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『一瞬の風になれ』:佐藤多佳子【感想】|仲間を信じて、バトンをつなぐ

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 第4回本屋大賞受賞作。中学校までサッカーをしていた「神谷新二」が主人公。彼の一人称で描かれる春野台高校陸上部が舞台の青春物語です。

 序章は、新二と彼の友人「一ノ瀬連」の生い立ちと、彼らの関係性の紹介のための章です。物語は、高校一年生から三年生までの3年間です。彼が新入部員として陸上部に入ったところから、三年生までの陸上部での活動を描いています。高校生の部活動の物語なので、友情・挫折・恋心など思春期特有の心の揺れ動きや、真正面から物事に向き合うひたむきさなどが伝わってきます。陸上部の活動が主軸ですし、練習や試合の場面が多い。しかし、スポ根小説とは趣が異なります。必死に練習に取り組む姿が表現されていますが、それほど悲壮感が漂いません。練習の苦しさよりも、彼らの心の迷いの方が伝わってきます。

 新二の一人称で語られるので、彼の心象が直接的に描かれています。高校の3年間で成長していく新二が目に見えるように伝わってきます。 

「一瞬の風になれ」の内容 

春野台高校陸上部、一年、神谷新二。スポーツ・テストで感じたあの疾走感…。ただ、走りたい。天才的なスプリンター、幼なじみの連と入ったこの部活。すげえ走りを俺にもいつか。デビュー戦はもうすぐだ。「おまえらが競うようになったら、ウチはすげえチームになるよ」。【引用:「BOOK」データベース】 

「一瞬の風になれ」の感想

能と努力

 主人公の新二は、どんな練習にも真面目に取り組み努力する人間です。一方、友人の一ノ瀬連は、それほど努力しなくても(どちらかと言うと練習をサボり気味ですが)結果を残せる人間です。新二と連には、陸上選手としての才能に違いがあるのだろうか。

  • そもそも才能とは一体何なのか。
  • 才能の有無は、一体どこで判断するのだろうか。

 同じくらい努力しているのに結果に圧倒的な差がつくことが、才能の違いなのだろうか。どんな選手も人間ですので、全く同じではありません。精神的にも肉体的にも差があるのは当然です。努力の結果が違うのは才能ではなく、個々の違いに過ぎないのかもしれません。同じ結果に至るまでにどれほどの努力を必要とするかは、才能の違いではない気がします。 

 では、才能があるというのはどういうことなのか。限界まで努力しても辿り着けない境地へ辿り着ける人間が、才能があるということだと思います。一般的に天才と言われる人々は、こういう人々のことでしょう。努力の果てにあるラインを踏み越えることが出来る人間が天才と言える。だからと言って、才能のない人間が努力することに意味がないとは思いません。自分に才能があるのかないのか。それは努力してみないと分かりません。 

限界まで努力した時に、自分に才能があるのかどうかが分かるのでしょう。

 新二は、ふたりの人間に才能があると認めています。
 まずは、新二の兄「神谷健一」です。サッカーの天才プレイヤーとして世間に注目され、プロ選手へと歩んでいきます。新二は子供の頃からサッカーを続けていながらも、健一に追いつけない。新二は相当の努力を行いながらも、健一のようになれないことを感じています。ただ、健一は努力もせずに才能を発揮している訳ではありません。努力の末に結果を出しています。新二も限界まで努力した結果として健一に追いつけないのであれば、才能がなかったということになる。健一に比べればということですが。

 次に、親友の一ノ瀬連です。連は短距離選手として、ずば抜けたセンスと結果を見せつけてきます。それほど努力しなくても、新二より結果を出す。走る姿を見ていても、他の誰とも違う。ただ、連の場合、才能と言うよりセンスがいいと言う印象です。高校生の誰もが出せない記録を持っている訳ではありません。努力の少なさの割に、いい結果が出ているに過ぎない。連より速い他校の生徒がいる訳ですから。努力の限界の先にあるものが才能であるならば、連はまだ才能を見せていません。新二も陸上に関しては同じことです。努力を積み重ねる途上なのですから。
 努力を続けることの大切さを描いているのだと思います。 

間がいること

 高校の陸上部が舞台なので、部員という仲間がいます。同級生だけでなく、上級生や下級生もいます。年齢に違いはあっても、同じ目標に向かって練習する仲間です。

  • 自分の種目でタイムを縮めること。
  • 試合に勝つこと。

 種目は違い練習の中身が違っても、同じ目標であることが仲間としての意識を高めるのでしょう。陸上は基本的には個人競技が主です。厳しい練習は、自分との戦いとも言えます。仲間は、練習を乗り切るためには欠かせない存在です。個人種目だから、特に言える気がします。団体種目なら、仲間同士でフォローし合うことが出来ます。しかし、個人競技では自らの力で結果を出さなければなりません。自分の力を信じるためには、信じるに足る練習を行わなければならない。精神的にも肉体的にも相当苦しいはず。そこに同じ目標を持つ仲間がいることは、限りなく頼もしいことです。自分が努力している姿が誰かの力になり、誰かの努力している姿が自分の力になる。だからこそ、部員の結果に一喜一憂できるのでしょう。誰かの努力を自分の努力のように受け止めることができる。 

