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『燃えよ剣』:司馬遼太郎【感想】|新選組をつくりあげた男

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 こんにちは。本日は、司馬遼太郎氏の「燃えよ剣」の感想です。

 

 幕末の激動期は多くの魅力的な人物を生み出しました。「燃えよ剣」は、新選組副長の土方歳三が主人公です。幕末は、どの立場から眺めるかで見え方が全く違ってきます。「竜馬がゆく」は未読ですが、同じ司馬遼太郎であっても全く違う視点と立場で描かれているのでしょう。

 幕末の勢力図は複雑で、かつ混沌とした時代です。明治維新を成し遂げた長州・薩摩・土佐の立場で幕末を見ると、幕府は敵になります。幕府側の新選組にあまりいいイメージはない。京で多くの幕末志士を斬ったことも理由でしょう。幕末志士と幕府・新選組との戦いなので、一方的な虐殺ではなかったはずですが。

 本作は、新選組のNo2に焦点を当てています。鬼の副長・寡黙・剣の達人など、イメージはいろいろです。「多摩で過ごした時期」「新選組を結成し京で働いていた時期」「京から北上を続けながら官軍と戦っていた時期」の大きく三つに区切って描かれます。

 登場人物と出来事は歴史の事実に基づきながらも、架空の人物を加えることで小説としての面白みがあります。フィクションも含んでいることを意識しながら読むことも必要です。 

「燃えよ剣」の内容

幕末の激動期、武州多摩のバラガキだった土方歳三は、近藤勇、沖田総司らとともに、京へ上る。京都守護職御預の名のもと、「新選組」を結成、池田屋事件などで、世にその名を轟かせていく。しかし薩長同盟成立で、時流は一気に倒幕へ。最後まで夢と信念を貫き、土方は江戸、会津、函館へ向かう。【引用:「BOOK」データベース】 

  

「燃えよ剣」の感想

末の激動期

 日本が激動した時代が幕末です。大河ドラマで取り上げられるのも、幕末と戦国時代が多い。それだけ人を引きつけます。魅力的な人物が多く登場するのも理由です。立場は違っても、誰もが特別な存在感を放っています。新選組も同様であり、近藤勇を始め多くの隊士が信念を持ち、日本の激動期を生きていた。

 激動のきっかけを一つの要因だけに求めることは難しい。ただ、黒船の来航が大きなきっかけの一つなのは間違いありません。軍事力を背景に開国を強要してきたことに対して、有効な対策ができない幕府の態度が混乱を引き起こしたのでしょう。

 他藩を統制できない幕府の力の無さも理由です。約250年に及ぶ江戸幕府の治世は平和でした。平和だったからこそ力を無くした。実際的な軍事力を持つ必要がなかったからです。平和は悪いことではありませんが、常に準備をしておくことの必要性はあったでしょう。だからといって、幕府が無能の集団ということではありません。外国の力を十分に理解していた人物は幕府の中にもいます。

 立場は複雑で入れ替わります。佐幕か倒幕か、開国か攘夷かの違いはあっても、尊王が根底に流れています。問題は幕府をどうするかです。激動は予想された未来を保証しません。だからこそ、真剣に生き、今に全てを懸ける人々に引き込まれます。

 

方歳三のイメージ 

 残されている写真は穏やかな表情で、少し寂しそうにも悲しそうにも見えます。

 新選組の鬼の副長というイメージがありますが、倒幕の志士を躊躇なく斬り倒すことは新選組の役割であり存在意義です。また、志士を斬ったのは彼だけではありません。

 彼をより冷徹に見せるのは、新選組内での徹底した隊規の遵守です。局中法度を破ることは許されず、罰は切腹という厳しいものです。同じ新選組の隊士だからといって容赦することはありません。組織の規律を守り強靭化していくためには必要な措置ですし、徹底しないと組織を維持できないというのも分かります。現実に実行できる強靭さは凄まじいものですが。土方は幕末志士だけでなく、新選組隊士にも恐れられていたでしょう。ただ、自身に対しても厳しさがあります。だからこそ新選組を組織し維持し続けられた。

