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『名もなき毒』:宮部みゆき【感想】|毒は人の心に潜み、飽和する

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 杉村三郎シリーズの第2作目。会社員でありながら探偵のような行動、今多コンツェルン会長の娘婿という立場が及ぼす職場での微妙な立ち位置は変わっていません。それが面白みを増します。彼が所属するグループ広報室の面々も個性的で引き込まれていきます。

 本作では、杉村を取り巻く複数の事件が並列的に進んでいきます。一般人の杉村がどこまで事件の真相に迫れるかが読みどころです。杉村は一般人とは言い難いですが、それでも一般人の範疇に入ります。読者の視点として共感しやすい。巻き込まれ体質と首を突っ込みたがる性質が共存し、積極性と消極性の二面性を持ち合わせています。 

「名もなき毒」の内容

今多コンツェルン広報室に雇われたアルバイトの原田いずみは、質の悪いトラブルメーカーだった。解雇された彼女の連絡窓口となった杉村三郎は、経歴詐称とクレーマーぶりに振り回される。折しも街では無差別と思しき連続毒殺事件が注目を集めていた。【引用:「BOOK」データベース】 

「名もなき毒」の感想

は淀む

 物語のテーマは、タイトル通り「毒」です。人の心が見えない毒に侵され、飽和し、放出され他人を傷つけ、更に毒を広めていきます。様々な形の毒が、並列して発生する事件で描かれています。事件の原因であったり、事件自体が毒だったり。見えない物の恐ろしさを感じます。物語は、2つの大きな流れを中心に描かれます。

  • 原田いずみ
  • 連続無差別毒殺事件

 本来なら無関係な二つの事柄ですが、原田いずみの身辺調査から北見へと辿る過程で繋がります。杉村が連続無差別毒殺事件に関わるきっかけとしては無理のある流れのように感じますが。偶然にしては繋がりが直接的過ぎて都合が良い気がします。

 両方の事件に毒は存在します。原田いずみは毒を放ち続け、彼女自身が毒そのものになっています。比喩としての毒ですが、周りを傷つけると言う意味では毒に間違いありません。連続無差別毒殺事件は、殺害手段として実際的な毒が使用されています。事件の裏には犯人が抱く毒が潜んでいるはずです。4件の連続殺人の犯人を見つけ出すことはミステリーらしい。原田いずみは、これから起こるであろう事件を予感させます。過去の事件か未来の事件かの違いでしょう。

 原田いずみを侵した毒は何が原因なのか。過去に遡ることで、彼女の過去は徐々に明かされていきます。人の心に淀む毒の恐ろしさが伝わってきますが、果たして手遅れなのでしょうか。原田いずみはまだ戻れるのだろうか。一方、連続毒殺事件の犯人は戻ることのできない一線を踏み越えています。連続毒殺事件は、原田いずみの未来を映し出しているのかもしれません。直接的な繋がりはありませんが、毒に侵された者の行き着く末路です。全てが一つの流れの上に存在しています。

 誰でも毒を持っています。それが環境によって増幅され、制御できないほどに膨らみます。毒殺事件は犯人の環境が生み出した毒で起こりました。原田いずみの毒はいつから彼女を侵し始めたのでしょうか。どちらにしても一度溶け込んだ毒は増殖していき、身体に染み込んでいきます。制御できない恐ろしさを感じます。

 原田いずみと外立は人を傷つけました。しかし、毒に気付き反省できるかどうかで人としての正しさが変わります。例え、手遅れだとしてもです。 

続無差別毒殺事件

 被害者家族との偶然の接触により事件に深入りしていきます。いかにも杉村らしい関わり方です。彼は警察でも探偵でもなく、グループ広報室に勤める会社員です。妻と小さい娘がいる家庭もあります。その割に自由な時間が多いのが気になります。グループ広報室の仕事が具体的に見えないことに加え、自由な時間が多いことに違和感があります。

 4つの殺人事件を捜査するのは警察であり、杉村は警察にパイプはありません。彼が手に入れられる情報は限られていますが、偶然と推理とひらめきで事件の真相に迫っていきます。杉村が犯人に辿る過程は緻密に計算された結果ではありません。警察でないのだから、証拠を集めることも難しい。聞き込みも限度があります。限られた状況から推理すると間違った方向に向かってしまうことも十分に考えられます。しかし、彼は直感的・感覚的に答えへと近づきます。論理的な部分に物足りなさがあるので、ミステリーとしては少し読み応えが少ない。

