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『一人称単数』:村上 春樹【感想】|世界は流れていく 物語が光景をとどめる

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 こんにちは。本日は、村上春樹氏の「一人称単数」の感想です。

 

 八編の短編集です。表題作「一人称単数」のみ書き下ろしであり、他は文學界で発表された作品です。各短編に関連性はなく、完全に独立しています。なので、それぞれの短編で好みは全く変わるだろう。本作全体というよりは、各短編ごとで評価するしかなさそうです。そうは言っても、全てが村上春樹らしい内容と表現だとは思いますが。

 最終話「一人称単数」だけが書き下ろしなので、他の短編を繋げる総括的な内容だと思っているとそうでもありません。一人称単数も独立した短編です。気付かないだけで、著者が意図するものが一人称単数にはあるのかもしれませんが。

 非現実が入り交じる短編もあれば、ヤクルトスワローズや音楽と言った著者の私小説と思わせるものもあります。ジャズやクラシックなどの音楽は著者の嗜好が前面に押し出されているのだろう。その辺りに共感できるかどうかも重要かもしれない。 

「一人称単数」の内容

「一人称単数」とは世界のひとかけらを切り取る「単眼」のことだ。しかしその切り口が増えていけばいくほど、「単眼」はきりなく絡み合った「複眼」となる。そしてそこでは、私はもう私でなくなり、僕はもう僕でなくなっていく。そして、そう、あなたはもうあなたでなくなっていく。そこで何が起こり、何が起こらなかったのか?  

 

「一人称単数」の感想

のまくらに

 「ここで語ろうとしているのは、一人の女性のことだ。」から始まる。

 主人公は、彼女の顔も名前も覚えていない。しかし、当時、彼女が何を語ろうとしていたのかが気になります。彼女の年齢や同じバイト先だったことが説明されますが、彼女の特質は短歌を作っていることにあるのだろう。

 彼女は20代半ばで、主人公は20歳にもなっていません。彼女が短歌を作ることは不思議ではありません。数少ないかもしれませんが、若い人でも短歌を作ることはあるだろう。

 一方、主人公が彼女の短歌を読んでみたいと思ったのは、自分の腕の中で抱かれていた女性の短歌を見てみたいという気持ちからです。短歌自体が目的ではなく、「彼女が作った短歌を読みたい」ということだろう。彼女のことをほとんど知らない主人公は、短歌を通じて彼女を知ろうとしたのかもしれません。

 作中には、彼女が作った短歌が次々を出てきます。その短歌が彼女の何を表しているのは分からない。短歌に馴染みのない人にとって、短歌から読み取れるものは少ない。  主人公の手元に残った彼女の歌集は、彼女の存在を証明するものだろうか。彼女の顔や名前は覚えていなくても、歌集があることで彼女の存在を感じることができるのだろうか。ただ、短歌自体というよりは、歌集に彼女の存在が感じられます。短歌を理解できないからかもしれませんが。 

 

リーム

 「十八歳のときに経験した奇妙な出来事について、ぼくはある年下の友人に語っている。」から始まる。

 登場する奇妙なことはいくつもあります。まずは、何年も会っていない女の子からリサイタルの招待状が届くこと。同じピアノ教室に通っていただけで、取り立てて仲も良くありません。むしろ嫌われていたかもしれない。なのに突然招待状が届く。

 奇妙な状況から昔の話が始まっていきますが、リサイタルで彼女の会えば解消する程度の謎です。主人公は疑問に思いながらもリサイタルに足を運びます。しかし、リサイタルは開催されておらず、さらに謎が深まります。単なる悪戯にしては手が込み過ぎています。結局、招待状の意図は分かりません。

 もう一つの奇妙な出来事は、リサイタル(行われなかったが)の帰り道に立ち寄った公園で出会った老人です。彼の正体は分かりませんが、公園で休憩しているだけの老人には感じません。人間として存在しているのどうかさえ怪しい雰囲気を感じさせます。

 理由は、彼が投げた「中心がいくつもあって、しかも外周を持たない円を思い浮かべられるか?」という問いかけのためです。同じ公園にいるだけの他人に対して投げ掛ける言葉ではないだろう。また、質問の内容も意味も不明です。この問いに回答することで何が得られるのだろうか。

