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『神の悪手』:芦沢 央【感想】|この手を選びたい。たとえ破滅するとしても

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ご覧いただきありがとうございます。今回は、芦沢 央さんの「神の悪手」の読書感想です。

将棋を軸にした五つの短編で構成されています。将棋の勝負を描くというよりも、将棋に関わる人たちの人生を描いています。全ての短編ではないですが、全体的に重く暗い。人生は簡単ではないということでしょう。

近年、将棋は注目されています。藤井聡太棋士の活躍で盛り上がり、華やかな側面ばかりが目立ちます。しかし、本作は華やかさとは無縁です。登場人物たちが背負っているものの大きさが描かれているからでしょう。本作において将棋は重要な要素ですが、描かれているのは人生の業なのだと思います。

各短編ごとの感想になります。

「神の悪手」のあらすじ

26歳までにプロになれなければ退会ー苛烈な競争が繰り広げられる棋士の養成機関・奨励会。リーグ戦最終日前夜、岩城啓一の元に対局相手が訪ねてきて…。【引用:「BOOK」データベース】

 

「神の悪手」の感想

い者

東日本大震災の避難所が舞台です。被災者は多くの人(物)を失い、失意のどん底にいます。精神的にも肉体的にも疲弊しているでしょう。

北上八段はあちこちの避難所で指導対局を開催しています。彼自身が過去に被災した経験があり、衣食住以外にも生きるための意欲をもたらすものが必要なことを知っていたからです。彼は被災者の気持ちが分かると自負があったのでしょう。

しかし、被災した少年との指導対局で、自分の認識の甘さ(過ち)に気付きます。彼が見てきたものは全体の一部に過ぎず、そのことがあやまった認識をもたらした。少年の尚泰を知った時に、そのことを知ります。

避難所で性犯罪が起こっていることは知っています。プライベートもなく、被災者は立場が弱い。被害を訴えずに泣き寝入りするしかない状況があったのかもしれません。立場の弱さがもたらす悲劇です。北上が被災した時もあったかもしれないですが、彼には見えていなかったのでしょう。だから、少年が悪手を指す理由に思い至りません。

また、北上は、将棋では女は男に及ばないという認識がありました。少年が少女であると分かった時、悪手を指すのも仕方ないと思います。彼だけでなく、将棋の世界の常識だったのかもしれません。実際、女性の棋士は誕生していません。女性棋士がいない理由は様々な要因があるはずです。単に女性が男性に劣っているということではないでしょう。

北上は少年と出会うことで、今まで持っていた認識を見つめ直します。避難所に引き返したのはその表れです。

人は見ようとしなければ見えないものがあります。目に見えているものだけを受動的に見ているだけでは真実に辿り着けないのでしょう。

 

の悪手

表題作です。五つの短編の中で一番ミステリーらしい。殺人と犯人のアリバイ作りはミステリーでよく登場する設定です。殺人というよりは過失致死といったところですが、人を死なせたことに変わりはありません。

プロ棋士になるための壮絶な戦いも描かれています。奨励会を勝ち抜きプロになることの厳しさとなりふり構っていられないほど追い詰められる精神が物語を形作っていきます。

村尾康生は昇級するために、自らが研究し尽くした棋譜を岩城啓一に渡します。岩城が宮内に勝たないと、村尾が昇級することができないからです。昇級するためには、どんな手段も厭わない。裏を返せば、岩城では宮内に勝てないと言われているのと同じです。同じ棋士として耐えられないでしょう。村尾を拒否し、その結果、村尾が死ぬという事故が起こります。

岩城の起こした過ちは、死んだ村尾をそのままにしたことです。死体を放置したことで、岩城の立場は悪くなります。

そこにアリバイ作りの光が射します。村尾が渡そうとした棋譜どおりに対局が進みます。このことが、何故、岩城のアリバイになるかは省略しますが、最後まで村尾の棋譜どおりに進むかどうかで岩城の今後の人生が決まります。研究どおりに最後まで対局が進むことは奇跡でしょう。岩城は奇跡を信じて指し続けています。人生を懸けた対局は順調に進みます。

岩城は棋譜にない一手が思い浮かぶ。これからの人生を考えれば、アリバイができることを優先するはずです。しかし、棋士としての岩城は思い浮かんだ一手を捨てきれません。結末は、棋士としての本能が勝ちます。究極の選択の中に、棋士の性分を見た気がします。

 

イラ

詰将棋は一般の人に浸透している将棋の醍醐味のひとつです。私は詰将棋をしたことはありませんが、マニアがいるほど心を奪われるもののようです。また、解くだけでなく、自分で作ることができるのも魅力のひとつなのでしょう。自分自身を表現する手段にもなります。解く側は問題を見るだけでなく、その先に作成者の存在も感じるのでしょう。

