ご覧いただきありがとうございます。今回は、逢坂 冬馬さんの「同志少女よ、敵を撃て」の読書感想です。
第11回アガサ・クリスティー賞大賞受賞作です。全選考委員が最高点を付け、満場一致で受賞しました。直木賞候補にも選ばれ、2022年本屋大賞も大賞を受賞しています。評価の高い話題作ですが、逢坂冬馬さんのデビュー作というから驚かされます。
ミステリー小説というよりは、戦争・歴史小説です。ミステリー小説で想像する謎解きの要素はほとんどありません。アガサ・クリスティー賞はかなり間口の広い賞なのでしょう。
第二次世界大戦下の独ソ戦が舞台です。独ソ戦の中でも、特に激戦であったスターリングラード攻防戦、ケーニヒスベルグ包囲戦が描かれます。どちらの戦いも歴史上の事実です。だからこそ現実感があります。
主人公はソ連軍の狙撃兵セラフィマです。登場時は18歳の普通の少女です。彼女の視点から悲惨な戦争が描かれます。
タイトルや表紙からは想像できないほど重厚で考えさせられる小説です。
「同志少女よ、敵を撃て」のあらすじ
1942年、独ソ戦のさなか、モスクワ近郊の村に住む狩りの名手セラフィマの暮らしは、ドイツ軍の襲撃により突如奪われる。母を殺され、復讐を誓った彼女は、女性狙撃小隊の一員となりスターリングラードの前線へ──。
「同志少女よ、敵を撃て」の感想
戦う理由
命をかけて戦うためには尋常ではない覚悟が必要でしょう。どのような精神状態になれば、命のやり取りができるのでしょうか。平和な日常に慣れきった私には想像も理解もできません。現在、ウクライナとロシアが戦争状態です。しかし、それも自身の問題としてなかなか実感できません。自分の日常生活にどんな影響がでるか気にするくらいです。
ウクライナが徹底抗戦に出るのは、戦う理由があるからです。国家としての理由と国民ひとりひとりが抱く理由です。独ソ戦もそれぞれに戦う理由がありました。国家として、国民として。また、自分自身の人生としてです。
独ソ戦はドイツがソ連に侵入して戦争状態になりました。侵攻されたソ連は祖国を守らなければなりません。大祖国戦争と呼称し国民を一致団結させたのは、徹底抗戦のために必要な政治的な思惑です。また、国家が戦争を戦い抜くには正当性が必要です。正当性があれば、国民を戦争に駆り出すことも可能です。
しかし、多くの軍人が祖国のためという理由だけで、命をかけて戦場に向かうことができるかどうか。祖国のためというのは、自分の人生と直接的に関連付けるには大きすぎて抽象的すぎるかもしれません。もっと身近で個別的な理由がないと、生命を危険にさらし続けることはできないのではないでしょうか。
狙撃訓練学校教官のイリーナがセラフィマたちに戦う理由を問うシーンがあります。セラフィマが戦う決意をした理由は復讐です。母親を殺したドイツの狙撃兵イェーガーとイリーナを殺すことです。極めて個人的ですが、国家という曖昧なものよりも分かりやすく強い動機です。
しかし、公にはできません。軍で生きるためには個を消し、全体のために動かなければなりません。セラフィマは「女性のため」と答えます。復讐と言えないからですが、嘘ではないのかもしれません。完全な嘘ならとっさに口から出ないでしょう。
どんな人間も自分自身の心があります。それに従うことが生きることです。セラフィマは自分に忠実に行動しました。だからこそ、目的を達成できたのでしょう。
イリーナへの復讐は果たせませんでしたが、心が変わるのも人間です。変化を受け入れるのは難しいかもしれませんが、自分を裏切らないという意味では心変わりも受け入れる必要があるのでしょう。
成長という名の闇
セラフィマたちは狙撃兵になるために訓練を受けます。狙撃兵とはいかなる存在なのか。どれほど厳しい訓練が必要なのか。狙撃兵になるために必要な能力が詳細かつ生々しく描かれています。
狙撃兵は敵を狙い打つというくらいのイメージしか持っていませんでしたが、本作を読んで認識が変わりました。著者は相当に調べ尽くし、物語に落とし込んだのでしょう。だからと言って、専門的で分かりにくいことはありません。読んでいてすごく分かりやすい。文章構成が工夫され、使われている単語も厳選されているのでしょう。
