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『クジラの彼』:有川 浩【感想】|自衛官の恋愛に心が引き寄せられる

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 自衛隊を舞台にしたラブコメ。有川浩の持ち味がたっぷりと楽しめる作品です。6編の短編から成る短編集。登場人物は自衛隊員。自衛隊員という縁遠い世界の人々の恋愛模様を、甘く描いています。まるで、高校生のような初々しさすら感じさせるほどです。ドロドロとした恋愛要素はなく、初々しさと純粋さ、そして一途さがコメディ的要素と絡まり読んでいて清々しい。高校生でも、ここまでの初々しさはないかもしれません。  

 ベタ甘なラブコメですが他の作品と一線を画すのが、舞台を自衛隊、主要な登場人物を自衛隊員にしていることです。自衛隊のことは知っていても、実際に自衛隊の内部のことはよく知りません。そこに所属する自衛官がどのように活動しているのかも。普段目にしない自衛隊のことを知ることが出来るのも、この小説の読みどころだと思います。有川浩の自衛隊に対する思いと取材力に脱帽します。一般社会とは違う自衛隊の中とはいえ、そこに所属する自衛隊員も一人の人間です。そのことが恋愛を通じて伝わってきます。 

「クジラの彼」の内容 

『元気ですか?浮上したら漁火がきれいだったので送ります』彼からの2ヶ月ぶりのメールはそれだけだった。聡子が出会った冬原は潜水艦乗り。いつ出かけてしまうか、いつ帰ってくるのかわからない。そんなクジラの彼とのレンアイには、いつも7つの海が横たわる…。【引用:「BOOK」データベース】 

「クジラの彼」の感想

ジラの彼

 表題作。「海の底」で登場した冬原春臣と恋人の中峯聡子の恋愛模様を、聡子の視点から描いています。冬原は「海の底」での主要登場人物ですが、残っている印象は同僚の夏木大和の方が強い。冬原の印象は、物腰が柔らかく冷静でクール。しかし、時として人に接する態度が冷たい。そんな冬原の本当の人となりが味わえる作品です。 

 自衛隊の中でも、潜水艦の運用はヴェールに包まれています。水上艦は、現役艦であっても乗艦見学が出来る機会もあったりします。しかし、就役中の潜水艦に乗艦できるという話は聞いたことがありません。呉の「てつのくじら館」で退役した潜水艦「あきしお」の一部に乗艦見学できるくらいでしょう。自衛隊の装備は全てにおいて機密性が高いですが、潜水艦は特に高い気がします。性能のみならず、その運用についても。当然、その乗組員の生活も知らないことが多い。 

そんな潜水艦乗りの日常がどういったものなのかを知ることが出来るのも、読んでいて面白いところです。 

 彼らの生活がどのようなものなのか。聡子という一般人を恋人にすることで、一般人の視点で冬原の行動を見ることが出来ます。潜水艦乗りも一人の若者であることは間違いありません。一般社会と切り離された職場で、一般社会の人々と同じような恋愛をすることがいかに難しかが伝わってきます。 

ールアウト

 航空設計士の宮田絵里と航空自衛隊搭乗員の高階三尉の物語。これも一般人の宮田絵里の視点で、航空自衛隊と自衛隊員を見ています。と言っても航空自衛隊の装備を受注・開発する企業の社員であるから、我々よりはかなり自衛隊寄りの視点とも言えますが。 

 発注元の自衛隊と受注先の企業。新しい装備を発注する際は、このような折衝が実際に行われているのだろうか。おそらく、有川浩の取材力なら現実に近いのかもしれません。ただ、自衛隊側がここまで意思統一されていないというのも信じがたいところはありますが。

 宮田と高階は、恋人関係ではありません。当初は、折衝相手として議論を交わす相手に過ぎません。その折衝中に航空自衛隊の様々な常識が描かれていきますが、一般人の宮田にはその常識が理解出来ない。彼女が理解できないことが理解できない宮原。お互いの意見を押し通すだけでなく相手の意見を尊重していくことで、距離が縮まっていく様子が分かります。いきなり結末で両想いの告白で終わるのが、都合良すぎる気もします。 

防レンアイ

 陸上自衛官同士の物語。主人公は、伸下雅史三曹と三池舞子三曹。伸下三曹の視点で描かれる自衛官同士の恋愛模様です。

 自衛官同士の恋愛は、一体どのようなものなのか。自衛隊内で圧倒的に人数が少ない女性自衛官の地位が高くなるのは理解出来ないこともないです。ここで表現されている男性自衛官や女性自衛官の本音は、果たして事実なのだろうか。もちろん、人それぞれなので自衛隊内の一般論にはならないでしょう。しかし、実に人間的で脆い一面を見せつけてきます。国防という命を懸けた現場にいながらも、やはり一人の男性と女性であることを印象付けてきます。ハッピーエンドは既定路線ですが。  