 そもそも解なんてありそうもない。哲学的な問いなのか、学問的には存在する話なのか。招待状で混乱している主人公は、さらに混乱しただろう。謎が増えていくばかりです。どれだけ考えても答えなんかないのかもしれません。

 主人公も答えを探す必要はないと思い至ったのだろう。人生には答えの無いことは多々あります。意味のないことも多々あります。しかし、人生の真実はどこかにあるのかもしれません。考え続けること自体に意味があるのだろう。 

 

ャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ

 「バードが戻ってきた。」から始まる。

 バードはチャーリー・パーカーのことです。主人公が創作したチャーリー・パーカーの記事の一節です。その記事がチャーリー・パーカーのことを見事に表現しているのかどうかは全く分かりません。ジャズに造詣が深い人でないと、なかなか伝わってこないだろう。ただ、冒頭に書かれた創作の記事が、その後に続く物語の前提になります。

 主人公が書いた記事は全くの創作ですが、彼の希望も含まれていたのだろう。だからこそ、偽物の記事を信じる者が出てくるくらい信憑性と真実性が感じられたのかもしれません。悪戯にしては少し手が込み過ぎていますが。

 後半に入ると、物語は不思議な様相を呈してきます。主人公が書いた偽の記事に登場するアルバムがニューヨークの中古レコード店に存在していた。彼の夢の中の出来事ではなさそうです。一体、ここに存在するレコードは何なのだろうか。

 主人公の記事のように、誰かが悪戯でそれらしく見せたレコードかもしれません。それにしては、主人公の記事のとおりの内容です。そこには何かの繋がりがあるのだろうか。

 その後、チャーリー・パーカーは主人公の夢に登場します。夢の中でチャーリー・パーカーが主人公に語った内容は何を伝えようとしているのか。チャーリー・パーカーであることが重要なのであれば、なおさらジャズに造詣が深く、またチャーリー・パーカーに思い入れがないと理解できないのかもしれない。 

 

ィズ・ザ・ビートルズ With the Beatle

 音楽に関連する物語が続きます。チャーリー・パーカーよりはビートルズの方がイメージしやすい。ビートルズに関連して描かれる当時の状況や他のアーティストの記載はなかなか細かい。音楽に対する受け取り方は人それぞれなので共感できない人もいるだろう。

 主人公は高校生の時、「With the Beatle」を抱えた女の子とすれ違います。とても美しい(主人公の主観的に)女の子だったが、彼の記憶に残り続けた理由は「With the Beatle」のアルバムを抱えたいたからです。当時は常にどこかでビートルズが流れていたが、主人公はそれほどビートルズに興味がなかったようです。

 何故、ジャケットが不可欠だったのだろうか。それは「何か」という言葉で表現されています。世の中には説明できないことがいくつもあります。その後、女の子は主人公の人生に登場しません。

 物語は、主人公が付き合った「サヨコ」と彼女の兄を描きます。高校生のサヨコと主人公の付き合いは取り立てて特別なものはありません。好き合って(温度差はあるかもしれないが)付き合い、肉体関係もあり、それなりに楽しく日々を過ごしていく。

 サヨコとの約束の行き違いで、予期もせず彼女の兄と話すことになります。サヨコの兄との会話が何を表現しようとしているのか。彼女の兄が話す内容が何を示唆しているのか。主人公にどんな影響を与えたのか。なかなか読み取れません。一方的に話す兄の目的もよく分かりません。

 主人公は、十八年後、彼女の兄と東京で再会します。彼女の兄は普通の生活を営んでいた。年月は人を変えるのだろう。兄の変化よりも重要なのは、サヨコの自殺を知ったことです。主人公の記憶しているサヨコは、高校生と卒業後しばらくの間だけの彼女です。サヨコは結婚し子供もいることを兄から知らされたとしても、主人公の中では昔のままです。

 そして、「With the Beatle」を抱えた女の子も昔のままです。主人公は冒頭で、女の子が年を取るのを悲しく感じると言っています。自分の夢の効力が失われているのを感じさせるからです。身勝手な主張ですが、この主張のとおりなら主人公にとって二人の女の子は年齢を重ねません。だからと言って、主人公の夢の効力が失われていないのかどうかは分からない。 