狙撃兵の戦場での役割も描かれます。狙撃兵は歩兵などの他の兵科よりも安全だと思っていました。遠方から狙い打つからです。それが間違った認識だと思い知らされます。狙撃兵も戦場で戦っているからには命をかけているのです。他の兵科よりも安全というのは根拠はありません。
ただ、他の兵士から距離を取られているところを見ると、特殊な立場だと認識されていることは間違いありません。だからこそ、国家のためだけでなく、個人が抱く強い動機が必要になるのでしょう。
技術面だけでなく、精神的な成長も必要です。戦場で殺し殺される世界に身を置くのです。精神状態は変容していきます。戦争が人をどのように変えていくのか。セラフィマの心の変化を見ていくとよく分かります。
戦場で生き抜くためには、敵を殺さなければなりません。でなければ、自分が殺されます。そのために技術を磨き、狙撃兵としての高みを目指します。技術を身に付ければ、それを発揮し結果を残したいと思うのは自然です。セラフィマの狙撃技術を発揮するのは、敵を撃つ時です。敵を殺すことで、彼女の訓練の成果が表れます。厳しい訓練であればあるほど、敵を確実に殺したくなるのでしょう。
セラフィマは敵を殺しながら、無意識に微笑を浮かべます。狙撃兵として成長し、敵より優位に立っていることを実感したからです。兵士として成長した証かもしれません。
セラフィマが成長を望んでいたのは復讐のためです。しかし、敵を殺すことで、彼女の精神は闇に引き込まれていきます。笑みを浮かべながら、引き金を引きます。セラフィマの変化は戦場では必要なことですが、人間として求められる変化ではありません。
セラフィマの敵は誰なのか
セラフィマは復讐のために狙撃兵になります。復讐の対象は、母を殺したドイツの狙撃兵イェーガーとイリーナです。彼女の敵は明確でした。イリーナは味方のソ連兵だから、復讐できる対象と言いがたいですが。
ソ連軍の狙撃兵として戦うからには、敵はドイツです。イェーガーだけを殺せばいい訳ではありません。彼女はドイツを敵として戦い続けることになります。
イリーナに戦う理由を問われた時、セラフィマは女性のために戦うと答えています。戦場では民間人の女性がより被害を被るからです。女性たちを戦う理由にすることで、ドイツ兵を殺す正当性を得ようとしたのかもしれません。
ドイツ兵を敵にするのではなく、女性を虐げるのがドイツ兵だという理由付けをしたのでしょう。しかし、戦場で倫理を踏み外した行動をするのは敵だけとは限りません。ドイツ兵がしていることを、ソ連兵がしない保証はありません。女性を守るための敵がドイツ兵だけとは言えないのです。女性を守ることを目的にした時点で、ソ連兵がセラフィマの敵になる可能性は十分にありました。
彼女は女性を凌辱しようとしているソ連兵を殺します。身近な存在だったソ連兵です。彼女が狙撃兵になる前の敵はイェーガーとイリーナでした。その後、ドイツ兵が敵になります。最終的に味方さえも、彼女の敵になりました。
戦争は敵を増やします。敵と味方しかいません。味方でなければ敵なのです。敵が味方になることはなくても、味方が敵になるのは容易なのでしょう。
終わりに
第二次世界大戦と言うと、日本人は太平洋戦争を思い出すでしょう。当事者なのだから当然です。ヨーロッパでの戦闘は遠い世界です。知識として知っていても実感はありません。
本作で描かれているのは、独ソ戦の中でも特に激戦だった戦いです。文章から悲惨さが伝わってきます。戦場が頭の中に映像として浮かび上がってくるようです。だからこそ、引き込まれていくのでしょう。
長編作品ですが、長さを意識させません。どんどんと読み進めていってしまいます。また、読みやすい文章ながら、臨場感と登場人物の心の機微が繊細に描かれています。次の作品が待ち遠しくなります。
最後までご覧いただきありがとうございました。