダーワールドの闇
ユージオもライオスも人工フラクトライトです。アンダーワールドの住民が人工フラクトライトすなわちAIだとしたならば、その違いはどこから生まれてきたのでしょうか。連行されたセントラルカセドラルでカーディナルから知らされたアンダーワールドの闇が、それらの疑問を解き明かします。
菊岡たちにとってアンダーワールドはボトムアップ型人工知能の研究に過ぎません。しかし、菊岡たちが想定している以上にアンダーワールドの闇は深い。そもそも人間と同じ思考過程を持つAIを作り出すとなれば、人間の闇の部分も受け継いでいく必要があります。アンダーワールドの黎明期に負の感情を持ったラースのスタッフが混じっていたことは、より現実的な世界を作り出す上で間違ったことではないかもしれません。
問題は、特定の人間が闇に染まったということでしょうか。現実世界では、一人の人間の中に光と闇、善と悪が存在します。二面性を持つのが人間であり、菊岡たちが求める人工知能かもしれません。日常で人を殺すことを悪としながらも戦争で人を殺せるのは、人の二面性の特徴と言えます。しかし、アンダーワールドでは二面性を持つ人工フラクトライトは存在しないように見えます。善と悪の両方を持つのではなく、どちらか一方だけを持つ。悪を持つフラクトライトは悪でしか有り得ない。思い描いたAIを作り出すことが出来ないのは、アンダーワールドが現実世界と違う種類の闇を抱えているからでしょう。
終わりに
順調に進んでいたキリトたちの旅が一気に動き出します。彼らにとって想定外の出来事が次から次へと起こります。望んだ形でないにしろ、目的地へ一気に迫ることになります。ユージオはアリスと再会し、キリトとユージオはセントラルカセドラルの内部へ入ることが出来た。淡々と進んできたアリシゼーションが一気に不穏な空気と共に動き出します。彼らの目的の一部が達成されたとともに、新たな謎と目的が発生します。
アリシゼーション編の3冊目だが、まだまだ先が読み切れません。アンダーワールドでのキリトの目的と、現実世界の菊岡たちの目的。そして明日奈の目的。それぞれが抱える目的が、まだ重なり合うことはありません。様々な目的と思惑が絡まり合った時、アンダーワールドはどうなるのか。人工フラクトライトはどうなるのか。物語が向かうべき先はまだ見えてきません。
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