 

クルト・スワローズ詩集

  村上春樹の私小説だろうか。著者がどのくらい野球が好きかとか、ヤクルト・スワローズへの思い入れとか、野球観戦の描写とかはどの程度現実を反映しているのかはよく分かりません。著者の小説は読みますが、彼の個人的趣味や嗜好を詳しく知っている訳ではありません。

 勝負の勝ち負けより球場で野球を見ることの方が重要なのだろう。少なくとも、私にはそのように伝わってきます。確かに、テレビで見る野球と球場で観戦する野球は同じ試合でありながら全く別のものかもしれません。球場には独特の空気があります。と言っても、私は過去に数回行っただけですが。

 タイトルに「詩集」とあるとおり、野球を題材にした詩がいくつか登場します。普段、詩に接する機会がないので、何をもって詩と言うのかよく分かりません。読んだ限りでは、見た景色を説明しているのと、それを見て著者がどのように感じたか書いているだけに見えます。どのように感じたかを表現するのが詩なのかもしれませんが。

 正直なところ、私はあまり野球に興味がありません。思い入れのある球団もない。加えて、詩に対しても造詣が深い訳ではありません。読んでいて面白いが、共感するところはあまりない。 

 

肉祭(Carnaval)

 「彼女は、これまで僕が知り合った中でもっとも醜い女性だった」から始まる。

 小説とは言え、人の容姿を「醜い」と言い切ることに驚きを感じます。人によっては嫌悪感を抱く。直截的な表現をしたのは、物語上必要だったということだろう。著者も冒頭でそのように語っています。

 醜い女性をあえて「F*」と書いているところを見ると、完全なフィクションではないのだろうか。彼女との経緯を読めば、著者に近い人たちには誰のことか分かるのかもしれません。彼女の正体が現実ならばなおさら実名は出せないだろう。どこまで現実かどうかばかりを気にしても仕方ありませんが。

 外見の醜さをことさら強調していますが、それでも彼女の魅力が伝わってきます。魅力というか相性だろうか。クラシックの嗜好の一致を軸に、著者と「F*」の相性の良さを描いています。

 感性が同じ人と出会うことはなかなか少ない。相手に合わせることを意識しなくても、同じ感想に行き着くのは気持ち良いだろう。「F*」の外見上の醜さは、内面の相性には全く関係ありません。

 本作は人の内面と外見に関連性がないことを描いているのだと思っていると、彼女の正体が詐欺師だと明かされます。彼女の内面が魅力的だったのは事実だろうが、人の素顔は一つだけではないということです。著者が見ていたのは、彼女の一部分だけだったのだろう。

 外見は一目見れば分かります。しかし、内面は見えません。だからこそ、自分との関係性の中で判断していくことになります。自分との相性が良ければ、その人の魅力として映ってきます。一方、詐欺の被害者にとって、彼女は魅力的どころか憎むべき相手です。外見の醜さも際立って見えてくるだろう。

 彼女との関係は突然打ち切られることになります。彼女のその後も描かれません。しかし、著者はどこかに彼女の姿を探しています。再会することはないと分かっているのかもしれませんが。

 さらに過去にさかのぼり、大学生の時のダブルデートの話になります。友人が連れてきた女の子が「ブス」だった話です。当時は、彼女を「ブス」と呼ぶことに違和感のようなものを抱いています。彼女は単に容姿の優れない女の子に過ぎない。

 内面をほとんど知らない女の子だからこそ、外見を決めつけることに躊躇したのだろうか。内面を知れば、外見の見え方も変わってくると感じたのかもしれない。だからこそもう一度会おうと考えのだろうか。

 「醜い」と断言した女性と、「ブス」を決めつけられなかった女の子の違いはどこにあるのか。著者が経た年月によって意識が変わっただけなのだろうか。 

 

川猿の告白

 非現実と現実が入り混じった奇譚です。読み始めるとどんどん引き込まれていきます。猿が言葉を話し、普通に人間と会話します。そのことにあまり違和感を感じないのが不思議です。「羊をめぐる冒険」の羊も同じように不思議な存在でしたが、当然のように存在を受け入れていました。

