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『名前探しの放課後』:辻村深月【感想】|人は変わることができる

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 二度読みしました。本作を読む前に、先に読んでおくべき作品がいくつかあります。少なくとも、「ぼくのメジャースプーン」を読んでから読むことをお勧めします。出来れば、「凍りのくじら」も読んでおいた方が面白いかも。あまり書くとネタバレしそうなので詳しく説明しませんが。

 一度目は「ぼくのメジャースプーン」は未読でした。「ぼくのメジャースプーン」を読んでから再読です。結末が分かっている状態でしたが、分かっているからこそ登場人物たちの行動や会話に納得してしまう部分も多くあります。また、物語の最も重要な謎も、二度目に読んだ時に分かりました。やはり発刊順に読むべき作品もあるのだと実感しました。 

 文庫上下巻で800頁を超える長編作品です。現実世界を舞台にしながら、SFやファンタジーの要素を取り入れるのは著者の得意とするところです。ミステリー作品でもあるので、ネタバレを極力控えるつもりです。  

「名前探しの放課後」の内容

依田いつかが最初に感じた違和感は撤去されたはずの看板だった。「俺、もしかして過去に戻された?」動揺する中で浮かぶ一つの記憶。いつかは高校のクラスメートの坂崎あすなに相談を持ちかける。「今から俺たちの同級生が自殺する。でもそれが誰なのか思い出せないんだ」二人はその「誰か」を探し始める。【引用:「BOOK」データベース】  

「名前探しの放課後」の感想

実と非現実

 3か月前から戻ってきた「いつか」が、12月24日に自殺する同級生を見つけ出し阻止する。自殺者探しで思い浮かぶのは「冷たい校舎の時は止まる」です。物語の構成を含め何もかもが違いますが、高校を舞台にした自殺者探しで非現実的な要素を鍵にしている点で似た雰囲気が漂います。感想は以前に書いていますので、興味のある方はどうぞ。

 物語の冒頭から、タイムスリップが出てきます。タイムスリップを信じるかどうか。物語の登場人物たちがいつかの言葉を信じるかどうかだけでなく、読者も彼の言葉が現実かどうかを考えながら読み進めることになります。彼の言葉が現実ならば、本作はSF的な要素を帯びてきます。逆に信じなければ、現実的な物語として読み進めることが出来ます。読み手のスタンス次第で、本作は全く違う受け取られ方をするのではないでしょうか。いつかの言葉をそのまま信じるか、彼の言葉の裏には何かがあると思い続けるのか。登場人物たちと同じで、読者にもその選択を突き付けてきます。

 いつかの自殺者探しは、彼のタイムスリップが事実という前提で実行されていきます。彼らの自殺者探しは、果たしてどこに向かうのか。

  • いつかには何か隠していることがないのか
  • 彼は物語中で全てを語っているのか

 いつかを始め、登場人物たち全員が心に何かを隠しているように感じてきます。決して騙し合いという訳ではないのですが、表面的に進展していく物語の裏で何か別のことが進行している気がします。非現実的な世界が有り得るかもと思ってしまうと、物語が二重三重にも裏読みせざるを得なくなります。 

和感が漂う

 いつかのタイムスリップを信じるかどうかは別にして、物語のあらゆるところで違和感があります。いつかの言葉だけでなく、秀人や椿や天木。いつかを取り巻く人々の言動に違和感が付き纏います。結末に向けての伏線があらゆるところに仕込まれているのだと思わせますが、その伏線が収束し行きつくところが予想出来ない。素直に物語を追っていけば、結末はある程度予測できます。しかし、そんな簡単な話でないだろうことは容易に想像できます。

 タイムスリップが現実だとして、いつかの3カ月後の記憶が果たして正しいのか。いつかは何かを隠していないのか。周りの人間は、いつかをどこまで信じているのか。彼らの言動は絶えず物語を揺り動かします。いつかの言葉が正しく、自殺者探しも順調に推移していると思っていると、それを否定するような何気ない言葉や行動が現れたりもします。いつかが何かを隠していることは、彼の言動から窺い知ることができます。しかし、彼は一体何を隠しているのか。そのことで何を成そうとしているのか。その核心が掴めません。最も違和感を感じたのは、自殺者を河野基と見込んだあたりからです。

