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『百貨の魔法』:村山早紀【感想】|心が柔らかくなっていく

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 第15回本屋大賞で9位になった作品。「桜風堂ものがたり」に登場した星野百貨店と、そこで働く従業員が織りなす美しい物語です。幕間を含めれば6章から構成されていて、それぞれの章で視点が変わる群像劇です。

 百貨店に現れるという魔法を使う子猫をストーリーの軸に置いています。ファンタジー要素を含みながらも現実的な物語です。魔法で全てを解決する訳ではなく、信じるもののために一生懸命になることで奇跡が起こる。百貨店に思いを寄せる従業員たちの姿は、「桜風堂ものがたり」の書店員たちの姿に重なるものがあります。何かのために心を尽くすということがいかに難しく、また美しいものであるのかが分かります。 

 「百貨の魔法」の内容 

時代の波に抗しきれず、「閉店が近いのでは?」と噂が飛び交う星野百貨店。エレベーターガール、新人コンシェルジュ、宝飾品売り場のフロアマネージャー、テナントのスタッフ、創業者の一族らが、それぞれの立場で街の人びとに愛されてきたデパートを守ろうと、今日も売り場に立ちつづける―。【引用:「BOOK」データベース】 

「百貨の魔法」の感想

貨店の斜陽 

 百貨店は斜陽産業として描かれています。私が子供の頃、近隣には全国展開している百貨店が二店舗と地元の百貨店が一店舗ありました。現在残っているのは、全国展開している百貨店が一店舗だけです。地元の百貨店は、20年以上前に姿を消しています。屋上に遊園地とペットショップ、最上階にレストランがあったと記憶しています。日曜日に家族で出掛け、屋上の遊園地で遊び、レストランで食事するのが贅沢でした。百貨店の足元は数百メートルに及ぶアーケード商店街です。本作を読んでいると、記憶が甦ってきます。当時は、休日になるとまっすぐ歩けないほどの人通りでした。現在は、百貨店もなくなり、商店街もシャッターが目立ちます。百貨店に訪れていた人たちはどこにいってしまったのでしょうか。20年以上前に経営が立ち行かなくなったので、インターネットの影響は少なかったはずです。

 百貨店の特色は高級感だと思います。実際に値段の高い品物が多いし、接客も訓練されています。ただ、日常的に利用するかと云われると疑問です。生活に余裕があれば、百貨店の存在価値は高い。百貨店の経営を揺るがしたのは不景気でしょう。より安い品物を求める消費者が、百貨店の利用を控えるようになるのは当然です。日常生活に必須な品物ばかりを扱っているわけではないですし値段も高い。足が遠退くのは当然です。しかし、百貨店の存在価値からすれば簡単に安売り出来ない。今まで築き上げてきたブランド価値が崩れてしまいます。相当に苦悩したはずです。結局は、資本力のない百貨店は淘汰されました。

 時代に適応することで伝統を捨てるは出来ない。かといって時代に適応しない訳にもいかない。星野百貨店が伝統と時代の狭間で先を見通せないのならば、バブル崩壊時の百貨店と同じ運命を辿るのでしょう。経営者や従業員が百貨店に対し相当の思い入れがあるのは当然ですし、地元で育った人ならばなおさらです。しかし、精神論だけではどうにもならない現実があります。今はネットも発達しています。20数年前のバブル崩壊時より環境は厳しい。 

貨店を守ること

  経営危機にある百貨店を今の姿のままで維持したい。登場する人々は同じ思いを抱いています。百貨店で働く様々な立場の人たちが同じ思いを抱くからこそ、星野百貨店には未来があるのではないかと感じます。経営的な視点からは描かれていません。経営状態が思わしくないことは描かれていますが、ビジネスとして百貨店を描いている訳ではありません。あくまでも百貨店に思いを寄せる人々の心を描いています。ビジネスとして現実的な物語ではありませんが、人の心という目に見えないものに焦点を当てることで違う側面を見ることが出来ます。

 経営戦略は語られません。百貨店を維持するためには利益を確保する必要があります。そのためには多くの課題を克服しなければなりません。だからと言って利益を確保するために、今まで歩んできた歴史を捨て去ることは出来ない。伝統を維持しつつ生き残っていくことは、最も難しいことです。だからこそ、消え去る百貨店が出てくるのでしょう。