 猿が言葉を話すだけでも異世界(ファンタジー)ですが、その猿が人間に恋をし、名前を盗むという何とも不可思議極まりない話です。

 主人公が鄙びた温泉旅館に投宿するところから始まります。始まりは間違いなく現実世界です。しかし、旅館に入ったところから徐々に現実世界から異世界に足を踏み入れていく印象を受けます。

 突然の宿泊にしても、旅館にしてはあまりに扱いが雑です。唯一褒められるべきは温泉です。そこに言葉を話す猿が現れます。この時点で主人公は異世界にいることになる。どこかに異世界への入り口があったのだろう。もしかしたら旅館自体が異世界なのかもしれません。その旅館に泊まることになったのは偶然か必然か。

 猿が話すだけでも驚くべき事柄ですが、それを受け入れ、猿と話をする主人公も主人公です。受け入れざるを得ない状況だったかもしれませんが。猿が話す内容が、輪をかけて不思議です。そもそも旅館で働いている時点で、何故、この旅館に受け入れられているのか疑問が生じて仕方ありません。その上、猿が人間の女性に性欲を抱き、叶えられない状況に悶々としています。

 しかし、彼が人間に性欲を感じるのも不思議と納得してしまいます。猿は欲求を満たす代償として、女性の名前を盗むという行為に及んでいます。盗むという行為は褒められたものではありませんが、猿の気持ちも理解できる。何故、名前なのかは理解できませんが。

 翌日、旅館を出発した段階で、主人公は現実世界へと帰還したのだろう。その後は依然と変わらない生活を送ります。しかし、名前を思い出せなくなる女性編集者と話をした時に、猿の話を思い出します。女性編集者の名前の問題は、単なる偶然かもしれない。猿とは全く関係ないかもしれないし、そもそも猿の話が現実だったかどうかも分かりません。しかし、猿の話が現実かもしれないと思わせるには十分です。

 猿が語る内容は特に生産的ではなかった。彼の人生と悩みが吐露されていくに過ぎません。猿の話に何か意味があるのだろうか。何かのメタファーなのだろうか。掴み切れなかった。しかし、難しく考えなくても「品川猿の告白」は読み物としては面白い。

 

人称単数

 表題作で書き下ろし作品です。これまでの短編はそれぞれ独立しており、関係性はありません。書き下ろし作品を加えることで、何らかの共通性をもたらすのかもしれないと期待してしまいます。しかし、本作も独立した物語だったように思う。

 主人公はひとりでバーに出かけ、そこで女性と出会います。村上作品の多くは、その女性と性的関係を結ぶ展開が多いように思います。しかし、主人公は、その女性に罵倒され続けます。身に覚えのない事柄でひたすら存在を否定されます。初対面の人間に対して、ここまで徹底的に罵ることなど普通はありません。主人公も身に覚えがないので戸惑うしかない。

 彼女と主人公の関係は明確に示されません。過去に接触したことを示唆していますが見た程度です。しかし、彼女の友達が主人公に酷いことをされた。もちろん、主人公に覚えはない訳ですが。

 彼女の言い分は、主人公を貶めるだけ貶めていきます。何故、そこまで言う必要があるのか。また、バーであったのは偶然だろうか。彼女は何をしようとしているのか。主人公にもその理由が分からない。だからこそ、我慢できずにバーを後にします。

 それで物語が終わってしまえば、主人公が出くわした理不尽な出来事で済みます。しかし、バーを出た後に一気に状況が展開します。街がこの世のものと思えないほどおぞましい世界になっている。

 彼の過去の行いがもたらした世界だろうか。だとすれば、主人公は、女性の言ったように過去にとんでもない過ちを犯していることになります。誰もが気付かないところで取り返しのつかない傷を他人に与えているのかもしれません。 

 

終わりに

 短編ごとで全く色合いが違うので総括するのは難しい。村上氏の私小説のような短編もあるし、奇譚もあります。全ての短編が面白いかと言えばそうでもありません。また、何かを暗喩しているのかどうかもなかなか分からない。

 読者ごとで気に入る短編は違うだろう。全ての短編に共感や惹きつけられる読者はいないかもしれません。それほど各短編の色合いは違います。読後に何かを感じ取れたかを言うと、私はそうではなかった。