物語は、将棋雑誌に不完全な詰将棋が投稿されてきたことから始まります。投稿してきたのは園田少年です。審査した常坂はあまりにもルールに従っていない彼の詰将棋を不思議に思ったでしょう。しかし、園田少年の知識不足と思っていた詰将棋が、彼とのやり取りを交わす内に特殊なルールに基づいていることに気付きます。詰将棋には園田少年の人生が秘められていたのです。

常坂は園田の生い立ちを知りますが、壮絶な人生と言わざるを得ません。新興宗教と言っていいかどうか分かりませんが、世間の常識では理解できません。しかし、園田少年にとっては常識であり世界の全てでした。

園田少年は一般社会に戻った時、全てを失うことになったのでしょう。何に頼って生きていけばいいのか分からない。父親に教わった独自のルールの詰将棋は、彼の生い立ちを肯定するための手段だったのかもしれません。しかし、詰将棋が認められなかったことで、彼は困惑したでしょう。それでも独自のルールを主張するのは、簡単にこれまでの時間を否定したくないからです。

常坂は、園田少年の詰将棋の中に彼の救いを求める姿を感じたのでしょう。詰将棋には作成者自身が投影されます。園田少年の思いが伝わったのかもしれません。

常坂は園田少年の過去に関わった訳ではありませんし、その惨状を記事や伝え聞きによって知ったに過ぎません。それでも詰将棋を通じて園田少年を知ります。将棋にはそれだけの力があるのでしょう。もちろん、将棋に対する強い思いが必要だと思いますが。

 

上の糸

対局を通じて、二人の棋士の心象を交互に描いていきます。

一人は亀海要です。八歳の時の交通事故で両親を失い、自らも失認症という障害を負います。失認症は対象物を認知できない症状です。シャツを見てもシャツと認識できません。日常生活や社会生活を送る上で相当な障害です。

もう一人は向島久行です。勝負にこだわり、勝つための努力を惜しみません。常に最善の一手を求め続けている棋士です。棋士というのはそういう気性の持ち主ばかりだと思いますが。どれほど穏やかに見えても、内には勝負に対する燃え盛るような情熱があるのでしょう。

対局の緊張感の中で描かれていく二人は全く違う人間です。それでも対局を通じて何かを語り合っているのかもしれません。将棋に人生を懸けていれば、対局に懸けるものも人生です。

ただ、亀海要の置かれた状況はとても特殊です。彼の環境に共感することは難しい。ただでさえ、勝負に人生を懸け続けることの厳しさや恐ろしさを理解できても共感することは難しい。

対局中は誰にも頼ることはできません。人生を背負いながら戦い続ける姿は常に孤独です。描かれている彼らの心中が、真に棋士の姿だとすれば厳し過ぎる人生だと言えるでしょう。

 

返し

プロ棋士の養成機関である奨励会を受験するためにはプロ棋士の師匠が必要です。プロになるためには制度として師弟関係が必須だということです。一方、制度として残っていなくても、世の中には師弟関係は多く存在します。

何かを教わるために誰かに師事を仰ぐのは当然のことですし、それを師弟関係と呼ぶのでしょう。 師匠にとって弟子が成長していく姿は嬉しいもののはずです。一方、当然ながら師弟は同じ事柄に取り組んでいます。勝負に関わることならば、嬉しいことばかりではありません。将棋で言えば強敵となって成長していくことになります。

師弟によるタイトル戦は、お互いにどんな気持ちなのでしょう。弟子の成長は嬉しいものなのかもしれませんが、盤を挟めば勝ち負けの世界です。勝つことだけを考えるのは当然ですし、自身の勝ちよりも弟子の成長が嬉しいと言えるはずもないと思います。

将棋のように、駒師にも戦いがあるのだと初めて知りました。タイトル戦で使われる駒に選ばれるかどうかは、駒師としての勝負です。駒師の兼春と師匠は、師弟関係でありながら戦いの相手です。兼春が勝つことは師匠として喜ばしいが、一人の駒師としては悔しいものです。

兼春は国芳棋将の語る言葉や行動が何を表しているのか知ろうとします。自分の駒が一度は選ばれ、その後、選ばれなかった真意を探ろうとします。その背後にあるものに気付くことで、師弟関係の微妙な関係性に気付いたのでしょう。

 

終わりに

それぞれの短編は全く違う内容です。将棋を中心に置きながらも、関わる人間の数だけ物語が作られるということです。将棋を使って、人間そのものを引き出そうとしています。なので、将棋の知識があまりなくても読む進めることができます。

物語はそれぞれに独立しており、あまり関係性は認められません。登場人物が重なることもありますが、物語自体に影響を及ぼすことはありません。各短編に年月が割り振られているので、もっと関係性を持たせて連作短編のようにすれば読み応えがあったかなと感じます。

最後までご覧いただきありがとうございました。