 事件は外立が抱く毒の結果として存在しています。彼以外が起こした毒殺事件も、それぞれの犯人が抱く毒(比喩的に)によって起こされたのでしょう。毒を抱いた理由は違いますが、何らかの理由で毒に侵された。全ての原因を毒に求めることはできないと思いますが。

 殺人のロジックでなく、動機が物語の重要な鍵です。事件は、見えない・名もない毒を描くための手段です。 

村が抱く毒

 杉村は、愛する妻と子供に囲まれて幸せな生活を送っています。一方、菜穂子の生い立ちと素性が杉村を苦しめているようにも見えます。現代の日本において身分の上下はありませんが、住む世界が違うということはあります。生きてきた世界の違いは確実に存在します。その差を埋めることが困難であることも事実です。杉村はそのことを理解して納得しています。しかし、心の奥底ではあまり性質の良くないものが積み重なり続けています。 

 彼の父母と兄姉は、杉村の結婚に否定的です。愛だけで解決できないことが現実に存在することを理解しています。杉村も理解しています。解決できないなら、自分が心に秘めていればいいだけと割り切ったのかもしれません。実生活が自分の給与に見合わないものだとしても、菜穂子の責任でも杉村の責任でもありません。 

住む世界が違っていただけであり、これからも違い続けるだけの話です。 

 彼女が杉村の生活レベルに合わせないのは、そんな考えすら思い浮かばないのでしょう。悪意がない分だけ、杉村の感情は行き先を失います。彼自身が何らかの毒に侵されているように見えます。彼自身が生み出す毒なのか、菜穂子が生み出す毒なのか。そもそも毒でないものを毒に変換しているのかもしれません。

 今多一族の中で杉村の存在は認められていますが、彼自身でなく菜穂子の夫であり桃子の父親ということが重要なのでしょう。今多一族に悪意も意図もないから、勝手な受け取り方とも言えます。ただ、住む世界の違いが心に引っかかる何かを生み出し続けるのは事実です。菜穂子の内面はあまり描かれませんので、杉村の一方的な意識に過ぎないように映りますが。

 杉村と菜穂子は夫婦だし、お互いに愛情を持っています。しかし、杉村が菜穂子の考えに疑問を抱いた時、それを伝えないし議論しません。彼女の生い立ちや環境・身体を理由に全てを理解したように振る舞っていますが、言い訳に過ぎません。彼は菜穂子の言動に対する違和感を溜め込みます。これが杉村を侵していく毒です。原田いずみと外山の毒は、外に向けられました。杉村もいずれそうなるのでしょうか。杉村は現状のままで一生を送れると思っています。彼の父母が予想した彼らの結婚の行く末は、一番現実的かもしれません。 

終わりに

 いくつかの事件や出来事が杉村を中心に描かれます。杉村自身の生活や仕事が絡むことで日常的な雰囲気も漂います。毒殺事件という非日常的な事件と原田いずみという日常に起こるかもしれないトラブル。杉村自身の日常と今多一族という非日常。様々な要素が絡み合います。その狭間に毒が存在します。毒の定義は言葉通りであったり抽象的であったりもする。人の心を歪め、攻撃的にする要因としても描かれます。

 杉村と北見が「普通」の定義について議論するシーンがあります。北見の「普通」と杉村の「普通」は根本的に違います。北見の「普通」が現代の「普通」なら、世界は毒に満たされています。

 原田いずみの根本的な毒の正体は結局分かりません。嘘や協調性のなさ自体は毒ではないでしょう。一種の特性と言えますし、適切な対処をすれば解消できる。彼女にとって不幸だったのは、適切な対処がされなかったことです。そうだとすれば、彼女自身の問題ではないのかもしれません。かと言って、彼女の犯した罪は擁護できない。彼女が反省したかどうか描かれていません。彼女を評価するのは難しい。そのことが消化不良感を抱かせます。彼女は毒の象徴としてしか存在しなかったのかもしれない。