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『帰ってきたヒトラー』:ティムール・ヴェルメシュ【感想】|おたくはアドルフ・ヒトラーに見えるよ

f:id:dokusho-suki:20200921130210j:plain  こんにちは。本日は、ティムール・ヴェルメシュ氏の「帰ってきたヒトラー」の感想です。

 

 ドイツで250万部を売り上げ、映画では240万人を動員しています。好意的な評価ばかりではないにしても、それだけ人々の関心を引いた。

 ドイツ人にとってヒトラーとはどういう存在なのか。ヨーロッパにおけるヒトラーではなく、ドイツ人から見たヒトラーを描いています。現代のドイツ人から見たヒトラーです。

 ヒトラーは負のイメージしかありません。ユダヤ人の虐殺や他国への侵略、優生学という過激な思想。ブラックコメディとして描いていい対象なのかどうかも分かりません。ドイツだけでなく世界において冗談にできない存在です。ヒトラーやナチスを公で肯定的に語ることはできない。ドイツではハーケンクロイツやヒトラーを礼賛することは法律で禁じられています。

 ヒトラーを描く時は、相当に注意を要するのだろう。ヒトラーを悪人として描くか、否定する立場で描くしかない。それでも表現の仕方には気を付けなければなりません。

 本書の原題は「ER IST WIEDER DA」。直訳は「彼は戻った」。誰かの視点もしくは第三者的視点でヒトラーが描かれていることを想像します。しかし、小説はヒトラーの一人称です。彼が見た現代ドイツを描いています。見るものや感じることはヒトラーの目を通して描かれます。

 一人称は主人公と読者が同化する可能性があります。共感すると同調するだろう。それでも著者は一人称が最もヒトラーを表現すると思ったのかもしれない。現代社会に降り立った本物のヒトラーが、コメディアンとして認知されていきます。面白さもありますが、彼の思想の怖さもあります。人間として描かれるヒトラーをどのように受け止めるか。コメディですが、問題作という側面は大いにあります。 

「帰ってきたヒトラー」の内容

ヒトラーが突如、現代に甦った!周囲の人々が彼をヒトラーそっくりの芸人だと思い込んだことから勘違いが勘違いを呼び、本当のコメディンにさせられていく。 

テレビで演説をぶった芸人ヒトラーは新聞の攻撃にあうが民衆の人気は増すばかり。極右政党本部へ突撃取材を行なった彼は、徐々に現代ドイツの問題に目覚め、ついに政治家を志していくことに…。【引用:「BOOK」データベース】  

 

「帰ってきたヒトラー」の感想

トラーの人物像

 他国を侵略し、ユダヤ人を虐殺した。偏った思想の持ち主で、冷酷で残忍。イメージするとことはこんなところだろうか。しかし、人間として生きているからには、結果だけで全ての人物像を知ることはできません。見えていない部分もあるだろう。

 菜食主義、お酒はほとんど飲まない。子供が好き。意外な側面ではないだろう。負のイメージでないから意外に感じますが、ニュートラルな側面を持ち合わせていても不思議ではありません。ただ、それらを表現するのが憚られてきただけかもしれません。描かれているヒトラーは詳細に人物像が描かれています。極端な思想とともに、生きている人間なら当然存在する日常生活やその生活ぶりも伝えています。

 周囲はヒトラーの物まねとして捉えていますが、本物のヒトラーです。一人称なので、本物のヒトラーの思考として表現されています。より本物に近づけなければならないが正当化してもいけない。

 過激な思想はコメディアンのネタとして受け止められていきます。ヒトラーらしくなればなるほど、周囲は笑いのネタとして解釈します。誰も本物のヒトラーと思っていないからです。一方、70年前からやってきたヒトラーは、日常生活で周囲と噛み合わない言動も多い。そのことがヒトラーを人間らしく見せてしまいます。

 著者はヒトラーのことを相当に調べたのだろう。徹底的に調べたからこそ、ヒトラーが本物として存在できます。どこまで真実なのか、私は知りません。ただ、ヒトラーを描くのに適当なことは書けないだろう。 

 