能な彼女

 「海の底」の主要登場人物の夏木大和二尉と防衛省技官の森生望の後日譚です。「海の底」では、高校生だった望が夏木を追って防衛省技官となり再会するところで終わっていました。その後、半同棲生活を送るほどの恋人関係になっているところから始まります。夏木は冬原と違い、感情的で思ったままのことをそのまま口にします。そして、そのことを後悔する。その一方で、勝手に相手の心の内を想像しあらぬ方向へと進んで行ってしまう。冷静で女性の扱いに慣れた冬原とは、真逆の人間です。真逆だからこそ、冬原といいコンビなのでしょう。 

 この物語は、「クジラの彼」で描かれた潜水艦乗りの日常と「国防レンアイ」で描かれた女性自衛官の自衛隊内での立場の両方を素地に描かれています。潜水艦乗りとして行動している夏木は、望と一緒にいる時間は限られています。また、望は自衛隊の中では数少ない女性です。防衛省技官なので純粋に自衛官と言えるのかどうかは、自衛隊組織について詳しくないのでよく分かりませんが、数少ない女性ということに違いはないでしょう。しかも、望はかなり有能で美人という設定です。冬原ほど恋愛に慣れていない夏木にとって、望の気持ちを推し量ることは難しい。そして、意外と自分自身に自信を持っていない夏木がもどかしく感じます。 

 自衛隊員として有能であっても、恋愛においても初心者ということか。自衛隊員と言えども普通の人なのだなと感じます。望の一途さの前で、右往左往する夏木の心がまるで高校生の様です。確かに、恋人と過ごす時間の少なさが自信の喪失に繋がるのも分かります。夏木と望の関係は「海の底」から続く話なので、ハッピーエンドで終わったのは喜ばしい。 

柵エレジー

 脱柵とは、いわゆる脱走。自衛隊基地や駐屯地から逃げ出すことです。脱柵者の多くは、新人自衛官。その意味は、自衛隊がいかに一般社会と違うかということでしょう。一般社会に馴染んできた人にとって、脱走を選択させるほどの厳しい環境ということです。その中でも恋愛を原因とした脱柵についての物語です。会おうと思えばいつでも会えた恋人と会えなくなる。そのことは、別れに繋がるかもしれないと焦る気持ちがよく分かります。「有能な彼女」と通じるところがあると感じます。 

 物語は、清田和哉二曹の回想の形で脱柵を描いています。恋人に会いたいと言われたことによる脱柵。その過去を、同じように脱柵を試みる若い隊員に聞かせることで現実を理解させていく。 

自分自身の行動だからこそ、説得力があるのでしょう。

 自衛隊員と言えども、普通の人です。恋人に会いたい気持ちは一般人と変わらない。しかし厳しい規律があるからこそ、国防という重要な職務を全う出来るのも事実です。同じ人間であっても、一般人とは置かれた立場が全く違います。そのことを理解できる人でないと恋愛は続かない。「クジラの彼」「ロールアウト」においては、聡子も絵里も自衛隊の現状を理解しています。理解していても聡子のように思い悩むほど、自衛隊員は一般人とは状況が違います。ましてや自衛隊員になった後も、一般人の時と同じように付き合いを続けていけるのかどうか。お互い続けていけると思うのが恋愛なのでしょう。

 自衛隊員の現実が描かれている気がします。清田二曹の過去の脱柵と失恋、そして現実を理解する過程を描いています。恋愛というよりは失恋話に近い。しかし、最後にいきなりの告白。清田二曹と吉川三曹の甘いお話。やはり、ただでは終わらない。 

ァイターパイロットの君

 「空の中」で登場した三津菱重工の春名高巳と春名(旧姓武田)光稀の後日譚。「空の中」が終わった直後の二人のデートから結婚までの話と、女の子が生まれた後のふたつのストーリー。

 二人の初デートの様子は、いかにも「空の中」の延長線上といった趣です。高巳の飄々とした態度。光稀の頑なで融通が利かない感じ。お互いの距離が近づいた状態で終わった「空の中」からの続きなので、安心して読んでいられます。光稀に自己表現に難がありますが、それがまた微笑ましい。 

 一転して、結婚後、娘が生まれた後の話です。F-15戦闘機乗りとして現場に復帰した光稀と彼女を支えながら生活をしている高巳。女性の社会進出が進んだと言えども、やはり育児は母親がするものだと言う考え方は根付いてしまっています。戦闘機乗りという特殊な職業ですが、戦闘機乗りでなくても好きな仕事を辞めざるを得ない状況に追い込まれていく女性は多いのかもしれない。

 一般論として受け止めることの出来る物語かもしれません。高巳は、戦闘機乗りとしての光稀に心を奪われて結婚しています。だから周りの声がどれほど騒がしくても、光稀に仕事を続けることが出来るように努力しています。このことは、相手が自衛隊に限ったことではないでしょう。周りの声が煩すぎて光稀が弱気になった時も、高巳は常に彼女の味方でいます。恰好いい男とは、彼の様な人を言うのかも。ただ光稀のピントのずれた言動は、読んでいて面白いし微笑ましい。

クジラの彼 (角川文庫)

クジラの彼 (角川文庫)