Twitterを見ていると読了ツイートが登場していました。18年前の作品です。私は知らなかったのですが、中居文庫で取り上げられていたようです。読了ツイートは概ね高評価のものが多い。18年前なので設定や状況が古く感じる部分はあります。携帯電話やストラップ、映画、音楽などです。ただ読む時期が遅かった私の責任ですが。
多重人格をベースにしたミステリーに目新しさは感じません。なので、新鮮味を出すためには相当の創意工夫が必要です。ネタバレはありますのでご了承ください。
「彼女は存在しない」の内容
平凡だが幸せな生活を謳歌していた香奈子の日常は、恋人・貴治がある日突然、何者かに殺されたのを契機に狂い始める…。同じ頃妹の度重なる異常行動を目撃し、多重人格の疑いを強めていた根本。次々と発生する凄惨な事件が香奈子と根本を結びつけていく。その出会いが意味したものは…。【引用:「BOOK」データベース】
「彼女は存在しない」の感想
多重人格の不安定さ
多重人格を使った叙述トリックのミステリーです。現実に存在する登場人物は少ないのですが、多重人格者がいるので人間関係は複雑化し分かり難くなります。副人格には、それぞれに背景(人生)がありません。だから薄っぺらく感じます。多重人格者の中に存在する人格が、明確な形を持って伝わってきません。なので複雑化し混乱してしまいます。そこが多重人格のミステリーの面白いところかもしれませんが。多重人格については、学問的・医学的に十分解明されていません。その分、創作する余地が大いにあるということでしょうか。
亜矢子は多重人格者です。
- 亜矢子の中に何人の人格が存在するのか。
- それぞれの発現のきっかけは何なのか。
多重人格者の人格は必要性があるから現れるのでしょう。ただ、現れた人格には過去がありません。過去の記憶を持ち合わせていたとしてら、それは作られた過去です。
亜矢子には経常的な副人格と突発的な副人格がいます。経常的な副人格には存在理由が必要です。突発的な副人格には存在理由は要りません。副人格の自覚がない経常的な人格は、過去を持っていないと存在できないはずです。しかし、過去を感じさせません。それが個性のなさに繋がってしまいます。
そもそも土台の亜矢子の存在があやふやでふわふわしています。多重人格者も個性が薄いので、誰が誰か分からなくなってきます。副人格が混じり合ってしまいます。著者の意図したことなのかもしれませんが。
存在しない彼女は誰?
タイトルがミステリーの謎そのものです。誰が存在しないかがミステリーの核心なのは一目瞭然です。それを前提に読んでいくと、矛盾点の意味も分かってきます。由子の存在もミスリードを誘うために用意された設定だと気付きます。由子の人格は必要性があって発現した訳ではありません。突発的なのでしょう。前段階としてドストエフスキーに纏わる二重人格が鍵になります。必ずしも必要性のある人格だけが存在する訳ではないということを描いています。
結末に意外性を持たせるなら、答えはひとつしか思い浮かびません。その答えを前提に読み進めれば、携帯のストラップ・亜矢子の部屋の「笑いの報酬」などが繋がってきます。結末に驚きはありますが、圧倒的な意外性かと言われると微妙です。伏線とミスリードを組み合わせていますが、香奈子と有希の二部構成から導き出される回答は少ない。
終盤から結末へ
終盤の展開はスピード感が溢れています。裏を返せば、それまでは単調だったとも言えます。終盤を際立たせるための単調さだったのかなと裏読みしてしまう部分もありますが。ただ、単調の中にも結末で全てが繋がれば、それまでのことは納得できます。
終盤のグロテスクさは緊張感を引き上げる一方、そこまでの描写が必要だったのかどうかは疑問です。貴治をメッタ刺しにしたことも十分に残酷でしたが、その時の描写はあっさりしたものでした。残虐さのエスカレートの仕方と描写が尋常ではありません。そもそも人間をそんな簡単に解体できるはずはありません。現実的でグロテスクな描写でありながら、非現実的な印象を拭えません。
- 残虐さがエスカレートしていく必要性は?
- 何故、そこまで?
- 兄に対する仕打ちの意図は?
果たして本当に兄のためなのか。亜矢子の受ける苦痛の受け手としての副人格の暴走だろうか。有希はそのように感じていたみたいですが、彼女の本心は見えてきません。
終盤から結末にかけての流れに引き込まれるのは事実です。それ以前の流れを受けて一気にスピードを上げます。ただ暴走の仕方が尋常でなく、そこまでの必然性を感じません。破滅に向かわせるための無理やり感があります。
現実感の喪失
多重人格自体が一般的ではありません。フィクションで登場することは多々ありますが、日常生活で接することはまずありません。現実感を持たせるためには現実的なことはより現実的に描き、その上で非現実的なことを紛れ込ませる必要があります。登場人物たちの個性の薄さが現実感のなさを浮き上がらせます。実在の人物に現実感がないのであれば、副人格たちに現実感を抱くことはできません。
貴治はふざけ過ぎで大学生に見えない。家庭環境は母一人のようだが、金銭的な面はあまり描かれていません。経済的な面を描かないと日常の生活感がありません。夕食にファーストフードを食べる経済力なのに、部屋には物が溢れています。一貫性がありません。貴治は凶暴性も持ち合わせていますが、その根拠も描かれていない。
浦田先生は売れない専業作家だが、作家の姿があまり描かれません。ただの無職に見えてしまいます。貴治との繋がりも見えてきません。幼馴染だけど、彼らが今も関係を維持している要素が何なのかがよく分からない。
彼らのアイデンティティと行動様式があまり理解できません。貴治は不真面目で、他人に暴力を振るう。その場限りで生きています。共感できない上に嫌悪感すら感じてしまいます。メッタ刺しは、刺されるべきでない人が異常な暴力性で殺されることで残虐性を際立たせます。貴治の殺され方にあまり同情できない。
読者が共感できる現実的な生活がベースにあってこそ、徐々に失われていく現実の恐怖感が生まれます。恐ろしい世界に踏み込んでいく恐怖感がありません。物語に入り込めない。
納得感は
読後の納得感は全てが繋がるかどうかです。印象としては微妙です。齟齬がある訳ではありませんが、それだけでは駄目なのでしょう。トリックのために存在する都合の良いものではなくて、全ての出来事に必然性があるべきです。
全ての人格が亜矢子にとって必要だったのでしょうか。副人格を生み出したきっかけは父の行為であり、最も重要な要素です。果たして、それが改変されることがあるだか。存在の根拠がそれほど簡単に変わってしまうものだろうか。副人格の一人は亜矢子の苦痛を引き受けるために現れています。そうなれば亜矢子は辛い過去を覚えていません。では真実の過去はどこに存在するのか。それほど簡単に消えてしまう過去だったのだろうか。
ストーリーは納得出来るし、多重人格ミステリーとしては面白い。ただ、登場人物(多重人格者を含む)のアイデンティティが薄い。ストーリーの辻褄が合うことと、登場人物の言動に納得することは別物です。行動に必然性・必要性があり、その結果として辻褄が合うのなら納得感が広がりますが。
終わりに
ふわふわと上滑りしているような内容です。時代背景が違うのは仕方ないにしても、共感には遠い。多重人格に叙述トリックを組み合わせたストーリー構成は面白い。しかし、共感や理解できる登場人物がいなかったことに加え、描かれている世界が狭いことも残念な部分です。音楽が頻繁に登場しますが、ストーリーに及ぼす影響が分かりません。
結末に近づくにつれ重苦しく救いのないエンディングです。答えは出たがその先は?投げ出された感があります。