 剣の鬼というイメージもありますが、読み進めるほどに柔軟な一面も見せます。剣ではなく、これからは銃の時代だと柔軟に受け入れます。常に剣は手放さないが、銃を使った戦い方を学んでいきます。勝つためにどのようにして戦うかを考える。新選組を最強の集団にすることが目的だからです。

 土方のイメージの多くは、京での新選組のイメージなのでしょう。幕末を舞台にした小説は京が中心となることが多い。新選組の活躍は討幕派にとっては脅威です。その脅威が新選組のイメージになる。京での戦いに負けたのは銃に対抗できなかったためであり、剣での強さを誇る新選組のイメージを損なう訳ではありません。

 

義を貫く

 幕末の情勢は日に日に変わっていきます。新選組も含め、当時の多くの人々が尊王という意識を共有していたようです。攘夷の意識も広く共有されていたように感じます。近藤や土方も攘夷の意思を持って京に来ました。外国の脅威は大きく、排除しようと考えるのも自然です。

 幕府が開国に応じたのは、攘夷と言っても敵うはずがないと考えていたからでしょう。開国により外国の技術を得て幕府を強くする。その上で、諸外国と渡り合う力を蓄えるつもりだったのならば現実的な考え方です。実際、長州も下関戦争で負け、攘夷が不可能なことを知ります。薩摩も薩英戦争で外国の力を知ります。

 開国を不満として倒幕に動いた藩や志士が外国の力を知り、攘夷を諦め、近代兵器を輸入します。開国に動きつつも討幕は変わらず、幕府が考えていた公武合体へと動きません。開国するにしても、もはや幕府は不要ということです。

 近藤が政治に走るのも、変わる情勢に対応するためです。薩摩が立場を変えたのは、現実的な視野から当然かもしれません。諸藩が攘夷から倒幕へと重心を移していき、開国か攘夷という問題から佐幕か倒幕かへと問題は移っていきます。

 情勢は変わってしまったのだから、新選組も別の道を選べたかもしれません。しかし、土方は忠義を貫きます。経過はあれど京都守護職御預になり、幕府の旗本になった。幕府を裏切ることは忠義に反します。政治的な思惑や日本の将来よりも、忠義を重んじた。だからこそ、新選組は幕府側であり続けます。近藤が幕府側であり続けた理由には大名になりたいという野心もあったようですが。

 より人間的なのは近藤です。土方は潔癖過ぎたのかもしれません。忠義を貫き通すには命を懸けねばならない。土方の強さはその覚悟かもしれない。

 

方の人間味

 新選組を最強の組織にして維持するためには、戦いに勝たなければなりません。そのための土方の覚悟が伝わります。

 一方、土方の人間性を表現するための登場人物として「お雪」がいます。架空の人物なので、二人のやり取りは全て創作です。だとしても、土方をより魅力的に描くために必要な人物です。土方は決して弱みを見せている訳ではありません。お雪に心を寄せているとしても、自らのやるべきことは見失わない。一緒にいるために志を捨てることもありません。

 お雪の存在は、土方が人間として生きたことの表現のためでしょう。新選組のため、戦いのためだけに生きた人物ではないということです。お雪の存在を受け入れられるかどうかは読者次第です。しかし、彼女がいるからこそ、土方はより魅力的に見えます。

 もう一人、主要でありながら架空の人物が「七里研之助」です。多摩時代からの縁が京まで続きます。彼も土方の人生の一部として存在します。新選組の副長として決着をつけたが、多摩から続く関係は土方の人生の一部です。

 土方の人生は多摩から始まり、函館で終わります。歴史の事実だけでは面白くありません。架空の人物を絡めて、人間として描くからこそ引き込まれます。

  

終わりに

 34年の人生を圧倒的な熱量を持って生きています。幕末の志士たちも同じような思いで駆け抜けたのでしょう。本書を読むと、新選組は土方が作った組織であり、彼が全てを注いだ結晶だと言えます。

 読み始めると止まりません。劇的な結末はいかにも小説らしい。創作されている部分はありますが、土方歳三を知り、彼の思いを知ることで新選組に対する意識も変わります。