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『まほろ駅前番外地』:三浦しをん【感想】|愉快な奴らが帰ってきた

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 こんにちは。本日は、三浦しをん氏の「まほろ駅前番外地」の感想です。

 

 「まほろ駅前多田便利軒」の続編ですが、続編というよりは番外編の印象です。スピンアウトストーリーを含む七つの短編で構成されています。主要登場人物の日常や人生が描き出されます。多田が視点となる短編もありますが、星良一や由良などが視点になる短編もあります。

 最終話「なごりの月」では、行天の内に潜む闇が垣間見えます。面白い短編もあれば心に響くものもある。人生を描けば、読者が何かを感じるのは自然なことです。 

 前作は物語を通じて、親と子の形が描かれていたと思っています。その形が幸せを呼ぶこともあれば、不幸を招くこともあります。多田は罪を背負い、行天は苦しみを抱えます。多田は幸せが再生することを知るのですが。

 本作は七つの短編を通じて、何を描いているのだろうか。「逃げる男」と「なごりの月」で多田と行天の心の内が描かれます。行天の闇が相当に深いことが分かります。彼の人生が描かれることはありませんが、その深さは伝わってきます。

 瑛太と松田龍平で映像化されています。前作でも感じましたが、イメージ通りのキャスティングです。この二人をイメージして執筆したのではないかと思ってしまいます。 

「まほろ駅前番外地」の内容

東京都南西部最大の町・まほろ市の駅前で便利屋を営む多田と、高校時代の同級生・行天。汚部屋清掃、老人の見舞い、庭掃除に遺品整理、子守も料理も承ります―。

多田・行天の物語とともに、前作でお馴染みの星、曽根田のばあちゃん、由良、岡老人の細君が主人公となるスピンアウトストーリー七編を収録。【引用:「BOOK」データベース】  

 

「まほろ駅前番外地」の感想

田便利軒の日常

 最初の短編「光る石」を読むと、相変わらず多田便利軒に持ち込まれる仕事には一癖も二癖もあります。どんな仕事でも完遂するのは多田の信条ですが、持ち込まれた依頼はややこしく便利屋の範疇ではない。そもそも指輪を盗むことは犯罪ですが、罪らしく感じさせない軽快さがあります。

 依頼者とターゲットの関係も生々しい。嫉妬は誰でも持っています。嫉妬を解消するために実際に行動に移すかどうかは別問題ですが。ターゲットにされた女性は、優越感に浸るために意識的に嫉妬を煽る行動をしているのでしょう。あからさまに表に出すかどうかは人によりますが、他人よりも上位に立ちたい欲求は誰でもあります。

 それに対抗するために依頼者は策を弄し、多田便利軒に依頼します。表面上では波風を立てずに気持ちを晴らす。二人の女性の関係は人の表と裏を象徴しています。多田も人間の表裏を理解しています。行天ほどあからさまに言葉や態度に出さないだけです。

 二つの依頼を同時にこなすやり方も面白い。予想外の展開ですが、行天だから納得する部分もあります。多田は、指輪を舐めたかどうかを行天に聞きます。彼は肩をすくめるだけだが答えは分かります。二人が笑うのは、少しくらい罰があってもいいと考えたのだろう。

 行天というアクセル役と多田というブレーキ役の掛け合いが面白い。多田は行天のことを好きでもないし、相性がいい訳でもありません。それでも二人が一緒にいることは自然なことに感じます。

 

人の日常と人生

 星良一、曽根田のばあちゃん、岡夫人、由良のスピンアウトストーリーです。岡夫人以外は、前作でも大きく役割を果たしました。岡夫人も、夫が多田便利軒に深く関わっています。彼らの日常や人生はどんなものなのだろうか。

 

星良一

 まほろ市の裏の世界で生き、存在感があり、実力もあります。未成年でもある。彼の仕事とプライベートの落差が描かれます。

 星には、裏社会の顔と清海や母に見せる顔のふたつがある。どちらが表で裏かは考え方次第ですし、どちらも星の真実の姿です。裏社会からイメージするのは冷酷で悪です。星はそのように振舞い行動しています。

 一方、ストイックな性質や清海に対する愛情や優しさもあります。人の二面性の複雑さが分かります。だからこそ人間臭く感じるのでしょう。どちらかだけに従って生きていくことはできません。

 だからと言って、星が正しいかどうかは別です。暴力や薬を平然と使う人間には、やはり嫌悪感を感じます。

 