 本作は、百貨店の存続を望む人々の心の有り様を描いています。彼女たちの心の温度が伝わってくることで、読んでいて暖かく優しい気持ちになります。現実的な解決方法は出てきません。だからと言って、星野百貨店に未来がないとも思えない。未来は作り出すものであるならば、彼女たちの思いがあれば百貨店は存続するのかもしれません。少なくとも思いがなければ、未来は作り出せないでしょう。 

蹟と魔法 

 不思議な魔法を使うと言われている、願いを叶えてくれる白い猫。街と百貨店に伝わる言い伝えのような話です。子供たちは別にして、大人たちは真剣に信じている訳ではありません。風早の街に生まれ育った従業員たちも、大人になるにつれ信じなくなる。サンタクロースのようなものかもしれません。大人になれば、現実と空想の違いを理解します。ただ、信じなくなることと信じたいことは別だと思います。星野百貨店に不思議な猫がいることを信じたいのは、力の及ばない事柄に何らかの解決を求めるからです。そもそも人の力で起こし得ないことだから奇跡と呼ぶのだから。

 星野百貨店を立て直すには奇跡が必要なほど難しいことだということです。また、たった一人で百貨店を背負うことなど出来ません。百貨店は多くの人たちで支えられています。経営者や従業員は当然ですが、お客様がいなければ存在し得ない。一人の力で何ともならないから、奇跡が起きないかと願うのでしょう。

 ただ、彼女たちは努力をすることを惜しみません。常に考え努力するからこそ、その先にある奇跡を信じたい。彼女たちのこれまでの人生において、星野百貨店の存在はとても大きい。人生の一部と言ってもいいくらいです。人生の一部が切り取られてしまうかもしれない寂しさが、何かを信じることで癒される。星野百貨店が有り続けてくれることを願う心が、猫の言い伝えを受け継いでいきます。 

しすぎる人々

 登場人物たちは、皆、心が美しい。百貨店は商品を売る場に過ぎないが、従業員次第で素晴らしい場所になる。真に心からのもてなしでお客様を接客すれば、その心は必ず通じてくれる。そう信じて疑わないように見えます。実際にそうなのかもしれません。おざなりな接客は見透かされてしまいますし、次の来店は見込めません。しかし、現実はそんなに簡単ではありません。彼女たちは人を信じ過ぎているのではないでしょうか。自分の心に闇がないからといって、人の心も澄んでいるとは限りません。

  特に、佐藤健吾と芹沢結子には違和感があります。佐藤健吾は母親に捨てられました。星野百貨店の屋上遊園地に置き去りにされています。それなのに母親に対し、負の感情を抱いていません。小学校二年生の時の出来事ならば、冷静に状況を判断できないはずです。そもそも母親に置き去りにされることにやむを得ない理由などありません。大きくなってから自分自身に折り合いを付けたとしても、母親に対し愛情を持ち続け許すことなどできるのでしょうか。

 芹沢結子も同じです。父親の浮気で生家を追い出され、母娘二人きりの生活になってしまいます。果たして、そんな父親を許せるでしょうか。コンシェルジュとして星野百貨店に戻り、百貨店を立て直す。祖父のためならば理解出来ないこともない。しかし、父親との心の通じあいのような場面が描かれると違和感があります。何故、自分達を捨てたのか。その思いを持たなかったのでしょうか。

 美しい心は、時に現実感を失わせます。リアリティを求めた物語ではありませんが、人の心を主題に描くのであれば、もう少し人の心の闇の部分も表現してもよかった。 

終わりに

 先述したように美しすぎる気もしますが、表現も言葉も心に響くものが多い。物語に大きな起伏はないので読み心地はいいですが、単調と言えば単調です。途中、納得した文章があります。

接客業のひとびとは、もちろんすべてのお客様に対して、安定した、誠実な応対をすることを求められている。それが「プロの対応」でもある。けれど、彼らも人の心を持っている。もし最高のサービスが見たいなら、客の側もプロの客になればよい。それは、カジュアルな店から、一流の店やホテルまで、すべてにいえることだ。

  店と客の立場は、人同士という観点からは同等です。しかし、客の立場の方が上で、ともすれば店員を召し使いや下僕のように扱っている客もいます。客と店員に立場の上下はないはずなのに、いつの頃からか客の言うことは神の声でもあるかのような振る舞いが目立ちます。逆の立場になれば気づくようなものですが。読み応えがあるというよりは、心が柔らかくなるような小説でした。