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『滅びの前のシャングリラ』:凪良 ゆう【感想】|もう少し生きてみてもよかった。

ご覧いただきありがとうございます。今回は、凪良 ゆうさんの「滅びの前のシャングリラ」の読書感想です。

2021年本屋大賞第7位。本屋大賞を受賞した「流浪の月」に続き、本作も本屋大賞にノミネートされました。

1か月後に小惑星が地球に衝突し、人類が滅亡することが公表された世界が舞台です。全世界の人々の命のタイムリミットが1か月になった。その世界で人々はどのように生きていくのか。

地球滅亡を舞台にした小説は多い。映画でも数多く描かれる世界です。ありふれているが、それだけ魅力的な設定なのでしょう。

「滅びの前のシャングリラ」のあらすじ

「一ヶ月後、小惑星が衝突し、地球は滅びる」学校でいじめを受ける友樹、人を殺したヤクザの信士、恋人から逃げ出した静香。そしてー荒廃していく世界の中で、四人は生きる意味を、いまわのきわまでに見つけられるのか。【引用:「BOOK」データベース】

 

「滅びの前のシャングリラ」の感想

亡を知った世界

1か月後に人類が滅びると言われて、すぐに信じる人がどれくらいいるでしょうか。首相が記者会見で発表したとしても、なかなか信じることはできないでしょう。小惑星は見えません。ネットに溢れる情報はなおさら信頼できません。

しかし、否定する材料がないのも事実です。信じるかどうかは、周りが信じるかどうかによります。身近な人や同じ日本人に加えて世界中の人々が信じているのであれば、真実に違いないと思うことができます。

人類の終末が1か月後だと理解した時に、人はどういった行動を取るのか。暴動、強奪、殺人、自殺。法は意味を無くし、社会は崩れ去ります。本作で描かれる世界も、秩序が崩壊した世界です。1か月の猶予しかないと分かれば、こんな世界になるのでしょう。

一方、これらの状況は独創性がないと感じてしまいます。法も秩序も無くなった世界でなければ、物語が成り立たないのは分かります。独創性が無いと感じるのは、それだけ現実的だということかもしれませんが。

理解しがたい事象も多い。1か月後というのはあまりに短い。どういう行動を取るかは人それぞれですが、日常を続けていくことを考える人がどれだけいるでしょうか。

滅亡が分かった後でも電車が動いていたり、TVが放送されたりしています。ネットも繋がります。ガソリンスタンドも営業しています。果たして、そんなことが有り得るでしょうか。電車が動かなければ、物語は進みません。ガソリンスタンドも同じです。都合のいい部分だけを都合良く使っているように感じます。

リアリティを求めているように見えて、そうでないことに気付いてしまいます。物語の土台に違和感がつきまといます。

 

族の絆

登場人物たちは、日常に生きづらさを感じています。理由は様々です。いじめであったり、養父母との関係であったり、過去の決断であったり。いじめは論外ですが、人は誰でも何らかの問題を抱えています。人との関係性であったり、過去の決断であったり。

人生に「もし」は存在しませんが、それでも考えてしまうのが人間です。考えるということは、現状に満足できていないことの表れでもあるでしょう。人は過去に戻れません。戻れないのであれば現在と未来を見るしかありませんが、状況は簡単には変わらないし変えられません。だからこそ悩みます。

1か月後に滅亡するという状況が、現在の状況を一変させます。未来を失うことは希望を失うことと同義です。一方、生きづらさもすぐに終わることになります。しかし、すぐに終わるからこそ、全てを納得させた形で終末を迎えたくなるのも真実です。

家族の絆が重要なテーマです。藤森雪絵が血の繋がりのない家族との絆に生きづらさを感じるのは、実際にその立場にならないと分からないでしょう。家族の愛情に血の繋がりは必須ということでしょうか。

江那友樹は、父親は死んだものと教えられてきました。しかし、父親は生きています。当初は戸惑いがありますが、徐々に距離を縮めていきます。

一度も会ったことのない人が父親だと言われて納得できるでしょうか。ただでさえヤクザな風貌の男を受け入れられるでしょうか。受け入れられる理由を探すならば、血の繋がりということでしょう。

そうなれば、家族の絆は血の繋がりが重要だということになります。血の繋がりのない家族とは真の絆を築くことはできない。 血の繋がりを重視するほどに救われなくなる人が現れてきます。

 

を前にして

命の長さと人生の充実は直接的には関係ないでしょう。長く生きたからといって、満足できる人生を送れるとは限りません。短くても満足できる人生を得ることもあります。

生きる意味を考えながら日常を過ごしている人などほとんどいないでしょう。なぜなら、人は明日死ぬと考えていません。人生は何十年も続くと思っています。そして、その長さに応じた生き方をしています。死を意識しないと生きていることを意識できるはずはありません。誰にでも必ず死が訪れるとしても、漠然としたイメージを抱くに過ぎないでしょう。

しかし、命のタイムリミットが明確に示されれば、生きることと死ぬことを明確に意識せざるを得ません。1か月というのは短いですが、死を意識ながら生きるには長いかもしれません。だからこそ、多くの人が冷静ではいられなくなり秩序が失われます。

迫りくる死から目を背けることもひとつの選択肢であり、多くの人がそうするでしょう。それくらい死は恐ろしいものだと誰もが考えています。自分自身が存在しなくなってしまうのだから当然です。

突然、未来が失われれば、冷静ではいられません。自暴自棄になってもおかしくないし、秩序を乱す立場になってもおかしくありません。しかし、江那友樹たちは、ある程度冷静に過ごしています。過去を振り返ったり、今やるべきことを考えたりしています。もっと不安定になってもおかしくないのではという違和感は残ります。

タイムリミットが迫るほどに彼らは穏やかになり、やるべきことを見極めていきます。ここまで冷静(少なくともそう見える)に1か月を過ごすことができるでしょうか。現実感を感じません。最終話の結末ではさらに違和感が増していきます。

 

終わりに

家族の絆をテーマにすると、どうしても血の繋がりを描く必要が出てきます。友樹と父が親子としての関係性を徐々に築いていくことも血の繋がりと無関係ではないでしょう。生まれてから高校生になるまで一度もあったことのない男(しかも一般人には見えない)を父親として受け入れるには、血の繋がりがあるからだと推測せざるを得ません。

しかし、血の繋がりだけが人との関係性を深める要素ではありません。そのことを示すために最終話を書いたのかもしれません。最終話では、昔の仲間との強い絆が描かれます。人との絆の形は一つではないということです。そのためだけに書かれた物語の気もしますが。

全体的には、感動的な結末を迎えるために用意されたエピソードばかりのような気がします。全てを繋げるための都合の良い展開も多々見られます。物語に引き込まれるか、冷めてしまうかどちらかでしょう。

同じような設定の小説で思い出されるのは、伊坂幸太郎さんの「終末のフール」です。私としては「終末のフール」の方が読み応えもあるし、ユーモアもあるし、感動的だと思います。

最後までご覧いただきありがとうございました。