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『傲慢と善良』:辻村深月【感想】|圧倒的な”恋愛”小説

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 圧倒的な恋愛小説でありながら、タイトルは「傲慢と善良」です。どのような内容か気になってしまいます。純粋な感情として恋愛を描くのであれば、善良はあっても傲慢はありません。しかし、著者は人の心の奥底を描きます。人を形成した過去まで含めて、心の機微を描きます。心の奥底を覗けば、恋愛にも傲慢が含まれているということでしょう。背景・人生・考え方などあらゆる要素を生々しく描くことで、人間の利己的な部分を見せます。

 本作の重要な要素は婚活です。恋愛と婚活の関係性はどのようなものでしょうか。恋愛と婚活は対義語なのでしょうか。恋愛は人と人の関係の状態であり、婚活は出会いの形なので対義語とは思いません。婚活は、出会いの目的が男女とも同じだと言うことに過ぎません

 ストーリーはミステリーの様に始まります。真実の失踪。ストーカーの存在。架が真実を探す過程で各々の心が描き出されます。30代の男女だからこそ、深く人生を考えるのでしょう。 

「傲慢と善良」の内容

婚約者が忽然と姿を消した。その居場所を探すため、西澤架は、彼女の「過去」と向き合うことになる―。【引用:BOOKデータベース】

「傲慢と善良」の感想

活での出会い

 SNSの普及で婚活は手軽なものになったのでしょう。出会いの形は様々であり、正解などありません。婚活の特徴は、お互いの目的が一致しているということです。結婚を目的に出会うから、恋愛は過程に過ぎません。婚活以外の出会いならば、恋愛の先に結婚があります。結婚は結果です。婚活では、結婚は結果でなく目的になります。だからと言って、婚活から始まる恋愛が本当の恋愛ではないと言い切れません。婚活とそれ以外の出会いとの違いは、結婚を中心に考えるかどうかです。

 婚活以外ならば、出会いから始まり、恋愛(恋人同士)を経て、結婚に至ります。その過程には様々なハードルがありますが、出会いの時点では結婚はおぼろげな存在です。もちろん全く意識しない訳ではないですし、人によって温度差はあります。結婚を意識している人もいるはずですが、明確にお互いが認識していると思えません。

 婚活は文字通り結婚のための活動です。結婚のために出会いを求めます。出会うための段取りはSNSの登場でかなり変わった印象がありますが。顔合わせから始まり、会話をし、相手を判断します。全てが結婚を見据えての行動です。

 恋人として付き合える相手でも、結婚相手として見れない場合もあります。とりあえず付き合うという選択肢もあるでしょうが、年齢次第では難しいかもしれません。時間を無駄にできないし、付き合うという行為自体を目的にしていないからです。時間を無駄にできないことは、お互いに理解しているでしょう。周りが結婚し、両親にせっつかれると意識的にも無意識的にも焦らされます。タイミングを逃すと結婚できないと思わされます。現実には熟年の結婚もありますが数は少ない。

 出産の問題もあります。出産を意識している女性は少なくないでしょう。婚活の出会いは、結婚という人生の転機を目前にした状態で出会います。時間をかけてお互いのことを知る時間はあまりありません。付き合い始めることは、結婚を了承したと受け取られる可能性もあります。真剣にならざるを得ない割に、熟考する時間はあまり与えられない気がします。 

断の躊躇

 架が結婚を先伸ばしにしていることに悪気はないでしょう。ただ、踏み出せないだけです。理想の相手がいれば結婚したいが、妥協することを考えてはいません。真美も同じですが、彼女にとって架は理想的な相手です。架は真美を理想的と判断できていません。

 最初からお互いが100%で好き合うことはあまりありません。恋愛では好きな部分も嫌いな部分もあり、どちらが大きいかで続くか別れるかが決まるのでしょう。恋愛の延長にある結婚は、それらの折り合いをつけることで進む道です。好きが大きければ嫌な部分は我慢できるか、もしかしたら見えないのかもしれません。時間をかけてお互いを知り、決断していきます。躊躇も過程に入っています。結果的に別れることもあるので、結婚は様々な過程の結果です。

 婚活は結婚を前提にしています。付き合い出せば結婚へ進むものだと考えますし、考えるべきでしょう。ただ、そんなに簡単に決断できるものではありません。第一印象は重要ですが、それだけで決めることはできません。結婚したいという決定的なきっかけが欲しいのです。現実的にそんなきっかけはあまりありません。雰囲気や流れなど、何となくというのも重要な要素ですが。

 結婚を意識しすぎるからこそ決断できない。結婚したい気持ちが70%というのは勝手な考えに見えます。しかし、相手のことを70%しか知らないという意味かもしれません。残りの30%の感情が何なのかが問題です。結婚に後悔するかもしれないという可能性を考えているのなら甘い考えです。自分で結婚生活を築こうという覚悟がない。おそらく架はそういう考えなのでしょう。

 決断の躊躇の理由は、人生を変える覚悟が足りないからでしょう。自分で決める覚悟がないから、真美のストーカーをきっかけにした同棲で結婚を決めてしまいます。架の意思のように見えて、架の意思は感じられません。

 一方、真美は架のことを理想的と見ていますが、その理由は見たいところだけを見ているだけに感じます。結婚は人生にとって大きな出来事なのに、躊躇が感じられません。躊躇しすぎるのも問題ですが、全く躊躇しないのもどうでしょうか。理想だけで結婚生活を維持できるとは思えません。

 熟考のための躊躇なら必要ですし、先伸ばしのための躊躇なら不要です。 

慢と善良の同居

 登場人物の中に、明確に傲慢だったり善良だったりする人はいません。傲慢と善良は人の二面性であり同居します。多くの人が傲慢な部分に気づいていないように感じますが。

 誰でも善良でありたいと思っています。しかし、本作の善良は必ずしもいいイメージではありません。真美の善良は、親の言うことを聞き、親の言う通りに生きることです。疑問はあったとしても押さえ込みます。そこにあるのは自主性の無さと、人のせいにする無責任です。架の善良は人の気持ちに鈍感なことです。だからこそ前向きになれます。善良がもたらすものは、自分にとっても他人にとってもいいことばかりとは限りません。

 傲慢は、意識的か無意識的かは別にして他者を見下ろします。本作の傲慢は無意識的であり、自身が傲慢であると感じていないことが恐ろしい。結婚相談所の小野里は結婚がうまくいかない人を次のように言います。

皆さん、謙虚だし、自己評価が低い一方で、自己愛はとても強い

 相手を結婚相手にしていいかどうかを考える時に、自分に相応しいかどうかを考えます。誰でも考えることですが、自分の位置より上か下かを見定める傲慢な行為です。誰でも自分の価値を高く見積もります。自己愛の強さの表れです。

 傲慢と善良はどちらかだけが存在するのではなく、裏表なのでしょう。誰の心にも潜んでいて、その事に気付いていません。だからこそ人との関係を築くのは難しい。 

終わりに

 結婚は制度であり、恋愛は感情です。相対するものではないし、必ずしも延長線上になければならないものではありません。恋愛の行き着く先が全て結婚とは限りません。二人で暮らすことを同棲と言い、入籍すると結婚です。感情の現実的な差異はありません。結婚は社会的な地位や財産、子供と言った現実的な問題を解決するための手段です。恋愛と結婚は全く違う観点で考える必要があるように感じます。