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『切り裂きジャックの告白』:中山 七里【感想】|命を奪う者と命を守る者

ご覧いただきありがとうございます。今回は、中山 七里さんの「切り裂きジャックの告白」の読書感想です。

犬養隼人シリーズの記念すべき第一作。警視庁捜査一課の警部補「犬養隼人」を主人公にしたミステリー作品です。

捜査一課の中でも検挙率が高く優秀な犬養の活躍を描くだけではありません。彼の人生や家族を描くことで、彼の心の葛藤が伝わります。そのことが、物語に単なるミステリー以上の深みを与えています。葛藤のひとつとして、本書の重要なテーマである臓器移植が描かれます。社会派ミステリーと言える作品です。

また、タイトルに含まれる「切り裂きジャック」という言葉も読者を引きつけます。19世紀後半にイギリスで起きた猟奇殺人は、世界で最も有名な未解決事件のひとつです。果たして物語にどのように関わってくるのかも気になります。

「切り裂きジャックの告白」のあらすじ

東京都内の公園で臓器をすべてくり抜かれた若い女性の死体が発見された。やがてテレビ局に“ジャック”と名乗る犯人から声明文が送りつけられる。その直後、今度は川越で会社帰りのOLが同じ手口で殺害された。被害者2人に接点は見当たらない。怨恨か、無差別殺人か。捜査一課のエース犬養刑事が捜査を進めると、被害者の共通点としてある人物の名前が浮上したー。【引用:「BOOK」データベース】

 

「切り裂きジャックの告白」の感想

奇殺人を追う

死体から内蔵を全て摘出して持ち去る。猟奇的な殺人は数あれど、本作の殺人の異常さは際立っています。しかし、同様の事件は現実に起こっています。切り裂きジャックによる連続殺人です。誰もが一度は耳にしたことがある名前でしょう。フィクションの小説の殺人ですが、非現実的にならない理由は過去の事件をなぞっているかもしれません。

また、切り裂きジャックを模倣していることは、物語の展開上、重要な要素でもあります。犯人がジャックを名乗ることで、切り裂きジャックを思い浮かべない者はいません。

そして切り裂きジャックを連続殺人の共通項にすると、犯人の真の目的を見失います。被害者の共通点を考える時に、切り裂きジャックをひとつの要素に加えることで間違った方向に進んでしまいます。切り裂きジャックの模倣犯に過ぎないと考えると、被害者たちに特別な繋がりがあることに気付くのは難しい。犯人の第一の目的は模倣であり、被害者の選別にあまり意味がないことになります。被害者の繋がりが犯人に繋がることが多いが、それに気付けません。

猟奇殺人の犯人を逮捕するためには、犯人像を正確に捉える必要があります。何らかの目的があるからこそ、死体から内蔵を抜き取るのでしょう。論理的な理由なのか、精神的(性的嗜好も含む)な理由なのか。捜査対象も全く変わってきます。

普通に考えれば異常者の犯罪です。しかし、一連の流れはためらいもなく、鮮やかな手際です。異常な部分があるとしても、それ以上に冷静で論理的な思考の持ち主であることが想像できます。

猟奇殺人という異常性の裏に一体どんな真実が隠されているのか。本作のミステリーの核心です。当然、単なる模倣ではありません。では、何故、ここまでの猟奇的な行為が必要になるのか。その理由を突き詰めていくことで犯人に辿り着くことができます。それほど簡単な道のりではありませんが。

 

器移植の現実と是非

ミステリーの中心には、臓器移植が存在します。内蔵を取り去る猟奇殺人は切り裂きジャックを模倣していながらも、その裏に臓器移植が絡んでいることが明かされていきます。

臓器移植法は1997年に施行され、すでに約25年経過しています。法律が成立する過程では世間を巻き込んだ大きな議論がなされた記憶があります。国民全てのコンセンサスを得て、成立・施行された訳ではないでしょう。そもそも反対意見なしで成立する法律も少ない。命に関わることならなおさらです。

しかし、現在では脳死患者からの臓器移植がことさらニュースになることはありません。国民の理解を得てきたというよりは、多くの人が他人事と思い、意識しなくなったのでしょう。人は自らの身に降りかからないと実感しない性質なのです。

2010年に改正臓器移植法が施行され、より広範に臓器移植が可能になりました。ニュースで取り上げられたり議論になったのかもしれないが、現在では国民の間で話題になることもありません。

移植でしか助かる見込みのない患者には臓器移植法は朗報です。施行前は臓器移植は海外でしか受けることができなかった。費用も個人で賄える範囲を大きく越えています。臓器移植が国内で可能になったのは、世界的な流れも含め、当然の帰結だったのかもしれません。ただ、臓器移植法は様々な問題を含んでいます。その問題をミステリーの要素として物語を構築しています。

問題のひとつは人の死をどのように定義するかです。脳死移植の根幹を成す部分なので、明確に定義され、厳密に守られていかなければなりません。

医学の進歩により一昔前であれば死に至っていた状況であっても、心臓を動かして生体活動の一部を維持することができます。脳死もその状態でしょう。脳死を人の死として法律と医療が認めることの是非は別にして、人の死と定義したのであれば厳密に診断しなければなりません。もちろん医療現場では適切に診断されているはずです。

ただ、人が誰かの死を受け入れるのは、法律に記載しているからではありません。感情や本能です。自分にとって近しい人ならばなおさらです。

作中で描かれる僧侶と医者の討論が医療と倫理の立場を明確にしています。人の感情と医療の論理は相容れないものがあるのかもしれません。一方、どちらも正しいと言えます。

 

養の苦悩と責務

難事件に挑む優秀な刑事を描く。それだけでも十分面白い小説になります。しかし、引き込まれる理由は登場人物、とりわけ主人公・犬養隼人の存在です。

本作は刑事ものでありながら、臓器移植の問題を描く社会派小説の側面もあります。事件に絡めることで臓器移植の現実を描き出します。ドナー、レシピエント、移植コーディネーター、医師など、それぞれの立場から臓器移植を描きます。ただ、その場合、立場が固定されます。読者はそれぞれの立場の一般的な意見として受け止めてしまうことになります。
しかし、人は同じ立場だから同じ考え方になるとは限りません。また、常に同じ立場に居続けるとも限らないし、考え方も変わります。信念を持っていても、揺らぐのが人間です。犬養はその揺らぎを表す重要な役割を担っているのでしょう。

臓器移植を問題視(少なくとも肯定していない)する切り裂きジャックを、犯人として追う立場の犬養がいます。切り裂きジャックの主張など関係なく、殺人事件の犯人としてです。一方、犬養には病気の娘がいます。人工透析が必要なほどの病状です。臓器移植は娘の病気を治す一筋の光です。

犬養に病気の娘がいなければ、切り裂きジャックは単なる犯人です。臓器移植の問題提起も一般論として認識するに過ぎなかったでしょう。しかし、そういう訳にはいかない。臓器移植は自分と娘の現実的な問題です。

犬養は刑事として切り裂きジャックを追う立場でありながら、臓器移植の当事者としての立場もあります。その苦悩が伝わることで、犬養の生身の人間性が伝わってきます。
優秀な刑事とは別の側面を見せることで、犬養の魅力が増すのでしょう。

 

終わりに

犬養シリーズは医療ミステリーです。臓器移植の是非や問題だけを描くのではなく、ミステリーと上手く融合させ、押し付けがましくありません。それでいて読者に臓器移植について考えさせます。シリーズとして、今後、どのように展開していくのか。特に、娘との関係がどうなるのか気になるところです。

最後までご覧いただきありがとうございました。