人競技だけでない

 先ほど陸上は個人種目が主だと書きました。本作においても、新二と連は短距離選手です。試合では100mと200mを走ります。ただ物語において重要なのは、それだけではありません。4継(4×100mリレー)とマイル(4×400mリレー)も走ります。団体競技と言う表現が相応しいかどうかは別にして、仲間と一緒に結果を出す。全員の力が合わさることが実感できる競技です。誰かが失敗すれば終わってしまうし、逆に全員が全力を出し切れば素晴らしい結果が出る。その喜びを共有できる。

 リレーがこれほど難しく、また一体感に溢れているものとは思っていませんでした。部員の思いを乗せて走るのは当然ですが、他の3人の思いはもっと直接的に両肩に乗ってきます。その思いを乗せて走り結果を出した時の喜びは、個人種目以上のものがあるのかも。

 本作は陸上部を舞台にしていながら、ほとんどが短距離を描いています。短距離走を躍動感に満ちた表現で描き、選手の心を緻密に伝えてきます。新二の視点なので、心象が描かれるのは彼だけです。他の人物は、彼が見ている姿を描いているに過ぎません。ただ、新二の心象が描かれることで、同じ陸上部の選手の気持ちも伝わってきます。特にリレーでは顕著に感じます。団体競技の醍醐味のようなものが伝わってきます。 

果が全てじゃないけれど

 部活動は結果が全てじゃない。そこに至る過程が大事なんだとよく聞きます。確かに部活動は教育の一環です。結果を求めるだけのプロとは違うでしょう。それに結果が全てと割り切ってしまうと、結果を残せない部員は去っていくしかなくなってしまいます。努力と結果は必ずしも一致しません。そのことを学ぶ場でもあるかもしれません。

 しかし、努力すればするほど結果を求めたくなるのは当然です。自分の努力が成果を生み出す。それがあるからこそ人は努力を続けられます。どうしても結果を残せない人がいることも事実でしょう。陸上のように勝ち負けがハッキリしている競技なら猶更です。本作でも、なかなか結果を出せない部員もいます。本人が辛いのは当然ですが、他の部員も辛いでしょう。特に結果を残せている部員にとっては、見ていて辛いかもしれません。 

結果次第では、部内にギクシャクとした雰囲気が漂いそうです。

 ギクシャクする部分もありますが、それ以上に部員全員の心が繋がっています。結果が出ない部員に対して、努力の結果が出ることを信じる。また応援する。彼らは陸上に対し純粋です。高校生なので揺らぐこともあります。ただ揺らいだ心を、同じ部員が支え合う。4継では特に際立ちます。メンバーの入れ替えがあっても腐らずに、チームの結果だけを考える。彼らは努力を惜しまない。惜しまない努力に結果が伴ってほしい。そのために協力する。結果が全てではないけれど、結果に向かって進む意志は最も重要なのかもしれません。 

心も

 春野台高校陸上部は、部内恋愛禁止です。顧問の三輪先生が最初に宣言します。確かに、練習中にイチャイチャされると周りの迷惑だし士気にも関わるかも。でも、人の感情はなかなか制御しにくい。特に、思春期の高校生で恋愛感情を無くすのは難しいでしょう。三輪先生は部内恋愛禁止を通告しただけなので、相手が陸上部でなければ問題ない訳ですが。

 そうは言っても、毎日顔を合わせる部活動です。しかも、ともに厳しい練習をします。男女関係なく、心の繋がりが出来るのは当然です。それが男女間になれば、恋愛感情に発展してもおかしくない。おかしくないと言うよりは、絶対に有り得る。 

ただ本作では、恋愛要素はほとんどない。全くない訳ではないですが。 

 誰もが恋心を心に秘めています。自然と表に出て周りが気付くこともあります。新二の思いはずっと秘めたる思いとして描かれている訳ですが、終盤に表出します。果たして彼はどうするのか。陸上部を引退する時に進展するのだろうと思っていたら、引退まで物語は描かれていない。新二の恋愛は最後まで語られることなく終わってしまい、少し消化不良です。 

終わりに

 私は、陸上にはそれほど詳しくありません。100m、200m、リレーと競技は知っていても、それに挑むための練習や技術の習得、選手のモチベーション、駆け引きなど多くのことが新鮮です。春野台高校は神奈川県ですし、舞台となる大会などもあまり良く知りません。インターハイは知っていますが、そこに至るまでの過程も初めて知りました。高校生や中学生の時に読んでいれば、もっと違う感想を持ったかもしれません。冷静に読み進めるのでなく、自分のことに置き換えるようにのめり込んでいたでしょう。私はあまり運動は好きではないですが、陸上部に憧れたり入部を考えたかも。おそらく実際には入部しないと思いますが。

 高校時代が過去のものとなってから相当の年数が経ちますが、それでも感じ入るものがあります。是非とも小説内の登場人物たちと同世代の人たちは読んでみていただきたい。