曽根田のばあちゃん

 誰でも自分の人生を持っています。周りから見て平凡な人生に見えても、本人にとっては劇的な人生です。曽根田のばあちゃんは老人ですが、当然若い頃があり、その年齢に応じた気持ちで行動し人生を経験しています。老人を見てそこに思いが至らないのは、すでに老人として存在しているからかもしれません。

 二人の男性と一人の女性の不思議な三角関係は、三人ともが真剣にこの関係に向き合っていた結果なのだろう。適当に接していたのではなく考え抜いた行動です。

 二人の男は戦争で生死を懸け、多くの死を見てきました。そのことが彼らの不可解な行動に説得力を与えます。この関係がどれほど異質だったか分かりませんが、肩身の狭い思いを抱いていたのは間違いない。

 彼女が語る思い出は宝石のような輝きを感じさせます。多田と行天が聞き続けるのも、話の内容が彼女の人生そのものだからです。多田と行天が登場人物にされてしまっているのも面白い。

 

岡夫人

 多田と行天を見続けることで、彼らの変化を感じ取ります。観察しながら自身の人生を振り返っています。二人が一緒に仕事を始めてから、多田は変わっていきました。彼女は、その変化を好ましく思っています。人との接触が多田をいい方向に変えていきました。多田の変化は前作から描かれていますが、岡夫人という他者の目で見た変化が描かれます。人の変化は外にも滲み出てきます。

 彼女から見れば、多田と行天は違う世界に生きる人間に見えるのだろう。実際、多田たちの生きる世界は一般社会とは違う気もします。

 岡夫人の観察眼は鋭い。普通の人生を歩んできたから、多田たちのような特殊な人間の変化を敏感に感じ取るのかもしれません。 

 

由良

 由良の一日を描いていますが、実際は行天が主人公のような気がします。

 相変わらずの由良なのであまり新鮮味はありません。少し子供っぽくなったような気もしますが、素直になった証拠かもしれません。

 岡夫人の短編から続く「同窓会」が物語の中心です。由良は、行天が同窓会と関わるために必要な存在です。徐々に、行天の過去と心の闇が描き出されていきます。 

 

田の変化と行天の闇

 岡夫人の短編で登場した「同窓会」から、物語の中心は多田と行天に移っていきます。同窓会は過去との接触です。思い出したくない過去であっても、参加すれば当時に引き戻されます。

 多田も乗り気ではありませんが、行天はもっと行きたくない。二人とも近づきたくない過去があります。多田は結婚生活。行天は幼少期から大人になるまで。明確に描かれていませんが、行天は親に虐待されている。同窓会と行天の過去に直接的な繋がりはないが、過去に戻されるという意味では繋がっているのでしょう。

 二人は過去に傷を抱えています。多田は前作で、多少の納得と折り合いをつけたように見えますが、行天の傷はまだまだ深いことが分かります。行天は、多田に対して変わることを求めます。一方、自分自身には触れられたくない。変わることができない深さの闇なのだろうか。もはや見ることさえもしたくないのだろうか。

 「逃げる男」で行天は、多田に変わることを促します。変わって当然だと言っているような雰囲気です。多田が気付いていないだけで、行天は多田が変わったことを知っているのでしょう。

 最終話「なごりの月」で行天の闇は溢れ出します。忘れることも、無かったことにも、消化することもできない闇です。多田も知らなかった深い闇であり、ここまで行天を侵食していると思っていなかったのかもしれません。

 多田は、行天も過去に向き合うことが可能だと思っていたのだろう。ただ、多田ですら想像も及ばぬところに行天の闇はあった。行天自身もコントロールできない感情です。だからこそ呼び覚まさないように気を付けていたのかもしれません。同窓会に出席しなかったのもそのためです。ただ、何がきっかけになるのか分かりません。

 行天は、多田に変わることを教えました。多田は、行天に変われることを伝えたい。しかし、行天は変わることを求めません。変われない(恢復しない)と思っています。自分だけは過去と向き合いません。向き合うことが恐怖なのか。向き合ってもどうしようもないと思っているのか。行天の態度と多弁は、過去に向き合う隙を生まないためだろうか。

 

終わりに

 各短編は独立していながらも、後半に向け、一つの物語へと収束していきます。彼らの過去と心は最も重要な要素です。彼らの歩んできた人生が、現在の彼らをどのように形づけたか。これから、どのような人生を歩んでいくのか。二人は模索しながら生きていくのでしょう。

 続編があるので、これからの二人がどうなっていくのか気になります。