釈は受け取り方次第

 ヒトラーが話していることや主張していることは、現代では決して受け入れられません。ヒトラーの礼賛がドイツで禁止されていることからも分かります。ヒトラーの恰好をして、ヒトラーのように話し、同じ思想を主張する男が、何故、完全に拒絶されないのだろうか。ヒトラーの話す内容を風刺として受け取るからです。過去の反省のためだと解釈します。

 放送したり記事にしたりできない内容のはずです。実際、強烈に批判するメディアや人間も登場します。一方で、受け入れられる。コメディアンだからです。彼の主張が本物のヒトラーと同じであればあるほど、コメディアンとしての評価は上ります。何故なら、どんなことでも徹底すればプロとして認められるからです。必ずしもヒトラーに同調している訳ではありません。コメディアンとして認めているだけだという安心感があるのだろう。あくまでもネタとして受け入れているに過ぎません。

 ヒトラーは本心から話しています。本物だから当然です。しかし、受け取り手の解釈次第で、許されない内容も話すことができます。ヒトラーの真似をするコメディアンのネタとして考えれば、許されない主張も主張ではなくなります。徹底ぶりがプロ意識を感じさせ、ネタとして受け入れられる。彼の話すことはひとつの芸術として認められていきます。言論の自由以上に表現の自由は保障されます。

 ヒトラーが話す言葉と、国民が受け取る言葉は同じ言葉です。しかし、解釈の仕方で意味合いは全く異なります。そして、人は都合の良い解釈しかしません。ヒトラーを見続けたい人は、彼が活動し続けることができる解釈をします。ヒトラーはネタで話しており、本気で言っていないと信じ込むのです。 

 

められていく怖さ

 物語が始まってからしばらくは、ヒトラーを笑うことになります。70年の歳月を経てやってきたヒトラーの言動は周りとすれ違います。周囲の勘違いとヒトラーの極端な言動はすれ違いながらも、噛み合っていきます。ヒトラーが無視されることもありません。

 ヒトラーがyoutubeで語ることは、あくまでもコメディとして認められます。ヒトラーの思想は、現代では認められてはなりません。ヒトラーの民族主義は肯定してはならない。一方、政治家としてドイツの未来を考える姿は真摯に感じます。やり方は大いに間違っており、現代においても間違っていますが。

 現代のドイツの政治にもいろいろ問題があるのだろう。だからこそ、共感を得る部分もある。政治に対する不信や不満があり、解消してくれそうな人物には人が集まります。

 徐々に彼の言葉自体が認められるようになっていきます。ヒトラーは独裁的な政権で戦争を起こし、ユダヤ人を虐殺したが、選挙で選ばれています。ヒトラーのプロパガンダの影響もあったはずですが、第一次世界大戦の賠償金で経済が疲弊し、大量の失業者が生まれていました。その不満と不安がヒトラーを生んだのだろう。

 現代のドイツの政情や国内情勢は詳しく知りません。しかし、どの時代でも不満はあり、政権に対する不信もあります。ヒトラーの言葉には耳触りの良い言葉も含まれます。多くの主張に納得や理解ができなくても、一部でも共感できれば支持してしまうのかもしれません。コメディアンのネタとして披露されていたとしても、政治的に納得できる部分があれば受け入れてしまうのだろう。そして、人望と人気が集まります。

 作中の政党がヒトラーに目を付けたのも、そのことを敏感に感じ取ったからです。国民の動きは必ずしも冷静ではありません。その恐ろしさを感じます。

 

終わりに

 コメディですが、ここまで詳細に現実的にヒトラーを描いていいのだろうか。彼の思想を肯定していませんが、否定的に書いているようにも感じません。ドイツ国民がヒトラーに抱いている感情を知らないと、この小説の本質を理解できないのかもしれません。

 最後、気になったヒトラーの言葉があります。

悪いことばかりじゃなかった

 良いことがあれば悪いことも許されるような言葉に感じます。

 現代の国民にとっては、ヒトラー政権は全て悪かもしれません。しかし、当時、国民にとって有意義な政策もあったかもしれない。良いことと悪いことは同時に存在します。だからといって、悪いことが帳消しになることはありません。そのことを理解しておかないと歴史は繰り返すのだろう。