読書LIFE ~毎日が読書日和~

本を読み、備忘録的に感想を綴るブログ。主に小説。映画もたまに。

映画「空飛ぶタイヤ」を観た

 池井戸潤作品は数多く映像化されていますが、映画化は初めてのこと。意外な気もします。

  原作の空飛ぶタイヤは、結構な長編です。登場人物も多いし、人間関係も状況も複雑に進展していきます。

 それを2時間という枠内で、どれほど表現できるのか。原作を読んでいない人も楽しめるように作るのは、とても難しい。

 ただ、小説と違い、映像化だからこそ出来る表現もあるはずです。役者の台詞一つ、表情一つで、訴えかけてくるものがあります。文章だと何行もしくは何十行と必要なことが、役者の表情一つで表現できることもあります。

 そう考えれば、映像化に期待できます。

 

 原作は、以前読みました。感想は、以下のリンクからどうぞ。 

www.dokusho-life.com

 

 ストーリーに対する感想は、小説の感想で書いてます。なので、小説との違いやキャスティングなどについて書きたいと思います。

  

キャスティング

 主人公の赤松運送社長「赤松徳郎」を「長瀬智也」

 ホープ自動車販売部カスタマー戦略課課長「沢田悠太」を「ディーン・フジオカ」

 ホープ銀行本店営業本部「井崎一亮」を「高橋一生」

 

 この3人を軸にしています。と言っても、高橋一生は影が薄いかな、という印象です。

  他にも、岸部一徳、笹野高史、寺脇康文、柄本明、佐々木蔵之介、ムロツヨシ、深田恭子、小池栄子と豪華な顔ぶれです。

 佐々木蔵之介演じる相沢寛久は、物語上重要な人物ですが登場時間は短い。脇役に近い人物にも、ベテランの役者をキャスティングする。贅沢な作品です。

 

  小説中の赤松徳郎は、中年の冴えないイメージでした。その冴えない中小企業社長が、巨大なホープ自動車に挑む。それが小説の醍醐味のひとつです。

 長瀬智也が演じる赤松も、言動が中小企業の社長らしいのですが、やはり恰好良すぎる気もします。

 

 

 沢田悠太は、小説ではかなり嫌な印象を与えてきます。後半から結末にかけては、かなり印象も変わってきますが。

 ディーン・フジオカが演じる沢田悠太は、当初から、あまり嫌な印象を受けない。最初は、大企業の奢りのようなものを感じさせようとしているのですが、あの外見と話し方なので、どうしても悪人には見えてこない。

 小説では事故報告に対する疑惑を社内政治の道具に使ったりと、結構な悪役ぶりを発揮しているのですが、映画ではあまり際立ってきません。

  

 ホープ銀行の井崎一亮は、小説中ではかなり重要な役回りでした。直接、赤松と絡むわけではないのですが、ホープ自動車の命運を握る一人として、その存在感がありました。

 映画では、赤松と絡まないからなのか、それほど重要度のある役回りに感じません。高橋一生自身の存在感があるので印象に残らないという訳ではないのですが、やはり影が薄い。

 

 ただ、それに代わって、岸辺一徳演じる狩野常務の存在感が圧倒的にありました。

 

 全ての登場人物が、重要な役回りと存在感を放っていた原作に比べ、赤松と狩野以外の登場人物は、どうしても物足りなさを感じてしまいます。

  

ストーリー

 バッサリ切るところは切っています。

 赤松の息子の学校のトラブルは、ほぼすべてカットしています。

 また、ホープ銀行内の井崎の戦いも、あっさりしたものになっています。ホープ銀行内の権力争いも重要な要素だったのですが、赤松と直接絡まないから相当に省略されています。そのことで、井崎の存在感が薄くなってしまった訳です。

 

 ホープ自動車内においても、沢田と品質保証部の戦いは激しかったのですが、その激しさはトーンダウンしてしまっています。品質保証部の室井の存在感が薄かったせいかもしれません。

 

 小説では、赤松運送を取り巻く状況は複雑です。また、ホープ銀行・ホープ自動車内部での戦いも複雑です。2時間という枠内では、そこまでの複雑さを描くことは出来ないでしょう。

 その分、赤松に焦点を絞り、彼を中心に描き続けています。長瀬演じる赤松の存在感が強くなるほど、他の登場人物の存在感が薄くなってしまう。赤松に匹敵する存在感を放つのは、登場時間の多い沢田か、悪役ぶりが目立つ狩野になってしまいます。

 

 あちこちに手を出して収拾がつかなくなる展開よりは、いいのかもしれません。

 

最後に

 小説に比べれば、ストーリーや登場人物の設定は物足りなさを感じます。仕方のないことですが。

 ただ、その物足りなさを補うだけの役者の演技があります。長瀬智也を筆頭に、役を演じる全ての役者が、シリアスで見事な演技です。

 佐々木蔵之介や柄本明などは、少しの登場シーンしかありませんが、存在感を放っています。

 気持ちのいい余韻を持ちながら、映画館を後にすることが出来ました。