  • 彼がいじめられ始めた原因が水泳にあること
  • 彼が不二芳に移住してきたことに不満があること
  • 彼の独善的な言動

 彼が自殺に追い込まれている状況証拠は数多く出てきます。いじめは、自殺も原因として十分にあり得ます。しかし、いつかたちが取った行動が短絡的過ぎます。水泳で馬鹿にされたことがきっかけでいじめが始まったのなら、泳げるようになればいい。その姿をいじめている小瀬友春に見せればいい。あまりに短絡的だし、そんなことでいじめが解消すると思えない。学年一優秀な天木敬が噛んでいながら、単純過ぎる行動に違和感を感じます。いじめは孤立が大きな要因だと思います。だとすれば、河野基の下には、いつか・あすな・秀人・天木と目立っている人物が関わっています。その時点でいじめの対象から外れてもおかしくない。彼らの行動には、裏の目的があるように感じて仕方がありません。その予想は遠からず間違っていなかったのですが、読み切ることは出来なかった。 

的と手段

 本作の目的は、自殺者を探すこと。そのために様々な手段が講じられていきます。もちろん、いつかの話が真実だということが前提です。読み進めれば、彼の話が真実かどうかも含めて、謎だらけで違和感が満載です。ただ、目的のために講じられる手段が、段々と方向違いに感じられてきます。違和感も徐々に大きさを増してくる。目的を果たすための手段として行われている行動に違和感を感じるということは、もしかしたら目的が違うのではないか。そういう疑問が沸いてきます。

 天木を優秀な人物だと断定するのであれば、彼の作戦は最も効率良く確実性があってもいいはずです。しかし、彼の計画は常に不確実性があります。そうなれば考えられるのはひとつ。目的が違うのではないかということです。いつかたちの目的は、違うところにあるのではないだろうか。

  • 河野基が自殺者なのか
  • 彼は本当に自殺するのか
  • 他に自殺者はいるのではないだろうか

 彼を自殺者と見込み、そして断定した割には、彼が自殺者でないと感じさせる雰囲気が漂います。決定的な要因はないのですが、何か裏があると思わせます。では、目的は何なのか。隠された目的があるのか。物語は結末まで先読みをさせません。  

は変わる

 結末で、この物語は一体誰の物語だったのかが分かります。主人公はいつかとあすなであることは間違いありません。自殺者探しが物語の主軸なのも間違いありません。しかし、その過程で描かれているのは人が変わっていくことです。

 3か月前のいつかと、改めてやり直しているいつかは明らかに違ういつかになっています。あすなもいつかと行動を共にするようになって変わっていく。彼らは、自殺者探しを通じて成長していきます。それは意図して変わっていく部分もあれば、意図せず成長していく部分もあります。物語の主軸が一体どこにあったのか。それは結末で明かされます。物語の真の主人公は一体誰だったのか。誰がそのことを見抜いていたのか。そもそもの事件の発端は誰の手によって引き起こされたのか。人はきっかけさえあれば変わることが出来ます。そのことを結末で思い知らされます。 

終わりに

 一度目に読んだ時と二度目に読んだ時には、違ったことがふたつあります。まずは、結末を知っているかどうか。そして「ぼくのメジャースプーン」を読んでいるかどうか。その違いは大きかった。特に後者の方です。「ぼくのメジャースプーン」を読んでいると、登場人物たちの名前に気付かされることがあります。どこかで聞いたような名前ばかりだと。「凍りのくじら」を読んでいれば、同じように見た名前が出てきます。

 エピローグで明かされるこの物語の真の姿は、「ぼくのメジャースプーン」を読んでいないと理解できません。続編という訳ではありませんが、読んでいることを前提とした物語です。長編ですし、途中だれるところもあるのですが、結末の急展開に一気に引き込まれていきます。読み応えと読後の満足感は保証します。

名前探しの放課後(上) (講談社文庫)

名前探しの放課後(上) (講談社文庫)